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神戸テクミーで対談(奥右:HIKO)

神戸テクミー(テクノポップミーティング)の3周年記念として、名古屋より、HIKOさんを招き、対談をして頂きました。HIKOさんは、名古屋の80年代シーンの伝説のバンド、ピヴィレヌ(PVLN)の元メンバー。その後、原爆オナニーズ、HIKO’Sを経て、現在はHIKOS! として活動されています。 謎の名古屋シーンをひもとく上でも大変興味深い話が聞けました。 対談の様子をここに記事にしました。

 

ピヴィレヌの結成秘話

ガイド:
今回のインタヴューの前にHIKOさんがいたピヴィレヌに関して調べてみたのですが、かなり謎ですね。HIKOさんのサイトと日本のインディーズについて書いた「HABIT OF SEX」くらいしか細かい事は載っていませんでした。ですから、その謎を明かすためにも、今回、HIKOさんにインタヴューできて光栄です。先ずは、ピヴィレヌの結成までのいきさつについて教えてください。

【関連サイト】
HABIT OF SEX

HIKO:
kobetechme

神戸テクミーで対談(右:HIKO)

現在はHIKOS!として活動していますが、ピヴィレヌとしての活動は、1978年から2年間ぐらいです。いろいろなバンドのリーダー格が集まってスーパーバンドを作ろうぜということになったのです。テクニックに走らないように、みんな苦手な楽器をやろうということになって、ギターだった僕は、ベースとキーボードになりました。ギターだったキヨト君は、キーボード、ヴォーカルだったマコト君はギター、ギターとヴォーカルだったカンジ君がドラムスになりまし た。とにかく、曲で勝負しようぜと。

ガイド:

ピヴィレヌってかなり変わった名前ですよね。しかも、アルファベット表記は、PVLN。

HIKO:
バンド名を何にしようという話になって、せいので自分の一番好きな音を出してみようということになりました。僕が、「ヴィ」と言って、他の3人が「ピ」「レ」「ヌ」と言って、何度が並び替えてみて、これは「ピヴィレヌ」しかないだろうと。だから、意味は無いです。

ピヴィレヌの活動拠点

ガイド:
あ~そういうことだったんですね! でも、この子音だけの表記の仕方、20年くらい先を行っていますよね。以前、名古屋でDJ~イベント活動するホンダトロンさんから、ピヴィレヌの名前は聞いていました。彼曰く……
NW、 テクノポップに限っていえば、まず幕開けを飾るのが「ピヴィレヌ」。ファーストアルバムが自主製作盤だったため、地元に熱狂的ファンを持つも大きく外に出 て行く事はありませんでした。彼ら唯一、しかも500枚しか存在しないこのアルバムは楽曲のクオリティーも高く、すばらしいPOPアルバムです。有頂天のケラさんはこのアルバムを手に入れた時、泣いて喜びました。

HIKO:
ケラさんの話は全然知りませんでした。このバンドの時は、愛知県内だけで活動していました。

ガイド:
バンドのメンバーのやっていた音楽ジャンルは共通していたのでしょうか?

HIKO:
いえ、バラバラです。みんな、オリジナルというよりコピーをやっていましたが、例えば、The Whoとか……これから自分の曲でやろうぜということで。各自が5曲ぐらい提出して、選んでいくんですね。残った曲が20曲ぐらいあって、その内の10曲ぐらいをアルバムにまとめました。だから、後2~3枚は作れたのですけど、解散しちゃいまいた。

ガイド:
当時、大須のElectric Lady Land(ELL)が名古屋のシーンのベースにあったのですよね? ELLがピヴィレヌの活動拠点だったのですか?

HIKO:
はい。ELLは、最初の工事中から入り浸っていました。トンカン手伝ったり。僕たちの溜まり場でした。

 


ピヴィレヌ唯一のアルバム?

ガイド:
one

One

ピヴィレヌとしての唯一のアルバム『One』は、1980年にリリースですが、これは、ELL-001となっていますから、レーベルとしても第1弾として力を入れてくれていたんですか?

HIKO:
はい、でも、プレス代は自分たちで出しました(笑)。マスタリングは、東京まで行って、東芝EMIスタジオでさせて頂きました。

ガイド:
「コンピューター占い」や「あやつり人形」は、スピード感があるニューウェイヴ的サウンドが基本にして、パンクでありつつも、当時のテクノポップ的な要素も歌詞やアレンジも取り入れていますよね。

コンピューター占い (YouTube)

HIKO:
ぶっちゃけて言いますと、みんなが好きだったのは、エルビス・コステロ、XTCとか、そしてパンク系も好きでした。僕は、ジェネシスやビートルズも好きでした。いろんなのが、4人分ぐちゃぐちゃに混じっていると思います。

ガイド:
じゃ、特に自分たちはニューウェイヴ・バンドだという意識はなかった?

HIKO:
全然なかったです。

ピヴィレヌの勉強部屋

ガイド:
「恋愛」は、アルバムの中では多少異色で、スカですね。やはり、当時流行っていた、スペシャルズとかマッドネスとかのツートーンの影響ですかね?

HIKO:

そうですね。ポリスも好きでしたし。1日6時間くらい、みんな毎日練習したんですよ。先ずは、おばあちゃんを騙して、勉強したいから、勉強部屋を作ってくれと言って(笑)。それをみんなでスタジオのように大改造して、こもったのです。

ガイド:

「みんなのうた」には、メディアに対するちょっと皮肉ったメッセージがありますね。バンドとしてどういうメッセージを出そうというスタンスとはあったのですか?

みんなのうた (YouTube)

HIKO:

ひねくれ者が集まっただけです。反体制的な。

ガイド:
「モンゴル」っていう不思議なタイトルの曲が入っていますね。どうして、モンゴルなんですか?

HIKO:
西洋だけではなくて、アジアに目を向けたいと。壮大なモンゴルをイメージしたのでしょう、やつは。 ちなみに歌は全曲、この勉強部屋で録っています。

ガイド:
アルバム最後のインスト曲「‘」は異色ですね。こうして、全曲を聴いてみると、ポップでロックンロールしつつも、実験的要素もあって、不思議な感触がある作品ですね。

HIKO:
これは、元々曲じゃなかったんです。エンディングで変な事をやろうとして、キヨト君が弾きながら、僕がウィーンと回転を変えていったんです。おまけですね。

ガイド:
ピヴィレヌは、このアルバムの発売の年に解散となる訳ですか? これからって感じがするのですが、どうして?

HIKO:
ケンカしました。毎日、狭い部屋に6時間も一緒にいると、イライラして、どうしても仲違いするじゃないですか。でも、今は仲いいですよ。

 


原爆オナニーズの結成秘話

ガイド:
HIKO’Sに平行する形で、HIKOさんは、有名なパンクバンド、原爆オナニーズのオリジナルメンバーでもあったんですよね。こちらは、The Star Clubのメンバーが多かったんですよね。名前の由来や結成秘話とかあれば、教えてください。

HIKO:
ピヴィレヌを辞めて、The Star Clubのメンバーとも付き合いがあったもんですから、そこから3人とバンドを組んだんです。また、変なことを考えて、それぞれがリーダーになって、それぞれのバンドを作ろうぜということになったのです。僕がやる時は、HIKO’S。リョウ君がやるバンドは、バリバリのパンクにしようということになっ て、僕とリョウ君で名前を考えていたんです。ものすごくインパクトのある名前にしようと。僕が、「原爆」と言ったら、リョウ君が、「オナニー」かなぁって。オナニー原爆ではおかしいから、原爆オナニーズにしようと。だから、ツアーに行くと、4人で4つのバンド演奏が出来ました。

ガイド:
原爆オナニーズをよく知っている訳ではありませんが、名前にインパクトがあるから覚えてしまうんですよね。この手の名前の先駆けですよね。

HIKO:
その点は負けていないと思います。

ガイド:
その後、脱退されたのですか?

HIKO:
いや、自然消滅に近いです。徳間ジャパンからデビューという話もあったんですけどね。リョウ君がスターリンに引き抜かれたり、いろんなことがありました。

ガイド:
でも、メンバーが変わって活動は続いたのですか?

HIKO:
原爆は他の人達に引き継がれたのです。名前を譲ってくれと言われて、じゃ、「THEをつけてどうぞ」ということになったそうです。

HIKO’Sとしての活動

ガイド:
今回のHIKOさんにまつわる音源は、レコゲバさんに提供して頂いたのですが、HIKO’Sとしては、「オーベビーすさんできたね!」や「ヴァイヴレーション」がありますが、どのような形でリリースされたのですか?

HIKO:
hikos

HIKO'S

ELLレーベルから3曲入りで。ELLのオムニバス盤にも2曲、入っています。それを全部持っているスウェーデン人(上記 HABIT OF SEX の管理人)がいて、僕の持っていないのもコレクションとして持っているんです。

 

キース・バラットとの出会い

ガイド:
HIKO’Sと原爆オナニーズとしての活動後、ヒコ&キースとして活動されますが、キースさんとは、どのようなきっかけで?

HIKO:
キース・バラットという人で、背が凄く高くて、リズムボックスとか使って、一人でクネクネ踊りながらライヴをやっていたんです。意気投合して、一緒にやろうかと。

ガイド:
ヒコ&キースとしては、リリースされたのですか?

HIKO:
seppun

接吻

キース・バラットとしてのシングルを2枚、手伝いました。それも持っているんですよ、スウェーデン人(笑)。ちなみに、これも勉強部屋で録ったんです。

 


ガイド:
勉強部屋、大活躍ですね。HIKOS!として、2011年に約27年の歳月を経て、再始動となったわけですが、その訳は?

 


HIKOS! として再始動

HIKO:
飲食店をやるために名古屋に戻って来て、ボトムラインの社長さん達から、「震災のチャリティーイベントをやるから出て!」と言われたんで す。「無理!」って答えたら、怒って帰っちゃったんです。でも、また来てくれて、「やっぱり出てよ!」と言われて、 「無理!」って答えたら、また怒って。3回目来てくれたので、もうやるしかないと、急遽メンバーを集めてやらせて頂きました。

ガイド:
怒る割には粘り強い人ですね(笑)。

HIKO:
3回も言われたらね。お陰で復活したんですけど。

ガイド:
kingyo

Kingyo

で、HIKOS!として『KINGYO』というアルバムも出されたんですね。バンドのメンバーの方はどうしたんですか?

 
HIKO:
録音は、基本僕一人です。ライヴメンバーは、他に4人います。

ガイド:
録音は勉強部屋じゃないのですか?

HIKO:
これはもう違います(笑)。名古屋で出したお店で録っています。

ガイド:
「Vibration」は、HIKO’Sの時の曲ですが、新たに作った曲も入っているんですか?

HIKO:
はい、リズムボックスも使った「Don’t Kill」など、この数年の曲が主体です。80年代に録った曲も1曲だけ入っています。

HIKOS!復活祭

ガイド:
6月にぶどう÷グレープさんと一緒にライヴとか聞きましたが。

HIKO:
一応、タイトルが「HIKOS!復活祭」。ぶどう÷グレープの永井さんがそうした方がいいと言ってくれたのです。新しい曲と古いのと半々くらいで考えています。

HIKOS!復活祭
hikosfukkatsusai

HIKOS!復活祭

ゲスト:ぶどう÷グレープ、DJ ホンダトロン、レコゲバ
場所:名古屋 大須 ell.SIZE
日時:6月22日(土) 
OPEN 18:30 START 19:00 
前売り¥2,500 当日¥2,800 (ドリンク別)

 


ガイド:
今回のイベントにDJとして出られるレコゲバさんから、Reality、TRiPSと云ったバンドについても訊いて欲しいと。この辺りの人達もELLでやっていた人達なんですか?

HIKO:
ELLでやっていましたし、勉強部屋で練習していました。勉強部屋で録音もしましたが、その後僕がスタジオを持った時にも、録音してもらいました。

ガイド:
今日は、長い間、HIKOさん、お話ありがとうございました!

【関連リンク】
HIKOS! Official Site (facebook)
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