"うだつ"が上がった商家が連なる街、脇町へ

脇町の地図

今回の行き先は【徳島】
"うだつ"が上がった商家が連なる街、脇町へ

時の流れに乗ってめまぐるしく変化を続けていく現代社会。そんな中で、昔ながらのものを大事にしている所が日本国内にはたくさんあり、そのうち100ヶ所以上の地域が文化庁より重要伝統的建造物保存地区に選定されています。

今回は重要伝統的建造物保存地区の選定を受けている場所の中から、徳島県にある脇町の町並みをご紹介します。

吉野川の水運により発展した商家が連なる町並みは、静かですが見応えがあり、現代でも時々使われる言葉「うだつが上がらない」の語源になった、あの"うだつ"も見られますよ。

 

藍染めの藍の商いで賑わった脇町

脇町の町並み(1)

古くは江戸時代の建物も残る脇町の町並み(2009年8月撮影)

脇町(Yahoo! 地図情報)は、徳島県の北側中央部に位置する街です。街の南側を「四国三郎」の異名を持つ吉野川が東西に流れていて、県庁のある徳島市からも車で1時間ほどの距離です。

2005年には近隣の美馬町、穴吹町、木屋平村と合併して美馬(みま)市脇町となりました。

 

脇町の町並み(2)

うだつを持つ家が並ぶ脇町の町並み(2009年8月撮影)

脇町の歴史を紐解くと、鎌倉時代以降に城下町としての街造りが始まったのが最初と言われています。

戦国時代に豊臣秀吉の家臣、蜂須賀小六(正勝)の息子である蜂須賀家政が阿波国(現在の徳島県)を治めるようになった後、吉野川の水運と鳴門や高松へ抜けられる陸路の交通の良さが買われて、阿波国の特産である藍染めの藍を取り扱う商家が軒を連ね、多くの人々で賑わいました。

時代は移り変わり、明治中期に徳島までの徳島鉄道が開通すると、人や荷物の流れは鉄道のある吉野川の南岸が中心となり、北岸にある脇町は昔ながらの町並みを残したまま、静かな街に変わっていきました。

そんな昔ながらの町並みを後世に引き継ごうという機運が高まったのは1984年(昭和59年)のこと。市街地景観条例の整備などを受けて、1988年(昭和63年)に徳島県では初めて脇町南町が文化庁より重要伝統的建造物保存地区に選定されました。その後は町並みをしっかり保存しつつ、その景観を観光資源としてPRに努めています。

 

それでは、脇町の町並みをゆっくりと歩いてみましょう。あの言葉の語源になったものもはっきりとわかりますよ。次ページに続きます。