今では当たり前のように使われている、真っ白い磁器の数々。これが、300年ほど前には「白い金」とすら言われる程、貴重なものでした。私たちの生活に当たり前のように溶け込むまで、真っ白い肌の磁器はどんな旅をしてきたのでしょうか?

陶磁器、陶器、磁器

西洋を魅了した磁器、それがマイセンになっていく過程を知る前に、先ずは陶磁器、陶器、磁器の違いを、とても簡単でざっくりですが書いておきましょう。

陶磁器は、土を練り固め焼いて作ったもの全般に使われる言葉です。ここに陶器も磁器も含まれています。

陶器は、釉薬を使って窯で1100~1300℃の温度で焼いたもので、厚手で重く、叩いたときの音も鈍いものです。磁器は1300℃程度で焼成されており、陶磁器の中では最も硬く、軽く弾くと金属音がします。

"china"がマイセンになるまで

インド文様花卉文ココア・セルヴィス

インド文様花卉文ココア・セルヴィス 原型1730年代、製造1770年頃 国立マイセン磁器美術館所蔵

交易品の中でもとりわけ貴重だった中国の磁器は、17世紀にはオランダ東インド会社を通じて大量にヨーロッパへ渡りました。

「こんな美しいものがある国は、どんな楽園なのだろう?」
そんなふうに、目にした人の想像力を駆り立てたのでしょうか。写真も無い時代、見たこともない花が描かれた美しい磁器はヨーロッパの王侯貴族を魅了し、"china" という言葉が磁器を指すほどでした。

それまで西洋で主流だった陶器は、遮光性はありますが、吸水性が高いため、使い方によっては細菌が繁殖し易く、それは腸チフスなどの疾病の原因ともなっていました。吸水性が低いため、雑菌が繁殖しづらく清潔に使えたという機能性でも、てはやされたのかもしれませんね。

メナージュリ動物彫刻《コンゴウインコ》

メナージュリ動物彫刻《コンゴウインコ》 原型ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー 原型1732年、製造 1924-34年頃 国立マイセン磁器美術館所蔵

王侯貴族は、宮廷のステータスシンボルとして収集しつつ、磁器の製法の解明を競い合いました。特にザクセン選帝侯兼ポーランド王のアウグスト強王(1670-1733)は、それらの磁器を熱狂的に収集しました。

集め出したら、自分でも作りたくなるもの。王の命令下、それまで西洋では謎とされてきた磁器の製法が、錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベットガーによって1708年にドレスデンで解明され、1710年にはヨーロッパ初の硬質磁器窯がマイセンに開かれました。

これが西洋磁器の始まりです。王の庇護の下、大広間に磁器製の大型動物の彫刻を並べた宮廷動物園「メナージュリ※」の構想(王の死により実現しませんでした)、天才的な絵付師ヘロルトの登場によって完成された色絵技法による「シノワズリ」「インド文様」など、一気に西洋磁器が発展していきました。

※「メナージュリ」・・・17~18世紀の西ヨーロッパにあった、犀やライオンなどのエキゾチックな動物を収集飼育する宮廷の動物園