いきなりだが、かつて書き下した拙著“日本のグッドBAR”(新潮OH!文庫)での『もるとや』の冒頭文を抜粋する。
<酒場の亭主。高橋克幸ほど亭主という言葉が似合うバーテンダーはいないだろう。第一印象で信頼感、親近感が湧く。白いシャツにネクタイ姿は営業の前線に立つ敏腕課長という気もしないではないが、カウンターの立ち姿はこれぞバーテンダー、酒場の亭主という味わいが滲み出ている。


こう書き出したのは3年近く前のことだ。その時に感じて表現した高橋克幸氏の印象はいまも何ら変わることがない。そして店も8年前にオープンした時と変わることなくシングルモルトウイスキーを取り揃え、豊かな香味を伝えつづけている。

もるとやは池袋東口からほど近い。三越デパートの裏手、豊島公会堂前の公園の傍にある。目印は文字に味のある看板だ。
ひら仮名で“もるとや”だが、文字には勢いがあって温か味がある。これは創業当時に小学校一年生だった高橋氏の息子さんの手によるもの。書家にも依頼したのだが、しっくりとくるものがなく、息子さんに絵筆に墨をつけさせて書かせてみた。すると意外にも満足のいくものに仕上がった。

店はおもいのほか小さい。カウンター5席、テーブル席8席。この小ぢんまりとした中に常時230~250本ものウイスキー・ボトルが鎮座している。ブレンデッドウイスキーは10本にも満たない。カナディアン、アメリカンも少ない。ほとんどがシングルモルトウイスキーだ。

マニアックに陥らず、自然体。


創業前に高橋氏はこう考えた。
「バーはお店の器が大きいと、一般的な多種多様なボトルをカバーしていかなければいけない。小ぢんまりと、思い切りモルトに専念してみよう。店名もマニアックな印象を与えていいじゃないか」
外からは店内が覗ける。モルトウイスキーの品揃えに驚く。ウイスキーファンであるなら、たちまち引き込まれてしまうだろう。気づかないうちに扉を開けていた、そんな感覚だ。

ただ私はウイスキーだけでは驚かない。いろんなところで書いてきたが、やたら品揃えが多く、やたらマニアックな講釈をし、ボトルからグラスにウイスキーを注ぐだけならバーテンダーでなくてもできる。仕入れる金があり、カタログ的な情報をインプットすれば誰でもモルト・バーなんてのはできるのだ。

高橋氏はそんなチープなバーテンダーではない。客を心地よく酔わせる爽やかな接客、マニアックでありながらマニアックに陥ることのない懐の深さ、そしてカクテルが旨い。いくらウイスキーに詳しくても、カクテル技術が未熟なバー・マンは論外である。
高橋氏のカクテルで気に入っているのはギムレット(¥1,000)。ジンはイギリスものではなく、フランスのエギュベルを使う。私はエギュベルが好きで、彼はこのジンの特性を生かしたミステリアスな香味の一杯をつくり上げる。
もるとやでは、必ずギムレットからはじめてウイスキーに移る。(次頁へつづく)