いろいろな魅力的な演目がありますが、歌舞伎をはじめるには最適な演目というのが幾つかあります。これから歌舞伎を見てみたい、という方のためにタイプ別にオススメの演目をご紹介していきます。第一弾は、人間の深層をえぐるホラーの傑作「四谷怪談」です。

第一弾は鶴屋南北の大傑作「東海道四谷怪談」です。

人間の深層を抉るドラマ「東海道四谷怪談」

とうかいどうよつやかいだん

東海道四谷怪談


■こんなあなたにオススメ

  • 江戸庶民の生活に興味がある
  • ドロドロした男女のドラマが好き
  • 映画「キャリー」など、怖いだけではないホラーが好き
  • ひとの悪意を正面から描いたハードな作品が好き

魅力を3つのポイントでご紹介

四谷怪談の魅力はたくさんありますが、ここでは3つにポイントを絞ってご紹介します。その3つとは次の通りです。

  • リアルな生活感
  • 超有名作品のスピンオフ
  • 実は哀しい物語

■魅力(1) リアルな生活感
南北という作者は~江戸文化が成熟しきったころのひとで、ちょうど今の東京のように、どこか退廃的な空気が漂っていたのでしょう~ただ綺麗なだけの人間像を描くことはしませんでした。

四谷怪談で描かれる世界は、江戸の決して豊かとはいえない生活を送った人々の暮らしをリアルに描写しています。社会の下層に生きるひとびとの、綺麗事だけではすまない姿や、富裕層に属していても心が病んでいる人々などが生き生きと描かれるのが魅力です。今の日本に生きる私たちだからこそ、この作品の魅力を存分に味わえる。そんな気がしてくるはずです。

ろうにんぐらしのささえにかさはりのないしょくをするいえもん

浪人暮らしの支えに傘張りの内職をする伊右衛門


■魅力(2) 超有名作品のスピンオフ
実は四谷怪談は、歌舞伎の中でも名作中の名作「仮名手本忠臣蔵」のスピンオフ作品なんです。忠臣蔵は「美しく生きた人々」が数多く描かれた作品です。ところが、南北というひとは、その世界の裏側にはこんなにドロドロした人間模様が渦巻いていたんだという皮肉なスピンオフ作品を書いた、というわけです。

お岩さんを酷い目に合わせる主人公・民谷伊右衛門は、なんと赤穂藩~忠臣蔵の世界では塩冶(えんや)家~に仕えていた侍という設定。そして、こともあろうに吉良家~芝居では高野(こうの)~の家臣の娘と結婚するために、お岩さんを見捨てるわけです。

忠臣蔵事件で、実際に討ち入りに参加した浪士はわずか47人。南北は、その討ち入りに参加しなかったひとたちにスポットを当てて「ロクなもんじゃねぇ」と切り捨てているかのようです。初演では、実際に「仮名手本忠臣蔵」と「四谷怪談」を場面ごとに交互に上演して「表と裏」を克明に見せたそうです。この力強さと、現代に通じる皮肉な視線が、いまの私たちにとっての南北の魅力と言えそうです。

■魅力(3) 実は哀しい物語
四谷怪談というと、どうしてもホラーの側面がイメージされてしまうと思いますが、それは決してメインの要素ではないんです。むしろお岩さんという女性の純粋さゆえの悲劇が実に丁寧に描かれているのが、この作品が傑作とされる理由だと思います。

おいわさんのゆうれいになやまされるいえもん

お岩さんの幽霊になやまされる伊右衛門


伊右衛門は徹底したリアリストです。食べるため、自分の欲望のためには義理や人情というものを平気で犠牲にする。現代でも、そんな生き方をする人がいます。一方、お岩さんは逆で、義理や人情を大切にして、「武士の娘」を矜持として、自分に恥ずかしくなく生きるということを大切にする女性です。

平和な時、豊かな時代にはこの二人も仲の良い夫婦でいられたはずです。ところが、お家取りつぶしと前後して伊右衛門とお岩さんの生き方、価値観のズレが大きな音を立てはじめる。

単なる怪談話としてではなく、現代人の私たちの胸にこそ迫ってくる物語なんです。きっと、南北という作者の鋭い批評性に驚かれると思います。
 

ここが見どころ!

■見どころ(1) これからは若手が傑作に挑戦していく
今後はこの傑作に、次の時代を担っていく若手役者さんたちが挑戦していくことになります。

実はお岩さんの役は、もともと尾上菊五郎家の当たり役でしたが、当代の菊五郎は手掛けておらず、その長男である菊之助は初演では坂東玉三郎の指導を仰ぎました。
また十八代目勘三郎もお岩さんを当たり役にしており、その長男の勘九郎も一度上演し大成功をおさめました。今後、誰がどのようにお岩さんを演じるのかも注目で、歌舞伎ファンはかなりワクワクしているポイントです。

またこうした芝居を同世代の役者が競演していくはずですから、役としてのぶつかり合いだけでなく、おのずとライバルとしての火花散る競演にもなるはずです。

■見どころ(2) 歌舞伎のSFX
四谷怪談では様々な特殊効果もみどころのひとつです。
お岩さんの顔が変わってしまう場面。その後の「髪梳き(かみすき)」と呼ばれる、お岩さんが身だしなみを整えようと髪を梳きますが、そのたびに髪の毛がゾロリと抜け落ちていくゾッとする場面や、その髪の毛から血が滴り落ちる場面など、とにかく江戸時代の「最新技術」が大活躍します。

そのほか、隠亡掘(おんぼうぼり)という場面では、戸板の表と裏に括りつけられて流されたお岩さんと、同時に殺された小仏小平(菊之助がお岩さんと二役)が早替わりで伊右衛門に恨みを述べる場面。さらにそこからあっという間に佐藤与茂七(菊之助)に変わって出てくるなど、役者の早替わりもビックリされると思います。

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四谷怪談「隠亡掘の場」


さらに「提灯抜け」と呼ばれるお岩さんの亡霊の登場シーンや、赤ん坊が一瞬で石地蔵に変わってしまう恐ろしい場面もあり、そうした特殊効果シーンだけでも、みどころ満載と言えます。

■これが初歌舞伎のあなたは、超ラッキー!
もちろん、見る方の好みは大切ですが、初めて見る歌舞伎としてこの作品が選べるというのは、かなりラッキーだと思います。実力をつけてきている若手花形(しかもみんな綺麗)で、ストーリーも演出も分かりやすく、しかも現代の私たちにも訴えかけてくるテーマを持った作品をご紹介できるのは私も嬉しいです。

歌舞伎の演目は、そこそこ上演回数の多いレギュラー作品だけでも700もあると言われます。「四谷怪談」については、当代では演じる役者さんも多くないので、初めての歌舞伎でこの演目に出会えたら、かなりな幸運です。ぜひぜひ、劇場に足を向けて下さい。

■ひとこと
むかしから四谷怪談の上演の際には、役者さんたちはかならずお岩稲荷など、関係各所へのお参りを欠かしません。またお岩さんのことも畏敬の念を持って「四谷様」と呼ぶ方も多いようです。私も日常的にはできるだけ「四谷様」と呼ばせて頂いています。



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