樽なんかで寝かしてられるか

この前の記事で、樽熟成のメカニズムについて述べた。今回はスコッチの樽熟成の歩み、歴史について少しだけ触れてみる。

樽熟成の発見に関しての通説はご存知の方も多かろう。
18世紀のスコットランド。ウイスキーへの課税、免許制が強化され、高率の麦芽税がかかるようになる。イングランド側の圧政を不満とする人々はハイランドの山奥へ逃れ、密造をはじめる。
樽
いまでは長期熟成が当たり前となっているが、それはごく最近のことだ。
ここで近代ウイスキーの基礎ができ上がる。大麦麦芽を乾燥する燃料としてピート(泥炭)を代用し、蒸溜したモルト原酒を入れて隠すのにシェリー酒の空き樽を流用した。
徴税吏の目を逃れて、シェリー樽に入れて隠したモルト原酒が豊かな芳香とコクを湛える。これが樽熟成の発見。課税が予期せぬ恩恵をもたらした。

だが当時の貴族や豪族たちはウイスキーの備蓄を樽でおこなっており、彼らは樽熟成の効果を早くから知っていたともいわれている。
またすぐに長期熟成という工程が確立したかというとそうではない。当時、ウイスキーを長く寝かせる概念はまったくなかった。蒸溜したばかりのニューポットを売り、すぐ換金する。領主への地代もウイスキーで換金率も高く、生活がかかっていたので樽で寝かせる悠長なことはしていられなかった。

酒税が樽貯蔵を確立

スコッチの樽貯蔵が法的に義務づけられたのは1915年。前年にはじまった第一次世界大戦による戦争ヒステリーが要因となっている。戦時中の禁酒法案は反発され、蒸溜酒の酒税を2倍に引き上げる案が出るが、蒸溜業界が一定期間ウイスキーを貯蔵する義務を負うという代替案を提出し、承認される。
これが2年間貯蔵。2年の根拠はとくになく、当時ブレンダーは2年熟成モルトやグレーン原酒をブレンデッドによく使っていたからだった。

翌1916年。3年以上の樽貯蔵となる。戦争が長引き、市場への流通量を減らすために、1年延長となった。
という訳で、スコッチといえども、その昔は品質にバラツキがあり、玉石混交だったということだ。
いずれにしても、酒税が樽熟成に大きな影響を与え、近代製法を確立する引き金になったという、熟成の裏話。今回はこれでおしまい。
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。
※メニューや料金などのデータは、取材時または記事公開時点での内容です。