私藤田は「現代美術って面白いなあ」と思うひとりです。え、変わってる?そんなことないですよ。見た目がきれいだったりかわいい作品を見ても「ステキ」としか思わないですが、現代美術の作品は奥が深い。見て「なんだろう?」と想像していると、はっと気が付くことがあったり、くすっと笑いがもれたりするのですから。

その味わい深さを皆さんと共有するために、まずは愛知県美術館の学芸員の中村史子さんに、「現代美術」とはどういったものか、を伺います。


「現代」とは時代区分を指す言葉

藤田
印象派の展覧会へ行くと、きれいな風景や人物を描いた絵画が並んでいます。かたや現代美術の展覧会へ行くと、絵画もあれば彫刻もあり、映像もあれば写真もあり、中にはインスタレーションと呼ばれる展示室に美術品なのかモノなのか分からないものが置かれていることも。「現代美術の作品」は基準があるのでしょうか。

大西康明《体積の裏側》(2009)愛知県美術館での展示。現代美術は素材も技法もさまざまです。

大西康明《体積の裏側》(2009)愛知県美術館での展示。現代美術は素材も技法もさまざまです。

中村史子学芸員 (以下、中村)
「現代」とは時代区分を指す言葉です。日本の美術界では、主に第二次世界大戦以降を指すことが多いようです。そのため、それ以降に制作されたものを「現代美術」と呼ぶことが多く、素材や技法の共通点が必ずしもあるわけではないと思います。

藤田
そうなんですね!であれば、私が落書きした絵やシャメも、現代美術と呼ぶのでしょうか。

中村
う~ん、そうですね。そもそも、「アーティスト」という免許や国家資格のようなものがあれば、誰がアーティストで誰がアーティストではないかが明白に分かります。しかしそのようなものはありません。また、つくり手自身は「アーティスト」という意識も「現代美術」という意識もなかったのに、現代美術展で制作した物が紹介、展示されるケースもたびたびあります。そのため、「つくり手がアーティストか否か」ではなく「その物が現代社会を何らかの形で刻印しているか否か」が重要だと私は考えています。

藤田
なるほど、ただの落書きやシャメでは現代社会は表現してませんね(笑)。ところで中村さんは美術館学芸員、つまり展覧会を企画(キュレーション)する仕事=キュレーターをなさっています。ゴッホやピカソの展覧会をキュレーションする、とはあまり聞かないような気がするのですが、キュレーションという言葉は現代美術だけのものですか?

「魔術/美術」展(2012年)では紀元前から現代の作品まで一緒に展示しました。キュレーションが前面に出た展覧会です。

「魔術/美術」展(2012年)では紀元前から現代の作品まで一緒に展示しました。キュレーションが前面に出た展覧会です。

中村
基本的に扱う時代区分とキュレーションの有無は関係ありません。ゴッホやピカソであっても、現在活動中の作家であっても、考古遺物であっても、何をどう見せるかを考えて展示物を構成していく仕事は必要です。その仕事をキュレーションと呼ぶことはできます。また当たり前ですが、考古遺物を専門にするキュレーターもいます。そのため、「キュレーション」や「キュレーター」という言葉は、現代美術だけと関わりのあるものではありません。

藤田
つまり、現代美術だから何か特別、というわけではないのですね。

中村
そのとおりです。誰かと会ったり話すとき、ことさら「この人は現代人だ!」と意識することはまずないですよね。それと同じように、ことさら現代美術!と身構えることは必要ないと思います。強いて言えば、今を生きている私たちと同じ空気を吸って変化してゆく途中の美術、という感じで作品を見てはいかがでしょうか。

現代美術だからといって肩ひじを張らなくてもいい、ということは分かりました。次にアーティストとして活動しながら、愛知県立芸術大学で教えている大崎のぶゆきさんに、現代美術の作品をつくる立場から話を聞いてみましょう。

現代美術=現代の社会を表現

藤田
私は現代美術の作品を見て「なんだろう?」ということをわくわくしたり、面白いと思う派です。でも他人と一緒に行くと「分からない!どこが面白いんだ!」と言う派が圧倒的。

大崎のぶゆき 《Trace Trip, Portraits- woman of Sun Yatsen》 2014 の展?風景 撮影:川松康徳

大崎のぶゆき 《Trace Trip, Portraits- woman of Sun Yatsen》 2014 の展?風景 撮影:川松康徳


 
アーティスト 大崎のぶゆき (以下、大崎)
僕の作品もそうですが、現代美術というのは経済、人種、歴史などの現代社会の問題を問い掛けたり、アート自体の問題や美術史、美術批評について問い掛ける、という表現です。「分からない」ということは、そういった現代社会の問題や美術に関することを「知らない」ことなのです。例えば英語を知ってないと、Thisもisも分からない、何を言ってるのか分からない、となるのと同じです。だからある程度の、現代社会の問題や美術に関することを知っておく必要があるでしょう。その「分からない」ということは、実は「考える」きっかけとなり、現代美術の「面白さ」にもつながっていくはずです。

藤田
例えば古い時代の画家も、現代美術のアーティストも「女性像を描く」ことをします。時代だけで言えば「古いもの」「新しいもの」と片付けることができますが、そうじゃなくて何がどう違うのでしょうか。

大崎のぶゆき 《Trace Trip, Portraits- woman of Sun Yatsen》映像部分undefined 時間経過とともに描かれたモチーフが溶けていく

大崎のぶゆき 《Trace Trip, Portraits- woman of Sun Yatsen》映像部分  時間経過とともに描かれたモチーフが溶けていく


 
大崎
女性は美の象徴でもあるので、女性像は多くの画家が描くモチーフです。美術史をひもとくと、近代の絵画、例えば印象派、これはフランス革命後に市民の時代となり、王様や貴族のための美術が衰退して行った時代に生まれました。さらに写真が発明されたことで、絵画が写実的に表現する必要がなくなりました。そこで今までとは違った描き方を試みたりして「絵画でしか出来ないこと」を目指し始めたのが、印象派の作家たちです。また、同時代の画家であるマネが《オリンピア》という裸の女性像、当時タブーだった娼婦を描いています。こうした時代背景、つまり歴史や美術史を知ることで作品の見え方が違って来ます。今の社会を投影する現代美術の作品は、見たままで理解できるものもありますが、たいていの現代美術作品は「メタファー(隠喩)」つまり「たとえ」で構成されている表現が多いと思います。同じ女性像でも、昔とは違う現代の問題を提起していたりします。

藤田
大崎さんの作品でも、女性像がモチーフの作品がありますね。描いた女性像が溶けていき、画面からなくなってまたもとの像が現れるというループした映像作品です。絵画は時間が止まっていますが、時間の流れを利用できる映像をつかって、不思議で面白い作品だと私は思っています。大崎さんは作品技法も含めて、どう見たらいい、あるいは、こういう意識で制作しているということを教えてください。

大崎
2000年前後から僕は作品を発表していますが、インターネットなど情報が極端にあふれていく時代と重なります。僕にとって「リアリティ」とは何だろう?と模索をしていると、自分が見ている世界が分からなくなります。現代社会に対する僕なりの問いかけをしたとき、「分からない=描いたものが溶けて、再び現れていく」ことが、僕にとってこの世界を表現していることでもあるのです。

藤田
大崎さんがつくる作品も、やはり現代社会とつながっているのですね。

大崎
僕の作品に限らず、現代美術を理解するには、新聞を読んだりニュースを見たりして、私たちの時代や世界に対して好奇心を持つ事が大事だと思います。そうすることで、現代美術を理解することもできますし、社会の問題点に気が付いたり、違う角度で考えるきっかけにもなるのではないでしょうか。

■大崎のぶゆき 展覧会情報

個展
大崎のぶゆき《dimension wall》 2012  映像インスタレーション

大崎のぶゆき《dimension wall》 2012 映像インスタレーション


 

2015年1月10日~2月7日
YUKA TSURUNO GALLERY

グループ展/「未見の星座ーつながり/発見のプラクティスー」
2015年1月24日~3月22日
東京都現代美術館

グループ展/「REN-CON ART PROJECT」
2015年2月17日~3月8日
名古屋市芸術創造センター
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