最初のマスクの素材は女性下着!

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覆面レスラー物語1:元祖はなんと慶応元年デビュー

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白覆面の魔王ザ・デストロイヤー

白覆面はデストロイヤーの代名詞。引退してから20年以上経った今も、来日した時には常にマスクを着用してホテルなどにも出入りしているのですから、もはやマスクが素顔と言ってもいいかもしれません。本名のディック・ベイヤーでデビューしたデストロイヤーがマスクを初めて被ったのは1962年4月。今から52年以上も前のことでした。

覆面レスラーになるつもりはなかったのですが、62年春、素顔のレスラーとしてハワイで活躍していたデストロイヤーはロサンゼルスのプロモーターにスカウトされたことで運命が変わります。何とロスのプロモーターは本人に相談することなくアスレチック・コミッションにマスクマンのデストロイヤーとしてのライセンス申請をしていたのです。そのデビュー戦に用意されていたマスクはウール製で、目の部分にふたつ穴が開いているだけ。視界が悪く、呼吸も出来ない粗悪なものでした。

その翌日、困ったデストロイヤーはレスラー仲間のオックス・アンダーソンが持っていたマスクを借りて試合しましたが、これは顔にフィットして快適だったといいます。オフの日に早速、夫人と一緒にデパートの女性下着売り場へ。いくつものガードルを顔に当てて試着し、遂にたどり着いたのがスモール&トールサイズのガードルでした。晩年のデストロイヤーのマスクはデサント製でしたが、75年頃までは夫人お手製のマスクを被っていたのです。

夫人お手製のマスクを被ったデストロイヤーは足4の字固めを武器に快進撃を続け、ロス入りから3カ月後の62年7月27日にサンディエゴでフレッド・ブラッシーを撃破してWWA世界ヘビー級王座を奪取しました。覆面レスラーが世界王者になったのは、その半年前の1月9日にバーン・ガニアを下してAWA世界ヘビー級王者になったミスターM(正体はビル・ミラー)に次ぐ快挙でした。デストロイヤーのファイトマネーはマスクを被ったことで素顔時代の2倍になりましたが、さらに世界王者になったことで3倍になったのですから結果的に変身は大成功でした。

世界王者となったデストロイヤーは翌63年5月に初来日しました。ミステリアスな白覆面、日本初上陸の拷問技・足4の字固めはたちまち日本国中の注目の的になり、5月24日の東京体育館でデストロイヤーのWWA世界王座に力道山が挑戦した一戦は1万2千人の大観衆を動員、日本テレビでの生中継の関東地区の視聴率は何と64%(ビデオリサーチ調べ)になりました。これは日本テレビの史上最高視聴率で、未だに破られていない記録です。

悪役レスラーからバラエティ外国人タレントの元祖に!

日本で誰も知らない人がいないほど有名になったデストロイヤーは63年12月に力道山が急逝した後も日本プロレスに何度もやってきて、力道山の愛弟子のジャイアント馬場のライバルになりました。いつしか馬場との間には友情が生まれ、日本プロレスを退団して72年10月に全日本プロレスを設立した馬場の誘いで同年12月に全日本にやってきたデストロイヤーは「もし馬場とのシングル戦で敗れたら、私はもう馬場の敵ではない。その時は味方として協力を惜しまない」と宣言。馬場の軍門に下ると、まだ選手層が薄かった全日本の助っ人として翌73年3月から日本に定着。家族も呼び寄せて79年6月まで6年3カ月も日本で暮らしました。

日本に住んだデストロイヤーは意外な才能を発揮しました。73年10月5日から日本テレビ系でスタートしたバラエティ番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(金曜日午後10時~11時)でコメディアンとして人気が爆発したのです。和田アキ子扮するゴッドねえちゃん、せんだみつおら相手にカタコトの日本語でボケるデストロイヤーの珍妙なやりとりが大受け。デストロイヤーがハリセンなどでゴッドねえちゃんにドツキ回されるシーンは大爆笑を生みました。結果、当初5%にも満たなかった視聴率が1カ月後には20%を突破し、全盛期には30%台を弾き出す人気番組に。デストロイヤーのタレント人気は全日本プロレスの視聴率、観客動員にも貢献したのです。

実はデストロイヤーはカタカタ、簡単な漢字を読むこともできましたが「あんまりわかるようになっちゃうと、番組が面白くなくなるよ」と和田アキ子に言われ、日本語を本格的に勉強することはやめたといいます。デストロイヤーは、今やテレビで引っ張りだこの外国人バラエティ・タレントの元祖だったと言ってもいいでしょう。

79年6月19日の後楽園ホールにおける馬場との一騎打ち最後に故郷ニューヨーク州バッファローのアクロンに帰ったデストロイヤーは小学校の体育教師、高校のレスリング部のコーチをやりながらパートタイムでレスラーも続け、夏休み期間中には毎年日本でもファイト。そして93年7月29日に日本武道館で引退しました。

引退後もレスリングを通じての子供たちの日米親善交流に尽力し、11年8月27日、日本武道館で開催された東日本大震災復興支援チャリティープロレス大会では26選手参加バトルロイヤルの立会人として元気な姿を見せてくれました。84歳になった今も白覆面の魔王は健在です。

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