ゲイにとっては女装はカルチャー、トランスジェンダーにとっては女装こそが人生でした。どちらもかつては「色物」的に見られたり、どちらかというとアンダーグラウンドな扱いでした。

ところが最近、女性すらも「女装」していると言われ、男性だって負けずに女装姿をひけらかすようになり、すっかメジャーになった感があります。

女性も男性もゲイもトランスジェンダーも、女装、女装、女装(勝つか負けるかよ!) 日本は今、未曾有の大女装時代に突入しているのではないでしょうか? このまま世界一の女装大国になるのかも?

なぜ今、こんなに世間で「女装」がウケているのか?(気になる子ちゃ~ん♪) ちょいと検証してみたいと思います。

女装する女たちはドラァグクイーン!?


女装する女
女装する女(湯山玲子 著/新潮社)「今日はバリバリ女装していくよ」男勝りな仕事着を脱ぎ捨て、女らしさ満開のドレスで“女”を装う、リアルなイマドキの女性像が本当に面白く書かれています
『女装する女』という本が巷で話題になっています。
ふだんはその辺のオッサン同様、缶ビール片手に野球観戦しているような女たち。「おしゃれなガウンなんか着ているわけもなく、Tシャツにパンツ一丁がせいぜいのところだ。そんな彼女たちのどこに女が存在するというのか」。そんな女性たちも、ここぞとばかりに気合いを入れてフェミニンな装いをする、その様を「女装」と称して、素晴らしく軽妙洒脱に描いてくれています。「女の仕事人たちが、女らしい服装をし、ネイルサロンでツメを光らせるのは、抑圧された女性性の発露や取り戻しなんかではない。男と別段変わらぬ内面が、あえて女性の記号をふんだんに身にまとい着飾ること。それこそが女が女装するということの意味なのだ」と語られるように、この「女装」は、男を釣るための武装というよりも、それ自体が目的化した遊戯的でオタクなモードなのだそうです。峰不二子やバービーにも似たそのありようは、「ほとんどドラァグクイーンのようである」と、ズバッと言ってくれてます。

女帝
『女帝』(倉科遼 著、和気一作 画/日本文芸社)
銀座の「女帝」をめざす女たちの熾烈な闘い(ドロドロ)を描き、二丁目のゲイたちのバイブルにもなろうかという「やりすぎ」漫画。これはやみつきです!
外見だけでなく、内面も「女装」モードが立ち上がり、銀座のクラブママ、舞妓に芸妓などの、男社会における接待のプロフェッショナルをお手本に、叶恭子さんの「女を武器に使いこなしているその道のプロの高度な伝統技術」が今、大変に人気なんだそうです。「『女帝』を読む女たちの心境は、もはや、月刊『プレジデント』で西郷隆盛のリーダーシップを学ぶオヤジ管理職とほとんど同じ」だそうですが、実は「銀座のママ」「芸者」「叶恭子」「女帝」といったキーワードはことごとくゲイの大好物ばかり(ウケる)。「”女”を技術として客体化する視線は、彼女たち内面の視線が女という自己意識から隔たっていることの表れでもある」ということは、内面(性自認)はほとんど男性で、そのうえで「女装」を楽しんでるわけですから、ドラァグクイーンそのものですよね。

女性たちが「女らしさ」というコルセットを脱ぎ捨て、Tシャツとジーパンに着替えてしまったら、あとは好きなときに「女装」を楽しめばよいというわけです。とっても自由で、ゲイ(陽気)で、豊かなことだと思います。

昔からドラァグクイーンは女性に大人気でしたが、これからももっとそうなっていくと思います。すでにドラァグクイーンはいろんなアーティスト(安室ちゃん、あゆ、クーミンなど)のPVに出演していますが、ファッションリーダー的な活躍など、女性のシーンにどんどん進出し、クロスオーバーしていく気がします。