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「走れメロス」の陰に将棋あり……太宰治の苦悩とは

太宰治の「走れメロス」。多くの教科書に採用された名作であり、ご存じの方も多いだろう。実は、この作品は「将棋」と大きく関係していたのだ。将棋なかりせば「走れメロス」が世に出ることもなかったかもしれない。今回はその経緯を独自の解釈をまじえながら解説する。

有田 英樹

執筆者:有田 英樹

将棋ガイド

<目次>

太宰治の「走れメロス」の陰に将棋あり

太宰治の「走れメロス」

物憂げな太宰治(ガイド画)

「走れメロス」をご存じの方は多いだろう。多くの教科書に採用された太宰治の名作である。「メロスは激怒した」という出だしの一文は私の頭にも刻み込まれている。かように有名な作品ではあるが、「メロス」と「将棋」の関係をご存じの方は少ないのではないだろうか。大胆な発言を許してもらえるならば、「メロス」は将棋なしには生まれなかった物語なのである。今日は、このことをガイドしていきたい。まずは、あらすじを押さえておこう。
 

走れメロスのあらすじ

妹の結婚式の準備と親友セリヌンティウスに会うために、山を越えて町へやってきたメロス。しかし、そこで見たものは、民衆への処刑を乱発し、恐怖政治を行う王と、それにおびえる人々の姿だった。義憤にかられたメロスは、暴君を暗殺しようと王城に忍び込む。しかし、あえなく捕らえられ、当然のように死刑宣告を受ける。処刑を受け入れたメロスではあったが、妹の結婚式だけは中止させるわけにはいかないと、親友であるセリヌンティウスを身代わりの人質にするという条件で3日間の猶予を願う。この申し出を、王は慈悲ではなく残酷な動機で受け入れる。友情を信じるセリヌンティウスがメロスに裏切られる姿を見たかったのだ。
 

無事に結婚式を終えたメロスだったが、帰り道で大雨、洪水、山賊などの困難に遭遇する。これらのピンチはなんとか乗り越えたものの、とうとう熱射による体力消耗に倒れてしまう。そんな彼を救ったのは岩からしみ出る清水だった。再び立ち上がったメロスは走り出し、処刑寸前のセリヌンティウスの元へと帰還する。二人はこの3日間でお互いの心に芽生えた不信の感情を素直に謝罪し合う。その姿に心を打たれた王は、二人の仲間にしてくれと懇願する。群衆は歓声を上げ、三人をたたえる。
 

浮かび上がった3つの疑問

感動の物語である。だが……。小学校の教科書で初めてメロスと接した私には、どうにも腑に落ちない点が3つあった。以下の通りである。

(1)なぜメロスは妹の結婚式を終えてから王の暗殺を企てなかったのか。たった3日後のことである。その間に無事に結婚式を終え、練りに練った計画を持って王城へ忍び込むべきでなかったか。しかも捕らえられたあげくに、親友を身代わりにするという暴挙。この無計画ぶり、無責任ぶりは何なのか。
 
(2)なぜタイトルが「走れメロス」なのか。メロスより、身代わりの人質として待ち続けたセリヌンティウスの方がつらかっただろうし、素晴らしい友情を見せたのではないか。どう考えても、メロスが走るのは当たり前である。やはり「待ったセリヌンティウス」という題がふさわしいのではないか。

(3)なぜ、物語の舞台が西洋なのか。ずっと後に知ったことであるが、太宰と言えば『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』などのいずれも日本が舞台の作品で有名である。

少年の頃に抱いた疑問。実は、40年以上の年月を経た現在の私は答えを持っている。もちろん、私なりの解釈ではあるが、これぞ真実であろうと確信してもいる。その真実に「将棋」が大きく関わっているのだ。そして、その元になったのが太宰の友である作家・壇一雄の書籍なのである。
   

メロスは太宰治自身である

「火宅の人」など数々の名作を世に送り出した壇一雄。友人である太宰とともに無頼派の作家とされている。ちなみに女優・壇ふみの父親でもある。彼は、その著作「小説 太宰治」の中で「走れメロス」に関する太宰とのエピソードを紹介しているのだ。それによって、私は確信した。メロスは太宰自身である。だからこその無計画・無責任であり、「走れメロス」というタイトルであり、舞台が西洋であらねばならなかったのだ。以下の文章は壇のエピソードに私なりの解釈を加えた物語だ。お読みいただき、感想などいただきたい。題して「走れ太宰」である。
 

「走れ太宰」

太宰は激怒した。

「なんて、こった。もう、すっからかんだった……」
温泉の香りが……(イメージ画像)

温泉の香りが……(イメージ画像)

目の前には、数十本のとっくりが倒れている。窓からのぞく空はうっすらと青みがかり、時折入ってくる風には温泉独特の臭いが混じっていた。彼は財布をたたきつけた。

「おいっ、いつまで寝てるんだ。起きろ」

声を荒げ、とっくりに囲まれて死んだように寝ている壇一雄のすねを蹴り上げた。

「いててっ。何をするんだ」

壇が飛び起きて、太宰をにらんだ。

「こっちが悩んでいるのに、一人だけぐうぐう寝やがって。もう金がないんだぞ」

「なに!もうないのか。いったいどうするつもりだ?」 壇も狼狽した。投宿していた旅館に宿賃を払わねばならぬ日だったのだ。

「どうもこうもない。こうなりゃ、手だては一つだ。壇くん、君は俺の親友だな」

「だからどうした?」 壇は不安の色を隠せなかった。


太宰は旅館の女将に手をついた。

「女将、実は手持ちがなくなってしまったのだ。そこで頼みがある。3日だけ待ってくれないか。なに、心配はいらん。ここにいる壇くんを人質として置いておく。俺と壇くんは無二の親友だ。人として、大切な友を置き去りにできるはずがない。東京の知り合いに井伏鱒二という男がいる。こいつは人情家だ。井伏くんに頼んで都合をつけ、ここ熱海から東京を走ってでも帰ってくる。信じてくれ」
太宰は旅館をあとにした(イメージ画像)

太宰は旅館をあとにした(イメージ画像)

女将は、その言葉を信じた。もちろん、壇も信じた。太宰は言葉通り、玄関を走り出た。

「急がねばならぬ。そして、なんとか井伏くんを説き伏せねばならぬ。それまで、待っていてくれ、壇くん。わが親愛なる友よ」

太宰は唇をかみしめた。
 

井伏の視線の先に

井伏は太宰の顔を見るなり、愛好をくずした。

「おお、よく来たな。誰か相手が来ないかと待っていたんだ」

「いや、今日は頼みがあってきたんだ。それも、急ぎの頼みだ」

「なんだ、なんだ、その青ざめた顔は。辛気くさいのは後回しだ。俺は相手を待っていたと言ったろう。おまえもあれを見れば元気になるさ」

井伏が向けた視線の先を見て、太宰も顔をほころばせた。瞬間、脳裏から友の顔が消えた。
 

走らなかった太宰

期限の3日はとっくに過ぎていた。もしや、何かあったのか。壇だけでなく女将も心を痛めていた。

「女将、こういう事態だ。友が帰ってこないのは、何かあったからに違いない。」

「たしかに、壇さんの言うとおり。あの太宰さんが帰ってこないのはおかしいわ」

「女将、たのむ。俺を行かせてくれ」

壇は女将の許しを得て、井伏宅へ向かった。途中、何度も太宰の無事を祈りながら。
 

そして駒音が

井伏と太宰は盤をはさんでいた(イメージ)

井伏と太宰は盤をはさんでいた(イメージ)

井伏の元にかけつけた壇は、その光景に気を失いかけた。眼前に二人の男がいる。酒をちびりちびりと口にしながら、向かい合う男達。壇の存在など、まったく目に入らぬがごとくに、古びた盤を見つめている。「よし」と一声あげた太宰は「桂馬」を打ち込んだ。乾いた駒音が壇の耳を刺した。

壇は激怒した。

「太宰、なにをやっている。俺がどんな気持ちで待っていたか、わからないのか」

太宰は遠くを見るような目で応えた。

「壇くん、考えてくれ。待つ身がつらいかね。待たせる身がつらいかね」
 

3つの疑問は解決した

描写や会話の中身などに私独自の解釈が入ってはいるが、大筋ではこの通りである。放蕩の末に払えなくなった宿賃。その金策のため、壇を人質として井伏を訪ねた太宰は、なんと親友を裏切り、井伏との将棋を楽しんでいたのだ。この無計画ぶりは、無責任ぶりは完全にメロスの王城襲撃に投影されている。これが私の疑問(1)への答えである。そして、待たせる方がつらいと言い放った太宰からすれば、待つ身のセリヌンティウスは主人公に成り得ない。待たせたメロスこそ苦悩をかかえる主役にふさわしいのだ。これが疑問(2)の答えだ。そして最後の疑問(3)「なぜ舞台が西洋なのか」についてである。もう、おわかりだろう。将棋が存在する日本が舞台だったなら、メロスは帰れなかったのだ。
 

エピローグ

もし、太宰がすんなりと壇の元に返っていたら、メロスは生まれたであろうか?待たせる身のつらさをテーマにしたこの作品が世に出ることはなかったに違いない。そして、太宰にそれを体験させたのは、将棋だったのである。将棋なかりせば、「走れメロス」もなかったのだ。走れなかった太宰だからこそ「走れメロス」を書き上げ、人々の心を引きつけたのだ。

将棋は、つきつめれば数理的な競技である。しかし、一局の勝負にはドラマがある。将棋は物語でもあるのだ。だからだろうか、文壇には多くの将棋ファンがいる。実際に、この記事に登場した井伏鱒二は「阿佐ヶ谷将棋会」という作家達の会を主催するほどの愛棋家だった。そして、太宰もその会に名を連ねていた。高飛車に言わせてもらいたい。「走れメロス」には将棋ファンのみが知りうる奥深さがあったのだ。

(了)

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