金魚との出会い「金魚を描くことは自分の原点回帰」

金魚美術作家・深堀隆介さん
「水面という壁を通してむこうの世界とこっちの世界があって、魚の世界には何か得体のしれないものがいるという感覚がありました。水面というものを一つの境界として水面のむこう側の別の世界を見ていたんです。だからコップの水でさえもむこう側の世界の切り抜きに見えて、子供の頃からドキドキしていた感覚があった。小学校の作文では魚類になりたいとかも書いていて、水の中の生物に自分を投影していたんでしょうね。自分のアイデンティティを探していくことがアートの作業でもあるので、金魚を描くことは子供の頃を思い出し、その時代に戻るというか、自分の原点回帰みたいな部分があります」

深堀隆介さんの代表作「金魚酒」シリーズの一つ
「会社を辞めてアーティストになろうと思ってやりだしたのに、先行きは全く見えない状況でした。大学ではアートの素地、考え方は勉強したのですが、外に出てみると自分は何の技術も持っていないことに気付かされたんです。自分の作風も考えてなかったし、作ってこなかった。想いだけではじめてはみたものの、実際作家活動をやってみても全く反応がない。その時26歳でしたが、そのうち自分には何もないんだと思うようになり、自信がなくなっていました。そういう悩みをずっと抱えていて、作りたいものが作れなくなり『もうやめよう。僕は、また就職した方がいい』と思いかけたギリギリの時、金魚に救われたんです」
作家として挫折しかけた時に起きた「金魚救い」

深堀さんの作品が評価を得る前には、作家として挫折しそうになった時もあった
「ある時、部屋の水槽から『ブクブク』という音が聞こえてきて、見たら7年間飼っている金魚が目に入ってきた。その時水槽の蓋をあけて上からその仔(金魚)を何気なく見たんですが、初めて金魚を美しいと思った。そのとき初めて金魚の美に気付いたんです。値段で言ったら一番安いであろう素赤の和金で、水替えもろくにしていない汚い水槽の中に、赤く光る背筋がとても美しくて、どんな高価な魚よりも僕には美しく見えた」
「その仔は20cmぐらいの大きさで25cm程度の小型水槽にいたので、身動きがとれないような状態でした。7年前に金魚すくいの残りの金魚を数えられないくらい大量にもらったなかの一匹で、他の金魚がどんどん死んでいく中、餌をずっとあげなくても、どんな状況であっても死ななかったすさまじい生命力の仔でした。高価で美しい金魚は世の中にたくさんいますが、あの仔が僕にとっての金魚なんだと思いますね。その仔の最期は眼も両方見えなくなってボロボロな姿だったんですが、その姿も含めて僕にとっては金魚そのものなんです」

金魚の新たな表現方法を模索する中で深堀さん独自の技法は生まれた
「当時、まだ名古屋を活動の拠点にしていたのですが、東京で僕の金魚の作品の個展を開いた記念すべき日に、その仔(金魚)は死にました。金魚は飼い主に幸福を与えて死んでいくということがよく言われるのですが、本当にそんな気がします。不思議なことに僕の節目節目に可愛がっていた金魚が死んでいくんですよね。 僕に幸福を与えて死んでいく。あの仔も僕に力を与えてくれたんだと思っています」
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金魚を表現するために考え出した独自の技法

「金魚絵師」とも呼ばれる深堀隆介さん
「それまで僕が作ってきた作品たちが全然羽ばたかなかったのに、金魚の美に気付いてから作った金魚の作品は、自分の手から離れて勝手に進んでいくというか、僕の知らないところでどんどん進んで泳いで行ってしまう感じでした。当時はまだ金魚救いという言葉は使っていなかったのですが、僕が金魚に救われたと感じるようになって、金魚ってすごいな、金魚って奥深いなと思ったんです」
「金魚が中国で出現して1500年ですけど、その間、人間が飽きずにずっと作り保ち続けてきた。日本だけでも500年続いているわけです。その事実だけを見ても、金魚には人間を1500年間も惹きつける秘密があると思った。もっと言えば人間と金魚の関係の間に僕ら人間を解き明かす秘密があるんじゃないかとも思えた。それで、それからは金魚一本に絞って、金魚と人間との関係を作品で表わそうと思ったんです」
横浜のアトリエ「金魚養画場」にて創作活動に打ち込む
「作家になって生きていくなら、自分の技術を確立しないと生きていけない。自分だけの技術が欲しいとずっとそう思っていました。それである時、造型屋さんでアルバイトをしている時に扱った経験のある樹脂を使おうと思ったんです。樹脂はみんなが使える訳じゃないし、僕にはその経験があったから、その樹脂の技術を応用してみようと思った。最初は樹脂に自分で描いた金魚を透明フィルムにプリントして流し込んだんですが、どうも見た目でフィルムを入れたなっていうのはわかってしまい、美術作品としての完成度もイマイチ甘いなぁと思っていた。それで『そうだ!これは描けばいいんだ』と思ったんです」
「僕は絵の具が樹脂に溶けると思っていたんですが、絵の具を入れて次の日見たら、絵の具が溶けずに綺麗にそのまま固まっていた。『これだっ!』と思いました。当時はどうやって作っているか誰も知らないので、これはどうやってやったんだとか、驚かれ方や反響は今以上にすごかったですね。ただ、僕が描く金魚は描写というよりは、その時の自分の内面を金魚で表現しているだけで、いわゆる写実ではありません。みなさんは僕の作品を見てリアルだと言ってくれますが、 実は僕の内面を金魚で描いているんです」
世界に拡がる「日本人・深堀隆介」の世界
ドイツでも好評を博した深堀さんの個展
「この技法は金魚を表現するために生まれたんです。金魚は歴史的にみると、もともと上から見るものですよね。そういう意味でも上から見せるのに効果的な技法なんです。だから、僕はこの技法は金魚を描くことが一番コンセプトとして合うと思うし、僕の中では意味がある。金魚を表現するためにこの技法を発想した過程があるわけです。あの枡の金魚には、僕の内面の感情、そして技術としての新しいアプローチ、すべてが一体となってピタッとくっついているんです。そういう意味では自分で言うのはなんですけど、完成度が高いと思っています」

ロンドンのガラクタ市にて購入した煙草の缶を使用した作品
「日本人にとって金魚はある種特別なんですよね。香港の金魚街なんかに行っても大半が熱帯魚だったり、金魚と熱帯魚が半々ぐらいで、店に混在して売られているんですが、日本人にとって熱帯魚と金魚の間には、はっきりと分けられている大きなラインがある。このラインの存在を僕は表現したい。だから、金魚を描くということに意味があると思うのはそのラインの存在を表現することにも繋がってくるし、『日本人とは何か』ということにも繋がってくる。 日本の金魚すくいを夜店でやるという文化の影響は大きくて、あれは世界のどこにもない文化なのですが、金魚すくいのお陰で誰もが一回は金魚を飼ったことがあると思うんです。我々のアイデンティティの中に金魚はかなりの割合で入り込んでいると思っていて、それが僕が金魚をテーマとする理由の一つです」
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「日本人は金魚であり、金魚は日本人である」

日本古代史についても熱く語る深堀さん
「ちょっと変だと思われるかもしれませんが、僕は『日本人は金魚なんだ』、『金魚は日本人なんだ』と思っているんです。金魚の歴史と日本人の歴史には似たようなところがあって、日本人は金魚すくいをしながら自分たちを投影している側面があると思うんです。中国の金魚は奇抜で、日本の金魚は形も感覚も違うんですけど、日本人は金魚をみて、我々日本民族を感じている部分があるのではないかな。関西では、和金のことを『ヤマト』と呼んだりもしますよね。それが僕が『金魚救い』の時に感じた『自分を見た』というのに通じている。日本人である自分というものを表現するために、金魚を描く。それが金魚をずっと描き続けている理由でもあります」

アートパフォーマンスをする深堀さん
被災地・福島での創作活動を通じて伝えたいこと

「金魚の作品を通じて人を癒せれば」と語る深堀さん
近年、深堀さんは東日本大震災で大きな被害を受けている福島で個展を開いたり、被災された家で金魚の絵を描くなど、被災地においても精力的な活動を行っている。横浜市にある金魚養画場と名付けられた深堀さんのアトリエには、福島県相馬市の養魚場で買ったというキャリコ(琉金)が大きな金魚鉢の中を泳いでいた。
「昨年の4月、福島のお寺から福島で個展をして下さいと呼ばれてからのお付き合いなんです。震災の後の津波の他に、福島は原発という大きな問題を抱えていて、放射能の問題はもちろん、福島に残った方、出て行った方、それぞれ複雑な問題を抱えていらっしゃる。それに対し僕に何ができるかというと、金魚の絵を描くこと以外、何もできないんです。ただ、人間のエゴで作った原発から出ている放射能はみんなを翻弄しますが、同じ人間のエゴで改良して作られた金魚は、みんなを癒してくれます。だから、僕の金魚が少しでも誰かの役に立てればと思っています」
作品を通じて「愛でる」という日本の文化が伝播して欲しい

ドイツでライブペイント中の深堀隆介さん
今後もニューヨークなど海外での個展を控えているという深堀さん。これからの金魚作品を通じた夢についても語って頂いた。
「海外での個展が多くなってきているので、海外の人にもこういう日本人がいるんだということを、より知ってもらいたいですね。僕の技法は、日本から生まれた日本の文化の一つだと思っているので、この日本文化をもっと世界に知らしめていきたいです。一つの目標としては、例えばブラジルの駅に僕の金魚の絵が描かれていたり、世界の様々なところに僕の金魚が泳いで行って欲しいと思っています。NASAのロケットに僕の金魚を描いて宇宙まで行って欲しいという壮大な夢もあります(笑)」
「あと、僕の金魚(作品)を観てくれる人に対しては、見て楽しんで純粋に愛でて頂ければと思っています。『愛でる』ということはすごく良い言葉で、盆栽などにも通じる心ですが、日本の文化の一つだと思うんです。僕の作品を楽しんでくれて、かつ、大切にしてくれて、作品を通じて『愛でる心』が伝播していってくれれば良いなと思いますね」
最後に「深堀さんにとって金魚とは何か」を尋ねると、少し考えた後、こう答えてくれた。
「難しいですね。本当に言葉では言い表せない。つかもうとしてもつかめない、追いかけては逃げていくような存在かな。金魚とは何か、逆に僕が教えて欲しいです」
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金魚美術作家・深堀隆介さん作品 Webギャラリー
ここでは、深堀隆介さんが制作されたこれまでの代表的な作品の数々をご紹介します。
※関連リンク:Goldfish Salvation Riusuke Fukahori
世界が感嘆した深堀隆介さんの作品制作中の動画。必見です!
深堀隆介さんの作品集「金魚養画場」
樹脂を使った独自の技法で制作した作品群をはじめ、絵画や着物、アートパフォーマンス等、10年にわたる深堀さんの活動を一挙に公開した作品集。
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金魚美術作家・深堀隆介さん
深堀隆介(ふかほり りゅうすけ)さんプロフィール
1973年、愛知県生まれ。愛知県立芸術大学美術学部デザイン専攻学科卒業。会社を退職後、制作活動を始める。2000年のスランプ時に、7年間粗末に飼っていた金魚に初めて魅了されて以降、金魚の絵を描き始める。2002年からは、器の中に樹脂を流し込み、その上に直接金魚を描くという独自の技法で作品を発表。その後は、金魚を通してジャンルにとらわれない多才な表現を試みている。2003年ターナー・アクリル・アウォード今井祝雄賞。2006年第9回岡本太郎現代芸術大賞展入選。2012年PERSPECTIVE 40under40受賞(香港)。2007年に横浜市にてアトリエ「金魚養画場」を開設。2008年以降は日本はもちろん、ドイツ、イギリス、アメリカ、香港など世界の国々での個展開催、フェアへの参加多数。
※関連リンク
金魚養画場(深堀隆介オフィシャルサイト)
金色ノ鮒(深堀隆介さんのブログ)
Goldfish Salvation Riusuke Fukahori(制作の様子が見られる動画)
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