あの人の決断~工藤公康さんインタビュー

更新日:2014年08月28日

(公開日:2014年08月27日)

各界で活躍する著名人に訊く“人生の決断”。第2回は、プロ野球選手として現役実働29年を経て、今もなお前進し続ける工藤公康さんにインタビュー。野球人として、父として、男として対峙してきた決断について伺いました。
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野球はそこに誰かがいないと出来ないもの

――工藤さんはこれまでのプロ野球人生の中で多くの決断をされてきたと思います。ですが、もともと子どもの頃は野球が好きではなかったとか?

それどころか、嫌いでしたね。野球をやっていたのも、家庭の環境がそうせざるを得なかったから。中学のころは親父に「高校は行かせられないから丁稚奉公に行け」って言われていたんです。兄弟はみんなそうですけど、うちは親父の言うことが絶対でした。そうじゃないと、大変なことになるので(笑)。裕福でもなかったですしね。だから、卒業したら、ドラマみたいに厨房の裏でジャガイモの皮を剥いたりするんだろうな、って想像していました。選択の余地がなかったんです。そういう人は多いんじゃないでしょうか。それぞれの生活環境の中で、選択するものが少なく、もしくはないと感じている人が。

――そんな中、高校へ進学出来たのは?

野球をしていて出会ったある人に、「そこそこ、いい球投げるね。高校は決まっているの?」ときかれて。最初、「高校には行けません」と答えたけど、「特待生だったらどうだろう? 父親にきいてみたら」と言われて。親父に話したら「金がかからないならいいぞ」と。今考えると、それが野球人生のスタートだったかもしれないですね。講演でもよく話すのですが、「一人で野球をやっているつもりでも、野球はそこに誰かがいないと出来ない」。野球ってそういうものなんですよね。

――高校で野球をやっていく中で、プロに行ける確信が芽生えたのですか?

プロ野球へ行くことはまったく考えてなかったです。高校で甲子園まで行ければ、卒業後は社会人野球で出来たらいいなというくらい。大学へ進学する気もなかったですし。当初、プロに行けるかもしれないとスカウトの方からお話もあったのですが、親父が「通用するわけない」と。そこは逆らえないので、卒業後は企業へ就職して社会人野球に行くことを決めていました。すでに本社への挨拶も済ませていましたからね。

――それがドラフト6位で強行指名された西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)へ入団することになったのはなぜ?

当時のスカウトマンだった根本(陸夫)さんらと、うちの両親とで話し合いをした結果、プロに行くことに決まってしまったんです。当の僕は、その時夜中の3時に叩き起こされて。行ってみると、ビール瓶が20本くらい並んでいて、親父が「お前はプロに行け!」と。「はあ? 親父が社会人野球に行けと言ったんじゃないか!」と言ったら、「良いんだよ、俺の言うこと聞け!」って。その後3日くらい家出しましたね(笑)。
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――すごいお父様ですね(笑)。では、意気揚々とプロの世界に入ったわけではなかった?

まったくないですね。先輩には毎日しごかれました。子どものころから似たような環境だったのでそれは何とも思わなかったですけど、プロはやっぱりレベルが違いすぎて、まったくついていけなかった。3年か5年でやめるだろうと思っていました。

プロ野球人生で、自ら決断したこととは……