故宮博物院(紫禁城)!北京の必見中の必見スポット

紫禁城

中国を代表する歴史遺産・故宮博物院

故宮

龍をかたどった排水口

黄色と朱色からなる北京の故宮博物院(紫禁城)はまさに映画『ラストエンペラー』を彷彿させる幻想世界。観る者の期待をけっして裏切りません。

あまりにも有名な故宮を紹介することはとても難しいのですが、このページではリピーターの方にも新しい発見をしていただけるよう、細部まで深く掘り下げてみました。ガイドブックでは紹介されていないコアな情報満載です!

インデックス
  1. 故宮博物館・紫禁城見学前に知っておきたいこと
  2. 故宮チケット 2017年10月からすべてがネット販売に
  3. 故宮博物院と紫禁城、台湾の國立故宮博物院との関係
  4. 世界最大の宮殿・故宮(紫禁城)
  5. 故宮博物院の未来図
  6. 宮殿の部屋数9999.5部屋の伝説
  7. 建物の等級がわかる「走獣」とは?
  8. 故宮博物院おすすめの「音声ガイド(自動講解器)」
  9. 故宮(紫禁城)の構造「左右対称、外朝・内廷」
  10. 故宮(紫禁城)の見所「12エリア」

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故宮博物院(紫禁城) 1987年、世界遺産に登録
住所:東城区故宮博物院
TEL:010-6513-2255
入場&料金:4月1日~10月31日 8:30~16:00、60元/11月1日~3月31日 8:30~15:30、40元(身長120センチ以下の児童は保護者同伴で無料)
月曜日閉館(祝日と、7月1日から8月31日までの夏季休暇を除く)
※鐘表館と珍宝館は別途各10元
 

チケット実名制や入場制限、夜間開放、端門デジタル館の正式オープン……
故宮博物館見学前に知っておきたいニュース

2011年7月より故宮観光は南(午門)から入って北(神武門)から出るという一方通行になりました。以前のように北からの入場&チケット購入はできないので要注意!

2013年5月より、故宮内の灰皿が全撤去されて全面禁煙に。喫煙者は厳重注意を受け、場合によっては警察におくられることもあるので注意してください。

2015年6月13日より、1日8万人の人数制限をスタートし、入場券を実名制にすることとなりました。これは、あまりの混雑によって生じる被害を考えてのことです。つまり、故宮を見学するためには、パスポート携帯が必須となるわけです。それでも2018年一年の入場者数は1700万人を突破!世界で最も入場者数の多い博物館となりました。

また、2019年1月現在、ライトアップされた幻想的な故宮を満喫できる「故宮の夜間開放」が検討されています。豊富な文化財と深い歴史文化の蓄積をデジタルの世界で再現する「端門数字館(端門デジタル館)」の正式オープン(現在試験開放中)と併せて心待ちなニュースです。
 

故宮チケット 2017年10月からすべてがネット販売に
午前チケットと午後チケットとは?

故宮チケット

故宮入場券購入ページ。青い囲みの日にちと上午(午前)下牛(午後)を選び、囲みの右下の「快速購売」をクイック。次の場面でパスポート番号や氏名を入力する

一日8万人の人数制限があるため、5月1~3日の労働節や10月1~7日の国慶節の休みはもちろん、トップシーズンは直接行っても入れないことがあります。混雑が予想される時期に出かける時は、故宮ホームページ入場券購入ページ(一週間前から予約可能)で、事前購入をしておくのがベストなのですが、中国の携帯番号が必要だったり、支払いなどの関係で海外在住の外国人には容易ではありません。

そんなハードルの高いチケットのネット購入なのですが、2017年10月から現場の窓口でのチケット販売が中止され、すべてをネット販売に切り替えることとなりました。もちろん、外国人やオンライン決算ができない人に対するフォローはあります。当日、現場のスタッフが総合サービス窓口まで案内してくれて、サービススタッフがチケット購入を代行してくれるのでご安心ください。

ネット購入するチケットには午前と午後の二種類あります。午前のチケットの入場時間は8時半~12時、午後のチケットの入場時間は12時~15時半(11月1日~3月31日は15時)です。ただし、午前のチケットだから12時前に出なければならないわけではなく、閉館まで滞在可能です。あくまで入場時間の指定というわけです。多くの団体ツアーは午後に入場しますので、ゆっくり観ることのできる午前チケットがおすすめです。
 

故宮博物院と紫禁城、台湾の國立故宮博物院との関係

故宮獅子

獅子

紫禁城は中国の首都・北京の中心に位置する明清朝の旧王宮で、明清24代の皇帝が生活し、政務を行なった場所でした。中国の古代天文学では、北極星とそれをとり巻く星群を「紫微垣(しびえん)」と呼び、天の中心、天帝の住む所と考えていました。

そこから人間界の中心、皇帝の住む所として「紫禁城(しきんじょう)」と名づけられました。“禁城”とは庶民が近づくことを禁ずるという意味です。明皇帝が南京から北京へ遷都した1421年から、1911年の辛亥革命によって近代中国の幕開けが成されるまで、政務の中心地でした。

翌年1912年、ラストエンペラーである愛新覚羅溥儀が退位し、正式に清朝が滅亡したわけですが、溥儀はその後1924年まで紫禁城に住み続けていました。紫禁城が故宮博物院と名前を変えたのは溥儀が紫禁城を退去した翌年の1925年。「いにしえの宮殿」という意味を込めて命名されました。

その後、中国は第二次世界大戦を経て、国共内戦が激化していきます。そして1949年、形勢が不利になってきた中華民国政府が、故宮博物院から2972箱に及ぶ所蔵品を精選して台湾へと運んだのです。それを展示する場所として作られたのが、台北市の國立故宮博物院。つまり、紫禁城は外枠だけが北京に残され、その中を彩っていた財宝の多くが海を渡って行ったというわけです。

北京の故宮博物館が博物館として公開されてから2015年で90周年。それを祝って、台北の國立故宮博物院と合同で祝典が催される予定です。
 

世界最大の宮殿・故宮(紫禁城)

角楼

城壁の四隅にある角楼は外部から宮殿を守る防衛施設だった

玉座

乾清宮の玉座

故宮は1987年に世界遺産(文化遺産)に登録された世界最大の宮殿遺跡です。その面積は72万5千平方メートル、東京ドーム15個がすっぽり入る壮大なもの。

南北(長さ)961メートル、東西(幅)753メートル。周囲は高さ10メートルの城壁が聳え、更にその外側には幅52メートルの堀に囲まれています。

 

故宮博物院の未来図
公開エリアを現在の52%から85%に!

北京・故宮博物院(紫禁城)

未公開エリアの扉が開かれる日はそう遠くない

2018年の故宮の観光客数は1700万人でした。2002年の観光客数は700万人、十数年で倍以上の増加です! 今後も更に増加するだろうという予測に、混雑や文物保護や問題視される中、故宮博物院が公開100周年を迎える2025年を目標に、公開エリアを85%へと引き上げる計画があります。

2015年8月、それまで非公開だった慈寧宮区を含む「后妃区」の一般公開がスタート。続いて、故宮最大の仏堂「雨花閣」などの公開が予定されています。近い将来、未開放エリアに足を踏み入れられることになりそうです!
 

宮殿の部屋数9999.5部屋の伝説

紫禁城寝台

養心殿にある皇帝の寝台

言い伝えでは故宮には9999.5の部屋があったと言われています。なぜ9999.5部屋という中途半端な数にしたかといえば、故宮を創設した明朝3代皇帝・永楽帝(1360~1424年)が天界の支配者・玉皇大帝が激怒している夢を見て、天の怒りを静めるために、部屋数1万を有す天宮より半間少なく作ったらしいのです。また、“九”は永遠を表す“久”と同音で縁起が良いとされていることから9並びにしたと言われています。

ただ、今現在も9999.5部屋あるかといえばそうではありません。諸説ありますが、およそ9000弱と言われています。また、ここで言う“部屋”とは壁で仕切られた空間という現在の意味とは異なり、四本の柱で囲まれた空間を表しています。
 

建物の等級がわかる「走獣」とは?

走獣

太和殿の走獣。右から騎鳳仙人、麒麟、鳳凰、獅子、海馬、天馬、押魚、サン猊、カイ豸、斗牛、行什、旁吻

中国の明清時代の建物(宮殿や寺院)の屋根には「走獣」という魔除けの飾りがついています。先頭は「騎鳳仙人(鳳凰に跨った仙人)」で、その後に龍や麒麟など想像上の動物が続きます。そして最後は火よけの意味をなす「旁吻(口を開けた魚)」という構造です。仙人と旁吻の間の動物の数は建物の格式が高くなるほど増えていきます。そして、中国で一番数が多いのが紫禁城・太和殿の10匹(仙人、旁吻を含まず)です。
 

故宮博物院おすすめの「音声ガイド(自動講解器)」

故宮音声ガイド

音声ガイド貸し出し口

故宮見学でおすすめなのは音声ガイド「自動講解器」。中国語版、英語版だけでなく、日本語版もあって便利。それぞれの建物に近づくと解説がはじまるタイプのもので、自分のペースで見学できます。建造物ごとにかなり突っ込んだ説明をしてくれますし、音声ガイド機自体が電子マップになっていて、常に現在地を把握することも可能。とても便利です。南の牛門で借りて、北の神武門で返却できます。

■音声ガイド「自動講解器」
場所:午門で貸し出し、神武門で返却
料金:40元、デポジット100元
 

故宮(紫禁城)の構造「左右対称、外朝・内廷」

故宮地図

故宮平面図。すべての建物が南向きなので南から見学するのが一般的

故宮の建築物は「天子は南面す」の故事に従ってすべて南向きに作られており、宮殿郡は南北の軸に沿って、ほぼきれいな左右対称となっています。そして、上記イラストにある乾清門より南が公の行事を行う「外朝」、北側が「内廷」で、皇帝が日常政務を行なったり、皇后・貴妃、皇子・皇女らが生活する場でありました。

※故宮地図は故宮博物院HPを参照ください。
 

故宮(紫禁城)の見所「12エリア」

故宮地図

故宮にある16エリアのうち公開されているのは白くなっている12エリアのみ

故宮

閉ざされた空間がまだまだある

故宮の見所は上記のように16のエリアに分かれています(区分の詳細図は「故宮博物館ホームページ・区域場景」に掲載されています)。しかし、そのうちの西北エリアに属する「慈寧宮区」、「雨花閣区」、「建福宮区」、「重華宮区」の4つは2012年5月より非公開エリアとなっています。

>>>今後の公開エリア拡大については前ページの「故宮博物院の未来図」を参照

ここでは、現在公開されている12エリアを南から順番に説明していきます。ガイドブックなどでは説明されていないコアなスポットも網羅されているので、故宮経験者にとっても面白い内容になっていると思います。ただし、このすべてを廻るには少なくとも丸二日は必要。日程制限のある方には別途「故宮観光一日コース」、「故宮観光半日コース」、「故宮観光2時間コース」をそれぞれ用意してありますので、そちらを参考にしてください。
 

城池区

故宮をぐるりと囲む城壁と堀の部分

■午門(明永楽期創設)
午門

午門

神武門

神武門

世界最大の城門といわれる故宮の正門。3つある入り口のうち、中央が皇帝専用、両脇が貴族・官僚用のものであった。

■神武門(明永楽期創設)
皇后主催の儀礼「先蚕」のために皇后たちが外出する際や、清朝皇帝の妃を選ぶ試験「選秀女」のためにお妃候補が入城する際などに使われた門。中央は皇帝・皇后専用で、妃や官吏は両脇の門を使っていた。1924年、溥儀が故宮を離れる時はこの門から退出した。午門、神武門のほか、現在は閉ざされている東の東華門、西の西華門という二つの城門が存在する。

■角楼
城壁の四隅に聳える防衛施設。
 

文華殿区

故宮外朝の東側に位置するエリア。文武の文をつかさどる。

■文華殿(明早期創設/走獣7匹※仙人、旁吻を含まず、以下同様)
文華殿

文華殿

文武二殿の一つ。明の時代、ここは皇太子の生活区で内閣が置かれていた。明清時代を通じ、科挙の最終関門・殿試の採点がここで行なわれていた。
 

武英殿区

故宮外朝の西側に位置するエリア。文武の武をつかさどる。

■武英殿(明早期創設/走獣7匹)
武英殿

武英殿

故宮猿獅子

橋の中央にいる猿のポーズの獅子

文武二殿の一つ。明朝を滅ばした李自成が即位した場所。明代は大臣の接見場所として使われ、清代になると御用絵師のアトリエとなった。

■断虹橋
大理石の橋。上記の武英殿へ行く途中の右側にある。橋の半分からは立ち入り禁止になっているが、サルのポーズをとる珍しい獅子の像はギリギリ見ることができる。
 

前三殿区(外朝)

太和門

太和門

故宮の南側中央に位置する最大のメインスポット。特に太和殿、中和殿、保和殿は「前三殿」と称され、外朝の代表的な建物とされる。

■太和門(清光緒期創設/走獣7匹)
大和殿で式典が行なわれる際、下級の官吏はこの門の外で皇帝に拝礼した。

■太和殿(清康熙期創設/走獣10匹)
太和殿

太和殿

中和殿

中和殿

故宮の正殿。歴代皇帝の即位式や万寿節(皇帝の誕生日)、結婚、季節ごとの大きな式典、出征、そして皇帝の葬儀など宮廷の重要な式典を行った最も権威ある場所。式典が行われた時は、太和殿前の広場に官吏たちがずらりと並び、全員で三跪九叩頭の礼を行った――まさにラストエンペラーの世界であった。

太和殿手前の石段を上ったところには「日時計」、「亀の像」、「鶴の像」などが置かれているのでお見逃しなく!

■中和殿(明嘉靖期創設/走獣7匹)
大和殿で式典が行われた際の控えの間。ここで皇帝が大臣から祝辞を受けたり休憩したりした。
 

■保和殿(明嘉靖期創設/走獣9匹)
保和殿

保和殿

明代は式典が行われる際の皇帝の着替えの間として使われていた。清代に入ると科挙の最終試験である殿試の会場としても使われた。

■体仁閣(清乾隆期創設/走獣7匹)
清代康熙帝時代、民間人を登用する試験・博学鴻詞科が行なわれた場所。乾隆期以降は緞子の倉庫として使われた。

■弘義閣(明永楽期創設/走獣7匹)
体仁閣と対を成す建物。金銀器具の倉庫として使われていた。
 

奉先殿区

皇帝が先祖の霊を祭るエリア。
※入館時に別途チケット購入(10元)

■奉先殿(清順治期創設/走獣9匹) 現「鐘表館(時計館)」
奉先殿

奉先殿

皇室用寺院。紫禁城を居城とした明清両王朝の歴代皇帝が祖先の霊をここに祀った。大きな式典の前には皇帝が先祖参りを行なった。
 

斎宮区

斎殿

斎殿区の門

皇帝が斎戒をするエリア。

■斎宮(清雍正期創設/走獣5匹) 現「古代青銅器館」
大きな式典の前には皇帝はここで斎戒(祭祀を前に心身を清めて禁忌を犯さないようにする)を行なった。
 

養心殿区

皇帝の寝宮。ラストエンペラー退位の書が発布されたエリア。

■養心殿(明嘉靖期創設/走獣7匹)
養心殿

養心殿

養心殿

養心殿内部

康熙帝の時代までは皇帝の書斎であったが、次の雍正帝以降、皇帝の居住する寝宮として使われた。また、同治帝、光緒帝の時代に慈安皇太后(東太后)、慈禧皇太后(西太后)が「垂簾聴政」を行ったところでもある。1912年2月12日に御前会議によってラストエンペラー宣統帝(溥儀)の退位が決まり、ここから「宣統帝退位詔書」が発布された。
 

後三宮区(内廷)

乾清門

乾清門。ここから北側が皇帝や妃の生活区となる

乾清宮

乾清宮

中軸線上に位置する内廷のメインスポット。乾清宮、交泰殿、坤寧宮を「後三宮」とする。

■乾清門(明永楽期創設)
瑠璃照壁という装飾が特徴的な内廷の正門。清代、皇帝はここで政務の報告を受けたり、採決を下したりしていた。現在は売店やカフェなどの休憩所がある。
 

■乾清宮(清嘉慶期創設/走獣9匹)
交泰殿

交泰殿

明代から清の康熙帝の頃まで皇帝の寝室だった。寝室が養心殿へ移ると、日常の政務を行なったり、宴会が開かれたりする場所となった。ここにある宝座の後ろの「正大光明」の額に、皇位継承者の名を収めた箱が隠されたとされる。

■交泰殿(清嘉慶期創設/走獣7匹)
皇后の冊立の儀式が行われた場所。皇后は元旦、冬至、皇后誕生日の祝賀をここで受けた。
 

■坤寧宮(明万歴期創設/走獣7匹)
坤寧宮

坤寧宮

明代は皇后の寝室だったが、清代に入ると神々を祀る場とされた。また、清朝歴代皇帝と皇后の婚礼が行われ、初夜を過ごす場所であった。

■坤寧門(明代創設)
後三宮の北門。ここから故宮最北部の御花園に入る。

 

東六宮区

東六宮

東六宮の通路

敬景宮

敬仁宮

後三宮区の東に位置する妃たちの居住地。咸豊帝の正皇后・慈安皇太后はこちらの東六宮に住んでいたことから東太后と呼ばれた。ちなみに咸豊帝妃の慈禧太后は次に説明するエリア・西六宮に住んでいたことから西太后と呼ばれた。正室が東に住んでいたという事実からも西六宮より格上なのだが、実際は西太后の時代に改築された西六宮のほうが華やかである。
 
延禧宮

延禧宮

名前からもお分かりになるとおり、東西それぞれ宮殿が6つある。宮殿は一つずつ塀で囲まれた独立空間になっているので、見学は一つ観たら通路にでて、次の宮殿の入り口に向かう、というふうに進んでいく。

■景仁宮(明永楽期創設/走獣5匹) 現「古代青銅器陳列館」
康煕帝の出生の地。悲劇の后・珍妃が住んでいたことでも知られる。
 

■延禧宮(明永楽期創設)
鐘粹宮

鐘粹宮


明清を通じ、皇后以外の妃や女官が居住する場所であった。数回の火事に見舞われた後、光緒帝(ラストエンペラーの一代前)の皇后・隆裕皇太后が鉄筋コンクリートの西洋風宮殿に作り変えようとしたが、未完成のまま財力が尽き、清国滅亡となった。

■承乾宮(清順治期創設/走獣5匹) 現「陶器館」
順治帝の愛妃董小鄂の寝室として使われていたことで知られる。
 

■永和宮(明永楽期創設/走獣5匹) 現「陶器館」
景陽宮

景陽宮

明代崇禎帝の田貴妃、雍正帝生母・仁寿皇太后、道光帝の静貴妃、光緒帝の瑾妃が住んだことで知られる。

■鐘粹宮(明永楽期創設/走獣5匹) 現「文房四宝館」
明代の一時期、皇太子の宮殿として使用された。咸豊帝の正皇后・慈安皇太后(東太后)が住居していたことで知られる。

■景陽宮(明永楽期創設/走獣5匹) 現「明清工芸美術館」
明代は他の宮殿と同じく妃たちの住居だったが、清代に蔵書室に改築された。
 

西六宮区

西六宮

西六宮の通路

儲秀宮

儲秀宮

後三宮区の西に位置する妃たちの居住地。前記した東六宮区と対になっている。西太后の時代に改築されたまま現存。華々しい“リフォーム”がされていない分だけ、当時の様子を窺うことができる。

■儲秀宮(明永楽期創設/走獣5匹)
西太后が暮らしていた場所として有名。西太后50歳を祝い大金を投じて修築したものが今に伝わっている。
 

■長春宮(明永楽期創設/走獣5匹)
故宮鶴の像

後宮には皇后を表す鶴が多くある

明の天啓帝の李妃、清の乾隆帝の寵愛した孝賢皇后が住んだことで知られる。宮殿の庭には戯台が設置され、長春宮の玉座から芝居が観られるようになっている。

■永寿宮(明永楽期創設/走獣5匹)
雍正帝以降、皇帝の寝宮となった養心殿に隣接することから、愛妃の住居する場所だった。

■咸福宮(明永楽期創設/走獣5匹)
西六宮の中で一番高さのある建物。嘉慶帝が乾隆帝逝去の際に、咸豊帝が道光帝逝去の際に喪に服した場所としても知られる。
 

■翊坤宮(明永楽期創設/走獣5匹)
翊坤宮

翊坤宮

明代の万歴皇帝の寵妃・鄭貴妃の住居として知られる。また、西太后は重要な祝日にこの宮殿で妃嬪たちの拝礼を受けた。

■太極殿(明永楽期創設/走獣5匹)
妃たちの居所だったが、清朝晩期は西太后や隆裕太后が住んでいた。
 

寧寿宮区

寧寿宮

寧寿宮区への入り口

東六宮の東側に位置する太上皇宮の居住地。明代、未亡人となった皇后や妃嬪が居住した場所だった場所を、乾隆帝が己の退位後の生活のために太上皇宮の居住地として改造。清朝最盛期の乾隆帝時代の文化・芸術を色濃く感じられるエリアで、「何度でも足を運びたい」というリピーターが少なくない。
※入館時に別途チケット購入(10元)

■九龍壁(清乾隆期創設)
九龍壁

九龍壁

皇極殿

皇極殿

中国三大九龍壁の一つ。ちなみにあと二つは北京の北海公園、山西省大同にある。長さ29.4m高さ3.5mもある巨大な瑠璃装飾の壁。

■皇極門(清乾隆期創設)
寧寿宮区の正門。

■寧寿門(清康熙期創設) 現「絵画館」
皇極門北側に続く寧寿宮区第二の門。
 

■皇極殿(清康熙期創設/走獣9匹)
乾隆帝時代の楽器

乾隆帝時代の楽器

乾隆帝が隠居して太上皇となった後、院政を敷いた清寧宮の正殿。西太后60歳の誕生日を祝った場所でもある。修復のため一時閉鎖されていたが、2012年4月25日から一般開放が再開した。

■寧寿宮(清康熙期創設/走獣9匹) 
現「珍宝館/銘刻館」

乾隆帝が隠居して太上皇となった後、居住した寝殿。
 

■養性殿(清乾隆期創設/走獣7匹)
暢音閣

暢音閣

養心殿を模して作られた。太上皇の住居として作られたが、実際、乾隆帝は宴の場としてここを利用した。

■暢音閣(清乾隆期創設/走獣5匹)
故宮最大の戯楼。上から福台、禄台、寿台と呼ばれる三層構造になった舞台。音響のために井戸を5つも掘るなど様々な工夫がなされている。西太后60歳の祝賀会の折には、ここで連日京劇を楽しんだとされる。
 

■楽寿堂(清乾隆期創設/走獣5匹)
珍妃井

珍妃井

円明園の淳化軒を模して作られた。太上皇が読書などをしてくつろいだ場所。

■頤和軒(清乾隆期創設/走獣5匹)
暢音閣と廊下で工の字型につながっている。

■寧寿宮花園(乾隆花園)(清乾隆期創設)
乾隆帝が愛した庭園。

■珍妃井
光緒帝が最も寵愛した珍妃が、義和団の乱のどさくさにまぎれて投げ込まれて殺されたとされる井戸。
 

御花園区

御花園

御花園

欽安殿

欽安殿

故宮最北に位置する故宮最大の花園。明清皇帝が皇后や妃と共に自然を愛でた場所で、紹介した以外にも欽安殿への門・天一門や、奇怪な形の石の山・堆秀山など、見所満載のスポット。

■欽安殿(明代創設)
御花園区のメイン。道家の天帝・玄天上帝を祀る神殿。
 

■絳雪軒(清乾隆期に修復)
養性斎

養性斎

カイドウの花びらが絳色(深紅色)の雪片のように舞う様子から絳雪軒と命名された。

■養性斎(清乾隆期創設)
清朝滅亡後、溥儀の帝師(英文教師)として招聘されたイギリス人のレジナルド=ジョンストンが居住した場所。

■順貞門(明代創設)
御花園の北門。
 

番外編・ラストエンペラーの赤い壁の通路

東筒子

東筒子

上記エリアには含まれていないのですが、故宮にはもう一箇所必見スポット「東筒子」があります。東筒子は故宮の北東に位置する南北300メートルほどの赤い壁の通路。寧寿宮区の北の出口から出て左に曲がって歩いていくとすぐ道の左側に路地があります。

こちらが「東筒子」で、溥儀が自転車で走って遊んだ場所だと言い伝えられています。人の少ない早朝にここを歩いていると、ふと赤い壁の向こうからラストエンペラー・溥儀が自転車に乗って走ってきそうな錯覚さえ覚えます。

故宮博物院の説明はここで終わりですが、みなさん、いかがでしたか? 故宮は本当に奥深く、北京歴15年以上のガイドも行くたびに新しい発見を味わうことができます。そして公開エリアも少しずつ広がりつつあります。故宮未体験の方はもちろん、以前訪れたことがあるという方も、ぜひこの機会にもう一度足を運んでみてください!

 

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※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。
※海外を訪れる際には最新情報の入手に努め、「外務省 海外安全ホームページ」を確認するなど、安全確保に十分注意を払ってください。