FBを「本当に使うべき人」と「本当の使い方」

それは、FBの成り立ちを考えればわかることだ。アメリカの最優秀エスタブリッシュメント予備軍、ハーバード大の男女学生たちをネットワークすることを目的に、学生時代のマーク・ザッカーバーグが学生としての社会経験と社会観で構築したものだ。

自分が普段からつるむ仲間だけではない。友だちの友だち、さらにその友だちへと「友だちの輪」を広げる。リアルで平凡な日々では出会えないような人に出会い、知見やコネのおこぼれをもらう。信頼できるコネクション先からこぼれてくる情報で、より有利な条件の仕事やポスト、参加すれば人に自慢できるようなパーティーを見つける。「より多く」の「より魅力的な」異性に向けて自分を印象づけ、なんならそこから実際のデートにこぎつけて、連絡も取りやすくする。

FBは、学生のように背負う役割が少ない人間が、自分の交友関係を「ドヤ」と見せてよりよい出会いを追求するような目的には大変合致している。同じように、何らかのビジネスを立ち上げた人間が、そのビジネスで利益をあげるべく人々に認知させていくような目的にも合致している。つまり、狭く明確な利益と、それを追求しようとする欲望があって初めて、有効に機能するSNSなのだ。

オトナは「FBなんかやるには人生が複雑すぎる」

例えば、一口にワーキングマザーと呼ばれる女性がどれだけの社会的な役割、顔を持っているかつらつらと考えよう。

まずは幼い頃から学校でたくさんの友人や先生に出会ってきた、個人としての顔。仕事を持つ、多少なりとも所属する企業名や業界をいくばくか背負うかもしれない、社会人としての顔。もしや、趣味の世界での“ハンドルネーム”さんの顔。配偶者がいる妻としての顔、そして子を持つ母としての顔。自分の実家の家族には娘、そしてきょうだいがいるのなら姉または妹、そして夫の家族に対しては「嫁」としての顔。どこかにひょっとすると元カレなんかがいたりするかもしれない、ひとりの女性としての顔。海外経験があるなら、いろいろな国籍、人種のひとびとに向けて発する日本人としての顔。

ひとが大人になり、家庭や仕事などいくつもの役割を持つようになると、人間関係や居場所はいやでも広がる。広がるというよりも、その役割を発揮せねばならない場所でそれぞれ局地的に人間関係ができるといった感じだ。役割とは、「顔」だ。大人になればなるほど、場所によって顔を変えねばならないことが増える。顔が変われば、物言いも変わる。その場で言っていいことと言ってはいけないこと、言うべきことと言うべきでないこと。信条は変わらずとも、言い方は変わる。または、相手とのやりとりで柔軟に考えも変わる。それが大人になるということだ。年を取れば取るほど、人間は多面的になっていくのだ。

それなのに、FBは気を付けて設定しないと容赦なくあなたのアドレス帳から知り合いを見つけ出し、または友人関係からさらなる交友関係を「察知」し、通知する。その通知に安易にのるような形で、自分の人間関係をすべて取り込んでしまうような真似をしたら最後、あなたという個人は各方面に遠慮してもう何も発言できなくなる。それが、実生活を超えたネットワーキングが結果的に提示する弊害だ。

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