親子は一世、夫婦は二世……

歌舞伎の中で何度も登場する、ある価値観があります。それは親子、夫婦、主従(かぶきでは“しゅうじゅう”と読みます)の関係です。これらが人の行動を制限もし、時に悲劇を招きます。こうした価値観を理解しておくことでお芝居を見ていて、現代人から見るとわかりづらい行動も納得できることが増えると思います。
  • 親子は一世
    親と子はこの世限りの関係だ、ということです。
  • 夫婦は二世
    夫婦はこの世と、来世でも縁が続くということを意味します。
  • 主従は三世
    主従は過去、現在、未来にわたって続くほど縁が深いものであるということです。
たとえば「平家女護島(へいけにょごのしま) 俊寛」という芝居では、海女の千鳥という娘が「親子は一世、夫婦は来世があるものを」と夫婦関係を優先して、義理の親となった俊寛が犠牲になる事を悔やみます。夫婦はこの世で悲しく離ればなれになったとしても、来世で添い遂げる事ができるのに、この世限りの縁の親を犠牲にしてしまったという悔やみになります。

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菅原伝授手習鑑 桜丸切腹

恋人同士の会話で「二世を誓う(にせをちかう)」という言葉もよく出てきます。これは要は結婚の約束をする、ということです。また死に別れる夫婦が「未来永劫夫婦じゃ」という言葉もあります。ふつうなら来世までの縁だけれども、何度生まれ変わっても夫婦になろうという深い愛の言葉だと言えます。

そして主従です。この過去にも恩義があり、現世でも恩義があり、さらに未来でもお世話になる相手に対する忠義の観念は、ひとびとを固く縛りつけて、芝居の中で大きな悲劇を巻き起こすことがたいへん多いのです。
「そんな馬鹿な!」と思うのが現代人の感覚でしょうが、時として会社のために犯罪に手を染めたりすることが現代でも起きています。必ずしも過去の価値観だと切り捨てることはできないかもしれません。

ここで視点を変えると面白いのは、歌舞伎の中ではこの価値観のために親、子、恋人たちを犠牲に忠義を守るといった悲劇がたびたび物語られます。表面的には忠義を礼賛するようにも見えるため、今のお客様の中にも「こんな芝居には共感できない」と憤っている方や、「私はどうしても感動できない」と不審顔の方も多いようです。

しかし、果たしてそうなのでしょうか。

たとえば忠義を描いた代表作「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」の九段目では加古川本蔵という侍の言葉として「忠義ならでは捨てぬ命。子故に捨つる親心。(ちゅうぎのためには捨てられない命も、娘のためになら捨てられる)」という画期的な科白が出てきます。
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忠臣蔵九段目 加古川本蔵


つまり、裏を返せばそうした価値観が悲劇を招いている、という芝居作者たちの告発のようにとらえることもできます。表向き、幕府の規制がある時代ですから、正面から忠義を批判する事はできません。私はそこに江戸の人々のしたたかさを感じます。つまり、忠義のために死ぬ、という「美徳」を描くように見せながら、実はその価値観が人を幸せにしないシステムであることを批判している、とも見ることができるのです。これだから芝居は面白いのです。


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