takumiiwasaki

岩崎工(近影)

10月12日(土)、代官山のカフェで岩崎工さんに取材をしてきました。僕が大好きなフィルムス(FILMS)のメンバーでもあった岩崎さんとお会いするのは、これで二度目。そして、念願のインタヴューが実現となりました。かなり長編インタヴューとなったので、先ずは前編から。

 

シンセサイザーとの出会い

ガイド:
misprint

Misprint

岩崎さん、お久しぶりです。今日はつもる話もありまして、長々と質問をしてしまうと思いますが、お付き合いください。
フィルムスの元メンバーとしては、赤城忠治さんに続いて二人目です。フィルムスの『Misprint』(1980年)を聴いて以来、フィルムスが無性に好きになってしまったのが、僕の学生時代の思い出なんですが、先ずはフィルムス以前のお話から。フィルムスで活動する前、ROLANDのシンセサイザー・テープコンテストで4年連続入賞されたんですよね。

Misprint (Amazon.co.jp)

 

岩崎:
最初のシンセサイザーとの出会いは、僕たちが買えるレベルの民生機のシンセサイザーが売り出された1974年くらい。その頃、楽器屋さんで見かけて、僕が興味を持ったのは単音しか出ないROLAND SH3というやつです。浪人して、大学に入らないといけないんだけど、音楽が好きで、ロック喫茶をウロウロしていたり、楽器屋フラフラしていたり、ロンドンブーツとかはいて、遊び回っていた時に、新宿の楽器屋さんで見つけたのです。聴かせてもらって、その場に何時間も居続けました。それで、先ずは買っちゃえというところから始まりました。
ピアノだといいんですが、単音だとできる事が限られるので、当然、テープレコーダーが欲しくなるんですよね。そこに多重録音の入り口があるんですよ。

ガイド:
という事は、子供時代からピアノとかの楽器は習っていたんですか?

岩崎:
ピアノはやっていました。普通のクラシックのピアノを中学三年くらいまで。好きなクラシックのタイプの曲もありましたが、その頃になると、聴いているポップスやロックをやりたくなるんです。例えば、『イージー・ライダー』のサントラ、Steppenwolfの「Born To Be Wild」、Led Zeppelin、ウッドストックのイベント、そういうのを聴いていると、自分のやっているクラシックとは縁がないと思っていたんです。でも、もう少し、先に行くと、そうではなくて、クラシック崩れのプログレの人もいる訳だし、その間っていうのがあるんだというのに気づくんです。その頃は、ギターが中心だったから、とりあえず、キーボードは関係ないもんだと思っていたんです。でも、シンセサイザーが出てきた事で、何かを感じて、また鍵盤というのが表舞台に浮上してくるんだなと。

ガイド:
主役になれると。

岩崎:
主役になるかも、みたいな(笑)。
で、多重録音したくなって、当時オープンリールの4チャンネルが中古でも手に入るんです。現実的なチョイスだったので、そちらの方にも首を突っ込む羽目になるんですね。実際、大学にも入らなくてはいけなかったし、入ってからですね、本格的にやり始めるのは。TASCAM、当時TEACと言っていたと思うんだけど、自分より年上の人たちと付き合いがあったので、そういう人たちに教わりながら、機材を徐々に揃えていったのです。

 


ポルトガル語専攻

ガイド:
ちなみに大学では、ポルトガル語を専攻されていたとの事ですが、どうしてですか? ポルトガルかブラジルが好きだったとか?

岩崎:
ある程度、英語はできていたんで、違う言葉をやろうと。大学行くからには、食えなくなった時のオサエというのもあって、あんまりやっている人口が少ない方が、ライバルが少なくて、いいだろうと。車やレースが好きで、ちょうどブラジル人のF1ドライバーとか、サッカーも好きで、F1とサッカーではブラジルは結構メジャーな国なんですよ。とどめは、友だちの知り合いの彼女が、日本人なんだけど、ブラジルに行っていたとかで、横恋慕しようとして、言葉を道具にしようとしたとか(笑)。

ガイド:
実際にポルトガル語が音楽を始めてから、役に立った事は?

岩崎:
あんまりないです。ボサノヴァ好きという訳でもないし… 元々、言葉は好きなので、フランス語とかドイツ語とかも大学入って、かじったりしたんです。言葉の響きによって、音楽って変わるんで、そういう意味では役に立ったかもしれません。実際、ポルトガル語自体は、CM曲の時に作詞に使ったり、TPOではまるまる1曲、「Camacho Preguicosa」でポルトガル語で詞を書いています。

フィルムス加入の経緯

ガイド:
赤城さんにインタヴューした時、岩崎さんを中原信雄さんから紹介されて、フィルムスに加入されたと聞きました。岩崎さんにはどのような記憶がありますか?

岩崎:
全然、間違えていると思うんだけど(笑)。僕が最初にフィルムスの事を聞いたのは、鈴木さえちゃん(鈴木さえ子)。彼女に紹介されて… 中ちゃん(中原信雄)は、元々僕が大学時代にやっていたフュージョンやプログレ系バンド(Weather Report、Genesis、King Crimsonなどが好き)にベースで来ていたんです。彼はアマチュア時代から、青山純とコンビでやっていて、要するにテクニカル系の人。僕は、Brian Enoのソロとか好きだし、単音シンセというのもあるから、シンセよりの現代音楽、コンテンポラリーミュージックとかそういう事もやっていて、フィルムスのようなドミソの世界、三和音の世界はあまり知らなかったんですよ。ジャズっぽいのやプログレをやっている中ちゃんを自分のブレインとして連れて行ったんです。だから、僕が中ちゃんを紹介したんです。それが、多分、事実だと思う。さえちゃんが僕にフィルムスを紹介してくれて、そこには、ブラボー小松、坂本みつわや外間(外間隆史)がいたりして、すでにわさわさやっていたんです。

ガイド:
赤城さん曰く、「岩崎さんはスタイリッシュな機材と使っていて、何か馬が合うんじゃないか」と。逆に岩崎さんは赤城さんにどのような印象を?

岩崎:
僕は、おしゃれな人だと思いました。ひねりのある話が面白いから、付き合うと楽しそうだなと。

 

フィルムス時代は青春そのもの

ガイド:
振り返ってみて、フィルムスとは岩崎さんにとってはどんなバンドでしたか?

岩崎:
僕は、音楽そのものよりもバンドを続けていく上でのいっしょにやる“遊び”というのが楽しかった。フィルムスは、練習に熱心で、テクニックを目指すバンドではなかったから、いっしょにワイワイやっていくのが、バンドの音になっていくみたいな。メンバーもいっぱいいて、人付き合いも広いバンドだったので、学校でいうと放課後みたいな。学校が終わって、一斉にみんなで行って、食い逃げをするとか(笑)。まぁ、知り合いの店だから、後で払いに行くんだけど。録音で調布のベースに忍び込んで、ガラスを割って、音を録ったりとか。国際基督教大学に夜中に忍び込んで、プールでみんなで泳いだとか。結構、青春ものの世界。
でも、バンドのライヴでは、無理難題ばっかり言ってたんだ忠治は……スクリーンを貼って、破って出てくるステージとかやっていたんだけど。後々、幸宏さんのステージにもアイデアが伝わっていたんだ、オリジナルは俺だと言わんばかりに、忠治は言っていました。

ガイド:
新宿LOFTで1999年10月29日にあった「DRIVE TO 2000」で、フィルムス再結成ライヴが見れたのが僕にとってはいい思い出です。フィルムスは東京でしか活動していなかったので、初めて見るフィルムスでした。どのような経緯であの再結成となったのですか?

岩崎:
2000年になるし、ちょうど20年経ったから、やろうという事位しかなくて。フィルムスとして次のアルバムを作るとかそういう話でもなかったから、とりあえずイベント的に80年代を振り返ろうというだけの話だと僕は思っていました。
そう、あのライヴは、大受けで、タテノリで踊っているお客さんもいたけど、現役時代のフィルムスはあんなに受けた事はなかったです(笑)。当時、フィルムスのお客さんは、クールで斜に構えている感じの人が多かった。「俺たちってこういうバンドだっけ?」と冗談で言っていました。

 

プロデューサー、本間柑治さん

ガイド:
フィルムス脱退後、岩崎さんは、TPOで活動されますね。TPOはPROJECT GREENが母体とありますが、これはどんな集団だったのですか?

岩崎:
PROJECT GREEN自体は、僕はやっていないのですが、PROJECT GREENをやっていた本間柑治さんを紹介されて、『Honma Express』とか凄い成熟したサウンドをやっている人がいるんだなぁと思って。フィルムスのプロデューサーを本間さんにやってもらったらと、多分、僕が忠治とかに引き合わせたのです。それ以降も本間さんとの付き合いは続いていき、TPOのプロデューサーも。なおかつ、ROLANDのコンテストで知り合った安西君(安西史考)とはずっと付き合いがあって。本間さんはヨーロッパ的なセンスもあって、遊び友だちとしてもいいなと。PROJECT GREEN自体は、直接フェアライトとは関係がなかったのかなぁ。TPOの形になった時に、本間さん、安西君、天野君(天野正道)、あと僕の後輩で福永君(福永柏)でフェアライトで何かをやるという意識で始めました。

TPOのためフェアライトCMI修行

ガイド:
tpo1

TPO1

TPOの『TPO1』(1983年)ではフェアライトCMIが使われる訳ですが、岩崎さんは修行のためにシドニーに行かれていたんですよね。どのくらいの期間、そしてその間、どのような感じで修行されていたんですか?

TPO1 (Amazon.co.jp)

 
岩崎:
3週間です。その期間に使い方を覚えて、持ってかえってきました。

ガイド:
フェアライトCMIを日本に持ち帰ったとの事ですが、今はiPhoneのアプリになっていますが、フェアライトCMIは大変高価な機材で、当時1200万円くらいと聞いていますが、それ買っちゃったんですか?

岩崎:
もちろん、僕じゃないです。スポンサーがいて、TPOをマネジメントするTBS系の会社がお金を出すから、手に入れようと。僕に1,200万円あったら、違う事に使っています(笑)。フェアライトの評判は聞いていたので、このプロジェクトには強く関わりたかったという事は強く思っていた記憶があります。

ガイド:
フェアライトCMIを先んじて使っていた人たちとしては、Buggles、Art Of Noise、YMOあたりを思いだすのですが、岩崎さん自身は、どうしてフェアライトCMIを使ったサウンドをやろうと思われたのですか?

岩崎:
一つには、それまでのシンセサイザーが飽和状態になっていたとうのがありますよね。新しい切り口で電子音楽を作れるものと思いこんだのです。

後編へ続く)

【関連リンク】
フィルムスの謎~赤城忠治 (All About テクノポップ)
誰も書かなかったFILMS
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。