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天龍にインタビューするとオカダの名前が!

26歳のオカダ・カズチカが盟主・新日本プロレスのIWGP王者に君臨するなど、プロレス界は確実に新時代に突入しています。そんな中にあって昭和プロレスで育ち、平成のプロレス黄金期を生き、今も第一線のリングに立ってミスター・プロレス、リビング・レジェンドと呼ばれているのが天龍源一郎です。

 


ジャンボ鶴田がいたから今も現役の俺がいる

天龍はジャイアント馬場、アントニオ猪木の日本プロレス界の2大巨頭をフォールした唯一の日本人レスラーであり、同世代のジャンボ鶴田、藤波辰爾、長州力、全日本プロレスの四天王、新日本プロレスの闘魂三銃士と第三世代、さらには大仁田厚との電流爆破マッチ、UWF系の高田延彦、エンターテインメント系のハッスル……と、世代やジャンルに関係なく真っ向勝負をやってきました。そして還暦を迎えた2010年に天龍プロジェクトを旗揚げ。そこから今日までには腰部脊柱管狭窄症の手術を行うなどのレスラー人生の危機もありましたが、この4月19日に旗揚げ4周年を迎えました。64歳になってますます血気盛んな天龍に話を聞くと、その矛先は何とオカダ・カズチカに向きました!

――「自分の生きる場所は自分で作る」と旗揚げした天龍プロジェクトが4周年を迎えました。6月3日の新木場1st. RINGでの興行も決定していますが、今の心境を聞かせてください。

天龍:この4年は常に前向きだったね。と言うよりも、振り返っていられない、前を向いていくしかないっていう状況だったね。旗揚げしてすぐに怪我をして、最初はメスを入れずに治そうと思っていたんだけど、結局は2012年の2月と3月に腰の手術をしたから、試練の時でもあったよ。

――腰にメスを入れるというのは、レスラー生命を懸けた決断でしたね。

天龍:今日がなきゃ、明日も明後日もないっていうのが俺の生き方だからね。応援してくれるファンの人たちにもう一度、元気な天龍源一郎を見てもらいたいっていうのが一番の気持ちだったよ。それにタッグを組む人たちや対戦相手に気を遣われるというのも物悲しいからね。

――現在の調子はいかがですか?

天龍:状態は3割から4割ぐらいかな。自分がどこを10にしているのかにもよると思うけどね。でも、俺は10を目指して頑張っているんだよ。それは手術をしてくれた先生、リハビリをしてくれる先生にも見せたいしね。確かに「引退した方がいい」っていう声もあるんだろうけど、俺はもうそんなところは通り越しちゃったよ。腹いっぱいにプロレスをやるっていうのが俺の希望だからさ。志半ばで最後までやれずに去っていったレスラーもいっぱいいるんだから、俺はやれるうちはリングに上がり続けますよ。

――思えば、ライバルだった鶴田選手は14年前に49歳の若さで亡くなってしまいましたからね。天龍さんが鶴田選手と最後に闘った日は1990年4月19日。その20年後の同じ日に天龍プロジェクトを旗揚げしたんですね。

天龍:天龍プロジェクトの旗揚げが4月19日になったのは別にジャンボを意識したわけじゃなくて偶然だけど、偶然だからこそ、何かの縁を感じますよ。90年の4月19日にジャンボと闘ったのを最後に全日本を飛び出して旅を始め、20年後の4月19日からまた新たな旅を始めたわけだから。今日、俺がこの業界で生きながらえているのは、あの熱くならない飄々としたジャンボが俺に振り向いてくれて、ムキになってやり合ってくれたからだと思うんだよ。それには感謝しているよね。ジャンボと闘っていたのは、たったの3年だったけど、俺にとっては10年やったぐらいの充実感がありましたよ。あの時の充実感を求めていまだに放浪しているっていうのが正直なところだよ。だから今までいろいろな闘いをやってきたけど、そこには「ジャンボやスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディと闘ってきた俺が、こんなところで負けてたまるか!」っていうのがあったのは確かですよ。……だから俺は今、オカダ・カズチカに頭に来てるんだよ。

――新日本のオカダ・カズチカですか?

天龍:彼が2013年と2014年のプロレス大賞MVPを連続受賞したのはいいことだと思うけど、そこで猪木さん、ジャンボ、俺の名前を出したから、頭に来ているんだよ。