糖尿病/糖尿病の経口薬・インスリン

インスリン治療のスライディングスケールとは

インスリンには3つの投与法があります。食事の時のボーラスインスリンと食間や睡眠中の血糖をコントロールする基礎(ベーサル)インスリン、そしてもう1つ、食間や食前の高血糖を補正する"追加"インスリンです。詳しく解説します。

執筆者:河合 勝幸

糖尿病治療におけるインスリン投与法は3つ

インスリン

一言でインスリン投与と言っても、その投与法には3つの方法があります

インスリンには3つの投与法があります。食事の時のボーラスインスリンと食間や睡眠中の血糖をコントロールする基礎(ベーサル)インスリン、そしてもう1つ、食間や食前の高血糖を補正する"追加"インスリンです。

この最後の、食間や食前の高血糖を普通の目標血糖値に戻すだけのインスリンを英語ではサプリメンタル(supplemental・追加の)インスリンと言い、高血糖値に応じて追加するインスリンの投与量を選ぶ方式をコレクション(補正)ファクター(係数)あるいは意味は同じではありませんが「スライディングスケール」と言います。

これらは普通の医学大辞典にも載っていないようなインスリン治療の特別な言葉ですが、そのままコレクション・インスリン(correction insulin)、またはスライディングスケール・インスリン(sliding-scale insulin)と言うこともあります。

これは適切な日本語がないので"追加インスリン"でも"補正インスリン"でもいいのですが、その呼び方が問題なのではなく、その投与量を決めるスケール(尺度、目盛)の選び方が大きな問題点なのです。ここでは意味を明確にするために英語をカナで表記することにします。

ただし、従来はスライディングスケール・インスリンと一般に言われていましたが、最近は英語ではコレクション(補正)ファクターの方を多く目にするようです。

スライディングスケールとは何か……今昔の変化

(c)2010 KAWAI Katsuyuki

私は「糖質制限食」という言葉に違和感を覚えます。糖質食品は砂糖や米だけではありません。ヘルシーな野菜や果物、牛乳も糖質食品だからです。インスリン治療は体に必要な糖質に、見合ったインスリンを対応させることが基本です。(c)2010 KAWAI Katsuyuki

スライディングスケールとは何かと尋ねたら、答える人の年代によって意味が微妙に違います。

1960年代から1970年台にかけて、糖尿病患者は1型、2型を問わず、尿に含まれるほんのわずかな糖(尿糖)を試験紙で調べて、インスリン治療の人がもし高血糖なら、その補正を当時はこれしかなかった効き目の遅いレギュラーインスリンを注射することで対応していました。これが当時のスライディングスケール・インスリンです。

ところが、尿糖はおおむね血糖値が180mg/dlを超すと尿に出る、過ぎ去った過去の数時間の血糖値を表わすもので、レギュラーインスリンを注射する時点やその作用がピークになる数時間先の血糖値とは直接には関連しません。

事によればインスリンが積み上がって重い低血糖を起こすかも知れないのです。これを自動車のバックミラー(つまり、通り過ぎた時点)だけを見ながら、進行方向がよく見えない車を前に走らせる無謀な運転に例えた論文がありました。往時のスライディングスケール・インスリンは「後向き運転」だったのです。

無意味なだけでなく、低血糖/高血糖を増幅する危険もありました。

1980年代以降、簡易血糖測定器の性能が格段に進歩して血糖値が1mg/dl単位で表示されるようになりました。それ以来、今日に至るまで次のような目盛でインスリンを追加するスライディングスケールが世界各国で指導されています。

これは後述するように、いろいろな課題を併せ持っていますが、にもかかわらず、自分で血糖を測定し、自分で評価して、インスリン単位を決めている糖尿病患者にとって、やはり一般的で効果的なインスリン調節法の一つだと思います。表では50mg/dlごとに2単位のインスリン増量になっていますが、米国ではインスリン感受性が高い人は1単位刻み、インスリン抵抗性の強い人は3単位刻みで指導されています。

血糖値(mg/dl)   追加する超速効型(速効型)インスリン
 80~139       0単位
140~200       2単位
201~250       4単位
251~300       6単位
301~350       8単位
351~         10単位

いくつかの注意点を以下に挙げます。

・血糖値が整然と区分されていますが、常に行なっている簡易血糖測定器の誤差は±20%と大きいことに注意しましょう。

・血糖値が199mg/dlと201mg/dlの相違は実際にはありません。それでも2単位の増減があるのはインスリン感受性の高い1型糖尿病者にとってあまりにも大きなものです。

・血糖値の自己評価は規則的な血糖値測定に基づいて行うものです。一度だけの血糖測定では、どのくらいインスリンを調整するかは分かりません。いつも夕食前血糖値が高いのなら、原因は昼食時のボーラスインスリンの不足、あるいはインスリン/炭水化物レシオが不適切である可能性があります。このアルゴリズム(問題を解決するための手順)に基づくインスリン調整の考えを「責任インスリン」といいますが、これはスライディングスケールとは異なる観点です。

・食前血糖値のみがインスリン投与量を決める因子ではありません。これから食べる料理(特に炭水化物)や食前に行った運動量、あるいは食後に予定している運動量、ストレスや病気もインスリンに関与しています。このことは「インスリン治療で現実に直面する難問奇問(1)(2)」で詳しく説明しました。

・就寝前の血糖調整で行うインスリンはこのスライディングスケールの適用外です。上記の(1)をご覧ください。

・スライディングスケールは絶対的な基準ではありません。ひとつの例と考えてください。更に、食前血糖値の数値にかかわらず、補正インスリンの上限を担当医と相談して決めておく必要があります。さもないと低血糖のリスクが高くなります。食事の時のインスリンには補正インスリンとボーラスが加算されますから。

・1型糖尿病者の血糖値が300mg/dlを超えていたらケトン体をチェックするレベルです。脱水に注意しながら補正インスリンを1~2単位増やすことが勧められていますが、これも担当医の指導を受けて行うものです。食間の高血糖をこの追加インスリンで調整するときは、短時間で下がると思わないこと。基本的に5時間後の次の食前血糖に効果が表われるものです。

スライディングスケールからコレクションファクター(補正係数)へ

「スライディングスケールはその場の血糖値に対処するだけなので、パターンマネージメント(つまり、上記のアルゴリズム)で血糖コントロールをすることが大事」という意見があります。例えば、しばしば早朝空腹時血糖値が高いのなら、基礎インスリンの不足が考えられますし、食後なのに低血糖になりやすいとすればボーラスインスリンが多過ぎるのです。

こういう明白なことならだれでもわかりますが、入院患者ならともかく、フリーリビングの日常生活に散在する高血糖、低血糖をトレンドとして見分けるのは決して容易なことではありません。まさに、その時点でスライディングスケールの出番があるのです。少なくとも3日以上同じ傾向が続くのなら、その「責任インスリン」の調整も考えられますが、それだって変えていいのは1~2単位ですし、一度変えたら何度もくり返してはいけません。糖尿病者が日常生活で基本的な基礎インスリンやボーラスインスリンを安全かつリーズナブルに変えるのには、他の要因がたくさんあるので慎重にならざるを得ないのです。

インスリンの調整は「自分が何をしようとしているのか」を本当に理解していないと難しいものです。血糖値に応じた補正インスリンを熟知していても、食間や就寝時の補正レートを上手に変えても、これから食べる食事の炭水化物(糖質)に対応したボーラスインスリンがきちんとできなければ、いつもスライディングスケールを使ったインスリン調整をしなくてはなりません。

以前は日本でも米国でも炭水化物を計算するカーブカウンティングを教えられないまま、見当外れのカロリー制限食にこのスライディングスケールを与えられていたのです。

そのため、高くなった血糖に対症的に追加インスリンを患者が行なっても看護師が行なっても、スライディングスケールを使用することで血糖変動が大きくなって、かえって血糖コントロールが不十分になることが多かったのです。乱高下する血糖値に対応してもうまくいく訳がありません。乱高下しないようにするのです。すなわち、インスリンは高血糖を下げる薬と思わないことです。インスリンは血糖の上昇を防ぎ、一定の範囲に保つ薬なのです。体の中のインスリンはそのように働いています。体は食物のブドウ糖やアミノ酸を小腸で感知すると、素早くインクレチンを放出してインスリンを一次的に強く分泌して血糖上昇に備えます。更に血糖値が100mg/dlを超えればベータ細胞がインスリンを継続的に分泌します。血糖が上がってからの対応ではなく、常に前もって備えるから食後でも140mg/dlを超えることがありません。血糖値が上昇してからのインスリンの後打ちはもともと効果が不確実なのです。食前高血糖への対策は、食事を遅らせる、食事の炭水化物を減らす、食後のエクササイズなどがあり、補正インスリンだけではありません。旧スライディングスケールの難点はそれを無視して一律に追加インスリンを定めたことにありました。

日本でもやっとカーブカウンティングの必要性が認められてきましたから、よりよい血糖コントロールを行うためのコレクション ファクターの利用が容易になるでしょう。

ところで、米・ミネソタ大学の医学部教授らの論文に面白い表現があったのを思い出しました。

スポーツのアメフトで勝つのは、強いオフェンス(攻撃陣)と堅固なディフェンス(守備陣)を持つチームですが、糖尿病マネージメントで成功するのは、強いオフェンス(スライディングスケール・インスリン)と堅固なディフェンス(インスリンアルゴリズム)を備えることだそうです。

フランス人ならNuance!(ニュアンス!)と叫ぶところですね。
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