いつもどおりの攻撃的サッカーでCL優勝を手にしたバルサ

バルサを優勝に導いたのは下部組織から一貫する哲学

バルサを優勝に導いたのは下部組織から一貫する哲学

先週末の世界各国は、ロンドンから配信されたサッカーの映像で多いに盛り上がったことだろう。現地時間の5月28日に行なわれたヨーロッパチャンピオンズリーグ決勝で、バルサことバルセロナ(スペイン)がマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)を3-1で退け、2シーズンぶり4度目の優勝を成し遂げたのだ。

中立地での一発勝負で行なわれるカップ戦のファイナルは、手堅いゲーム運びになることが少なくない。「勝ちたい」という意欲よりも「負けたくない」という警戒心が先行し、相手の良さを消すことが優先されるからだ。オランダがスペインの長所を塗り潰し、延長戦までもつれた昨夏の南アフリカ・ワールドカップ決勝は、ファイナルの典型例として分かりやすい。

バルサは違うのである。自分たちでボールを保持し、ゲームの主導権を握り、つねに攻撃的なゲームを展開するのが彼らの哲学だ。対戦相手やゲームの意味合いによって、戦い方を変えることはない。変更があるとしても、自分たちの良さをさらに引き出すことへ力点が置かれる。

攻撃には多くの人数を割く。マイボールでは両サイドバックも敵陣へ侵入し、最終ラインがセンターバックの2枚だけにもなる。カウンターアタックを受けやすく、ボールの失い方が悪ければ、いきなり決定的なピンチを招きかねない。リスクを承知のうえで攻撃に出ていく彼らの姿勢は、「点を奪い合う」というサッカーの原点に通じる。試合後の心地好い余韻を保証してくれるのだ。観る者の共感を呼ばないはずがないだろう。

ヨーロッパのクラブチャンピオンを決めるユナイテッドとの一戦でも、バルサは彼らの流儀を貫いた。攻めて、攻めて、攻め立てた。決勝までの12試合を3失点で乗りきってきたユナイテッドから、1試合で同じ得点を奪ったのだ。現在のバルサは90年代にヨーロッパを席巻したドリームチームになぞられるが、すでに“モンスターチーム”と言っていい領域へ突入している。

Jリーグチームもお手本にしたいバルサの哲学

ユナイテッドの戦いぶりも称賛に値するだろう。ゲームを膠着させることを考えれば、ディフェンス重視のゲームプランで臨む選択肢もあった。勝利至上主義に徹しても良かった。だが、相手の良さを消すことに執着せず、自分たちの長所をぶつけることに活路を見出そうとした。不必要なファウルで流れを断ち切ったり、リスタートに必要以上に時間をかけて相手のリズムを乱そうとしなかったのは、イングランドのクラブに伝統的に根付くものだろう。

自らのポテンシャルを総動員して、ユナイテッドはバルサに立ち向かった。そもそも能力を出し惜しみして勝てる相手ではないが、自分の力以上のものを出し切ろうとしていた。臆することない彼らの姿勢が、バルサの攻撃力を際立たせたのだ。

ひるがえって、Jリーグである。バルサのサッカーには100年以上の歴史があり、プロリーグ開幕から20年弱の日本のチームが目ざすには無理がある。それでも、バルサから学ぶことはできる。ユナイテッドとの一戦に臨んだバルサは、11人の先発のうち7人がスペイン人選手だった。そのうち6人は下部組織出身で、アルゼンチン人のメッシも同様である。グァルディオラ監督もクラブの生え抜きだ。バルサに憧れ、バルサで育った選手たちが、トップチームを支えている。

若年層からクラブの哲学に触れてきた彼らに、バルサのサッカーを説明する必要はない。誰が監督でも、どんな選手でも、バルサのサッカーは変わらないからだ。
チームのスタイルや哲学についての説明を必要としないクラブが、Jリーグにいくつあるだろうか。監督によってスタイルが変わるクラブが、まだまだ多数を占めていると感じられてならない。

攻撃的とか守備的と分類するのは簡単だが、観る者をひきつけるのは、そこから一歩先に進んだ哲学ではないかと僕は思う。同じ日本語でありながら方言があり、地方によって気質が違うように、サッカーにもクラブの色があっていい。あったほうが面白い。哲学やスタイルの構築には長い時間が必要だとしても、時間を短縮することはできるはずだ。そのために汗を流している姿を、いまこの瞬間のJリーグで感じたいのである。
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