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戊辰戦争で新政府軍の猛攻に耐えた鶴ヶ城(若松城)

会津若松市のシンボルともいえる若松城、地元会津では、鶴ヶ城とも呼ばれ、市民に親しまれています。若松城は梯郭式の平山城で、現在、城跡は鶴ヶ城公園となっていて、再建された天守は若松城天守閣郷土博物館として利用されています。

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NHK大河ドラマ「八重の桜」でも注目の鶴ヶ城(若松城)

 

 

 

 

 

 

会津若松市のシンボルともいえる若松城、地元会津では、鶴ヶ城とも呼ばれ、市民に親しまれています。若松城は梯郭式の平山城で、現在、城跡は鶴ヶ城公園となっていて、再建された天守は若松城天守閣郷土博物館として利用されています。

江戸時代を通じて会津松平家の居城として君臨した若松城の歴史は、中世の南北朝時代まで遡ることができます。最初にこの地に城郭を築いたのは、蘆名氏とされ、当時は黒川城と呼ばれていました。

戦国時代に入り伊達政宗が蘆名義広を滅ぼし、黒川城を手に入れますが、豊臣秀吉に屈します。その後、秀吉の命で蒲生氏郷が会津に入封され、黒川城を100万石の大大名にふさわしい城郭に大改修します。

この時から、町の名を若松と変え、望楼型7重の天守を完成させ、鶴ヶ城と称しました。

江戸時代の初めになり、加藤嘉明が入封し、会津自身で倒壊した天守を今日見られるような層塔型天守に組み直させました。加藤氏が改易の後は、3代将軍徳川家光の庶弟である保科正之が23万石で入封、以後、明治維新まで会津松平家(保科氏から改名)の居城となりました。

若松城は、戊辰戦争で実戦を経験しているお城です。幕末に京都守護職として活躍した、会津藩主松平容保が、家臣とともに若松城に籠城すると、新政府軍が包囲し、新型のアームストロング砲をはじめとした新型兵器で猛攻を加えます。

しかし、若松城は1ヵ月の間、持ちこたえ、援軍を増援した新政府軍はなおも攻めたてますが、遂に落城せず、その後、開城されました。

さしもの名城・鶴ヶ城も明治になり取り壊されましたが、昭和40年に鉄筋コンクリート造の天守が復興再建されました。平成2年には、茶室「麟閣」が本丸の元の場所に移築復元され、さらに、本丸内の干飯櫓と南走長屋が復元されています。

2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公・新島(山本)八重は、会津藩砲術指南役の家に生まれ、女性でありながら戊辰戦争では鶴ヶ城に籠り、最新のスペンサー銃で応戦しました。鶴ヶ城を訪れ、そんな、歴史を肌で感じてみるのも良いでしょう。


■鶴ヶ城(若松城)
住所:福島県会津若松市追手町1-1(会津若松市観光公社)
TEL:0242-27-4005(会津若松市観光公社)
ホームページ:会津鶴ヶ城

※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。

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