地震発生後3日目【10/25(月)】
朝6時になると起床の校内放送が入る。また放送でボランティアを募り、手の空いている人達でトイレや部屋の掃除をする。自分達のことはできるだけ自分ですること、みんなで使う洗面所やトイレはきれいに使うことなど、とても基本的なことでもあるが、大勢が住み続けるには清潔が一番重要と改めて思う。昼間は自宅に戻り、片付けをしてまた避難所に帰る一日。節水が呼びかけられており、手を洗ったり歯磨き洗面をするだけ。風呂にはずっと入れない。自宅も電気水道は通ってもガスがないので風呂は沸かせない状況。(義父母は、1週間後に入浴券をもらい風呂に入れたとのこと。)
避難所では水とパン1枚が朝食として配布されたが、暖かいものは望めない。ガスは来ていないものの、冬の暖房用として大きなタンクに灯油は備蓄されており、石油ストーブはいつでも使えるようになっている。おかげで、それを使って煮炊きができた。義母が昼食を用意してくれた。暖かい味噌汁が嬉しい。
地震の被害状況を見に行く
両親の家に帰って被害状況を見る。この地域の家は豪雪地帯ということもあり、比較的しっかりしている。また、地盤のよさもあり被害が少ない。自宅建物は、平坦地に立つ木造2階建て住宅。築45年と言う事で40年近く前の新潟地震も経験した建物である。建物自体の損傷は、倒壊しなかったが変形がみられ、引き戸が元に戻せなくなっていた。屋根の損傷は、屋根瓦がくずれ切妻屋根の棟の水平部分が波打った形状に変形して見える。妻面の外壁の屋根の母屋付近に亀裂があった。2階柱の傾きが見られる。内装壁は土壁だが亀裂は少なかった。
建物内の散乱は少ない。もともと家具が少ない和室ばかりだったため、家具の転倒は2階の本棚のみ。冷蔵庫、テレビ電子レンジなどの転倒も無かった。たんすの上やオープン棚の飾り物や写真立てなどが床に散乱する程度だった。
近隣の状況を見ると、テレビ・冷蔵庫などの転倒が多く、建物は大丈夫だが家の中がごちゃごちゃの状況。家具のない部屋をひとつ確保しておくべきだと痛感。屋根被害は、我が家と同じ方向の屋根に同様に波打った変形が見られる。築年数が古いものに多い。外壁の一部をタイル張りにした住宅でタイル壁部分が、タイルだけでなく壁ごと崩落し、中の柱が剥き出しになっていた。
どうやら明日は新潟まで出るバスが動き始めるという不確かな情報を得て、東京へ戻る心積もりをする。飛行機の臨時便が出ているというので電話をかけると意外と空いていた。
地震発生後4日目【10/26(火)】
翌朝、バス停に行くと荷物を抱えた人々が長い列を作っていた。うまく席が確保できるか不安だったが、ぎりぎり座る事ができた。地震発生後4日目、私達は東京へ戻ってきた。最後に震災後に思うこと...