「柔よく剛を制す」の象徴的な力士 三重ノ海

日本の伝統的な格闘技の醍醐味は、「柔よく剛を制す」ということだと思います。大相撲でも私は、どちらかと言うと、力ではなく技で相手を倒す、小兵を応援してしまいます。

また、とんとん拍子に出世を果たし、大関、横綱に登りつめる力士よりも、苦労をしながら出世の階段を一歩一歩上って行く力士が好きです。

そういう意味では、第57代横綱・三重ノ海は心に残る力士でした。貧しい家庭に育ち、中学卒業後に一度は就職してから、大相撲の門をたたきました。

入門後も二番出世に甘んじ、入幕を果たしてからも持病の肝臓病に苦しめられ、初土俵から10年以上かかって、やっと幕内優勝を果たし、ワンチャンスで大関に昇進しました。

しかし、大関になってからも、怪我や腎臓病に悩まされ、二桁勝利もおぼつかない状況が続きます。それでも、病気の回復とともに徐々に力を見せはじめ、1979年の7月場所で優勝、31歳で横綱に推挙されました。

横綱昇進後は、2、3場所目に優勝を果たすものの、その後は、怪我や病気などで休場が続き、横綱在位中で15日皆勤したのはわずか4場所、ついに1980年11月場所で現役を引退しました。

三重ノ海は、非力で身長も体重も平凡な力士でした。そんな体格の欠点を補うために、巧みな立ち合いから、強烈な張り手を繰り出し、前廻しを引いての速攻を得意としました。相手に力を出させないで、いつのまにか土俵を割らしてしまうため「妖気のただよう土俵」と称されました。

印象に残る一番

昭和52年11月場所の、輪島戦での強烈な張り手によって輪島に脳震盪を起こさせ、一気に寄り切った相撲でしょうか。いや、実はもっとすごい伝説に残る一番があるのです。

昭和49年秋場所11日目、前頭10枚目だった三重ノ海が前頭6枚目の二子岳と対戦した一番です。最初3分28秒で水が入り、再開後2分42秒でまた水入り、ここで、取り直しとなり、2分49秒で水入り、さらに1分39秒戦って、結局は引き分けになりました。

当時、こんな熱戦は二度と行われないだろうと話題になりました。この場所、三重ノ海は11勝3敗1分でしたが、こんな戦を演じながらも、三賞の候補すら上がらなかったのも三重ノ海らしいエピソードと言えるでしょう。


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