村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

前作の『1Q84』と比べて、ストーリーはシンプル。

鉄道会社で駅舎の設計をしている多崎つくるには、高校時代にボランティア活動を通して仲良くなった4人の親友がいました。彼らは苗字に含まれている色からアカ、アオ、シロ、クロと呼ばれていましたが、つくるだけ名前に色彩を持っていませんでした。大学二年生のとき、突然、4人はつくると絶交します。理由はまったく思い当たりません。36歳になったつくるは、恋人の沙羅にすすめられ、4人ともう一度会って話そうとします。タイトルそのままです。

語りは三人称ですが、つくるのナイーブで傷つきやすいキャラクターはいつもの村上春樹の「僕」っぽい。『ノルウェイの森』の直子を思わせる女性も出てくる。他の作品を想起させるモチーフや、得意の比喩もふんだんに散りばめられています。

鴻巣友希子さんの書評では、登場人物の名前が色という共通点があるポール・オースターの『幽霊たち』に言及していました。灰田(グレイ)と緑川(グリーン)が出てくる話が印象的ですし、『幽霊たち』を思い出す読者は多いでしょう。

つくるが名古屋出身で名古屋についての記述が多いことから、わたしはトラベルエッセイの『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』も連想しました。

 

 



失われた世界・名古屋

僕は思うんだけど、名古屋という場所の特殊性は、そこが押しも押されぬ大都市でありながら、どこかしら異界に直結しているような呪術性をまだ 失っていないところにあるんじゃないだろうか。で、その「異界」とは何かっていうと、結局のところ僕ら(つまり名古屋市民のみならず普遍的な日本人である 僕ら)自身の内部にある古典的異界=闇なんですね。

要するに名古屋というエリアは、メスの入っていない手つかずの状態で、外界から忘れられたまま、コナン・ドイルの「失われた世界」的に孤立進化してきたと言えるかもしれない。
出典:『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』「失われた世界としての名古屋」
著:村上春樹、都築響一、吉本由美 文藝春秋刊 2008年
ちなみに、元親友の所在を調べてくれた沙羅が、4人のうち2人はずっと名古屋にいるとつくるに報告しながらこんなことを言います。
どちらも生まれ落ちてから、基本的には一歩もその街を出ていない。学校もずっと名古屋、職場も名古屋。なんだかコナン・ドイルの『失われた世界』みたい。
『地球のはぐれ方』で取材したときに得た名古屋のイメージが、本書には反映されているのでしょう。

つくるは子供のころから駅を眺めることが何よりも好き。鉄道会社に就職して、駅を作るという夢を叶えました。魅力的な恋人もいる。順風満帆に見えますが、名古屋から引きずってきた「闇」を抱えていて、他者と深く関わることができない。

つくるが自分の過去と現在のあいだにあるミッシングリンクを埋めて、生の色彩を取り戻そうとする物語。昨年は小説のミリオンセラーがありませんでしたが、早くも100万部を突破しました。 作中に登場するリスト「巡礼の年」のCDもヒット中です。

 



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