「誤算」が生んだ大発展からの急降下

1957年に創業者中内功氏が「主婦の店・大栄薬局店」を開いてスタートしたダイエーは、店舗の拡大、業態の拡張を繰り返し、60年代以降大きな発展を遂げました。72年には三越を抜いて小売売上高日本一を達成。80年代以降にはデパート、ホテル、プロ野球球団経営と一段の多角化を進め、日本を代表する企業にまで上り詰めたのです。

解説

誰もが知るダイエーの名前が姿を消す

しかし、90年代も半ばにさしかかる前後から急激に失速し、リストラに次ぐリストラを繰り返しつつも打開策を見出せず、01年に中内オーナーが完全辞職します。04年に産業再生機構による再建支援がスタート、07年以降イオンとの提携により同グループ傘下入りとなり、今般イオンの完全子会社となることでダイエーの名前が消滅することとなったのです。

ダイエーは、創業者中内オーナー指揮の下で大発展を遂げ、中内オーナー指揮の下で急降下していきました。企業マネジメントに誤算はつきものですが、ダイエーは中内オーナーのふたつの異なる誤算が折り重なることで、再起不能に陥ったと言えるのです。予期せぬ誤算と自らの慢心が招いた誤算。ダイエーを追い込んだ「ふたつの誤算」を順に説明します。

「土地神話崩壊」ですべては始まった

引き金は土地神話に立脚した店舗戦略の誤算でした。ダイエーの店舗戦略は、都市部住宅密集地域に店舗を構え、自社の出店効果による地価の値上がりによって新たな資金調達力を生むというものでした。つまり、不動産担保価値の上昇による融資枠の拡大で調達した資金を新店舗の出店に充てる。「地価は右肩上がりに上がる」という土地神話を前提とした戦略に立脚していました。

しかし、90年代初頭のバブル経済の崩壊により、その戦略は根底から覆されることとなります。予想だにしなかった地価下落は、中内ダイエーの店舗戦略を根底から突き崩すものでした。「担保があればカネを貸す」という銀行の“土地本位制度融資”はバブル崩壊後全面的に改められ、地価下落と相まってダイエーの資金調達力は一気に低下することになったのです。