チャクラに参加したきっかけ

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小川美潮さん、はじめまして。僕はリアルタイムでチャクラを学生時代に聴いていたので、今回このような機会でお話が聞けるのがとても楽しみです。伺いたい事はいろいろあるのですが、今回は、チャクラの2枚のアルバム『チャクラ』『さてこそ』がボーナストラック5曲を追加して10月19日に発売となったので、チャクラ時代のお話を中心に進めていきます。チャクラのデビュー・アルバムは1980年ですが、小川さんはいつごろ、どのようなきっかけでチャクラに参加する事になったのですか?

小川美潮:
中学の頃やみくもに「お母さん私は歌を歌うのよ」と言ってみたり、高校を卒業する頃、新聞で東京キッドブラザーズの募集を見てオーディションに行ったりと、心の奥では何かそういったものは芽生えてたのかもしれないけれど、普通にOLになろふと思ってビジネススクールに行ったんです。でも1年経った頃、やっぱり会社勤めは向いてないからやめた方がいいなと思って、やっぱり歌か芝居かな、と(笑)。そしたらある日、ボーカルを捜してるバンドがあるからと紹介されてオーディション受けに行ったんです。受かって、それがチャクラになるわけですね。ちょうど19歳の春です。

ガイド:
確かに会社勤めしている小川美潮さんは想像しにくいです。
当時、時代はテクノポップ~ニューウェイヴに染まっていて、チャクラもそんな時代の空気の中で登場したバンドでしたが、小川さんはその中にいるという意識はあったのでしょうか? 僕の中では、チャクラは何処にも属さない唯我独尊的な存在でした。

小川美潮:
たしかにチャクラはどこからも少し浮いていたかもしれませんが、そんなこと言ったらみんなそうでしたよね(笑)。ジャンルについてはあまりピンとこなかったような気がしますが、そのような呼び方をされる事に特に抵抗はありませんでした。イベントでみんなに会ふのは楽しかった。特にジューシィ・フルーツ、ヒカシュー、ビジネス、イミテーション、とはよく一緒になりました。

福の種をまこう

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チャクラ

アルバム『チャクラ』の1曲目に収録された「福の種」は、チャクラの代表曲的存在。シングル・リリースもされていますが、これはショッキングでした。魚屋さんでのSEから始まる音頭! アルバムは板倉文さんが中心となって作曲されていますが、この曲だけは友貞一正さんによるものですね。この曲の歌詞、よく聴いてみると、エロスなニュアンスもありますよね。あ、小川さんも作詞者の一人ですが、この辺りは確信犯?

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小川美潮:
いえいえ、もうまったく大まじめ。まんまです(笑)。けっこう求道的な歌詞なんですよね。友貞くんはのちのちお坊さんになった人です。もういないの、亡くなって。あー会いたいです。がんちゃん。

8時だよ!全員集合

ガイド:
チャクラは当時、渡辺プロダクションに所属していたんですよね。チャクラの音楽性を考えるとちょっと不思議な気もしますが、小川さんとしてはどうだったのでしょう? 僕は見たことないのですが、「8時だよ!全員集合」にも出演されたんですよね?

小川美潮:
まず渡辺出版の方が決まっていて、そこからナベプロへとつながっていったんです。ナベプロの中にノンストップってセクションがあって、そこが私らのようなミュージシャンを積極的に扱っていたのかな。大阪が本拠地で、私もいろいろと面倒みてもらいました。TV大阪で黒田征太郎さんのアシスタントでレギュラーとか、アンルイスがおめでただってことでピンチヒッターとして紳介竜助さんと一緒の番組に通わされたりとか、意外と大阪でのTV率が高かったんで街で声をかけられたりして。

「8時だよ!全員集合」は、確か北海道東北方面にツアーして、その最後に埼玉の熊谷市民会館かなんかで撮ったんです。生放送ですから現場には独特な緊張感があって、スタッフはみんな体育界系な感じで動いてましたよ。今思うと、強力なプロモーションでしたね。

せんせい
 

ガイド:
最近、YouTubeで発見したのですが、「福の種~せんせい」のメドレーをテレビの音楽番組でされていますね。山城新吾さんと芳村真理さんが出ている番組です。「福の種」のライヴも素晴らしいですが、森昌子さんの「せんせい」のカヴァーは正直ぶっとびました。こんな解釈でカヴァーが出来るバンドが、チャクラなんだと。「せんせい」のカヴァーは誰の発案だったのですか?

小川美潮:
あれは番組の方から、山口百恵をプラスティックスに、桜田淳子をジューシーフルーツに、森昌子をチャクラに、とオーダーがあったんです。でもプラスティックスは辞退しました(笑)。たしか曲は自分たちで選んだのかな。私達は「せんせい」を、板倉文がアレンジしてきて。

私マヌカンよ
 

ガイド:
2曲目の「マヌカン」は、いつまでも忘れない奇妙な曲。自分の中では、ビートルズ中期みたいな位置づけなんですが、そのあたりは板倉さんの趣味だったのかなぁと。小川さんの“奇声”も大好きです。これはアドリブでやったのですか?

小川美潮:
文ちゃんの音楽の幅と深さは私には計りかねるものがあるので、そこらへんはぜひいつか直接聞いてみてくださいね。奇声とおぼしきスキャットはアドリブです(笑)。

東京スウィート

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「東京スウィート」はチャクラを不思議な存在にしている曲ですね~。3部構成で8分22秒ですが、そんなに長く感じません。趣味のプログレの世界ですが、音的にはプログレだけでなく、カオスですね。特に展開が変わって行く中盤あたりを歌いこなしている小川さんも凄い。実際にこの曲歌う時、ご苦労はあったのですか?

小川美潮:
ちょこっと出てくる英語の歌詞を英語らしく言へなくて困りました。あとは特にありません。ちょっと難しいくらいがワクワクして好きなんですよ。歌がむずかしいのは、「マヌカン」とかそうですね。

さてこそ

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satekoso

さてこそ

セカンド・アルバム『さてこそ』では、メンバーも入れ替わり、プロデューサーも矢野誠さんから細野晴臣さんに代わりましたが、バンドとしてはここで違う方向性を目指していたのでしょうか?

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小川美潮:
目指してたわけでもなく、自然に変わっていった感じじゃないのかなぁ。メンバーも変われば音も変わるし、文ちゃんもどんどんアイディア出てきてたし、そしてみんな細野さんに興味を持ってた。そういうことかと...

ミュンミュン

ガイド:
僕の周辺にはファースト派とセカンド派がいたりします。ファーストには思い入れがありますが、実験的かつ不思議な曲が盛りだくさんのセカンドも好きです。2曲の「ミュンミュン」は何かの擬態語のようですが、少し歌詞らしきものもありますが、基本6分近く「ミュンミュン ミュルン ミューン」と・・・ 作詞は板倉さんと小川さんの二人ですが、これはどのような分担で?

小川美潮:
まず「ミュンミュン」のところは、文ちゃんが曲の段階で決めててそうしたいと。他のハナモゲラの部分は私が考へてアイディアが出ると、これはどう?って聞いて決めていった感じです。

おちょーし者の行進曲

ガイド:
3曲目の「おちょーし者の行進曲」は、超ポジティヴな歌。なんとなく小川さんのイメージと僕に中では被るのですが、どうなんでしょう?

小川美潮:
作詞の海老寿いわしの哲学だと思います。私も同じ気持ですけど!

いと ほに

ガイド:
「ミュンミュン」もそうですが、板倉さんが作詞された「いと ほに」も不思議。この場合、小川のボーカルは「ハニホヘトイロハ」という昔の日本の「ドレミファソラシド」の音階の読み方で歌ったんですよね。かえって、文字が意味を持たないから、新鮮なのですが、これって歌うのに苦労しませんでしたか?

小川美潮:
時々口がまわらなかった。(笑)あとは最後のアドリブのところですね。レコードでは書き譜にしましたけど、これがまたライヴになるともっと大変。イがラでソはトだなんてことが身に入ってなくちゃできないですからね?

Free
 

ガイド:
今回、アルバムを聴き直して、再発見的に気にいったのが、「Free」。この時代にこんなカオスな曲があった事自体が凄いな~と。チャクラの場合、製作工程でかなり曲の仕上がりは変わって行くのですか?

小川美潮:
完成に近づくと云ふ意味では変わっていきますが、最初と違ったものになることはあまりなかったと思ひます。「Free」、これも歌ふにはむずかしいメロディですが、私も大好きな曲です。

ちょっと痛いけどステキ

ガイド:
オリジナルアルバムではラストだった「ちょっと痛いけどステキ」は、ファーストの「アイ・アム・ソーロー」にも通じる、明るいエロスを感じる曲。これは小川さんの単独作詞ですが、この路線はお好きなのでしょうか?

小川美潮:
どうなのかな?あんまりないから目立つだけなのかも。
時代がパンクだったのでちょっとコショウを効かせました。ナンチャッテ

私の青春そのもの

ガイド:
今回の再発に向けて、読者に向けて、小川さんにとって「チャクラとは何であったのか?」、最後に教えてください。

小川美潮:
チャクラは私の青春そのものです。私を音楽に導いて、精神世界の扉を開けさせて、楽しく育んでくれた運命のバンドです。と、今だから言へる(笑)。

ガイド:
チャクラ時代のお話、とっても興味深かったです。また、その後の小川美潮さんについても機会を改めてお話を聞かせてくださいね!


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小川美潮
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