「過去最高」の過去には「危機」があった!

(上)ニンテンドーDS Lite
(下)Wii

任天堂が今月25日に発表した、07年9月中間連結決算。売上高が前年同期比2.3倍の6948億円、当期利益が同2.4倍の1324億円で、いずれも過去最高を記録したとのこと。ニンテンドーDSやWiiの販売が好調なためで、株式時価総額はトヨタ自動車などに次いで国内3位になっています(発表当日の終値)。

一方のソニー陣営も、デジカメやパソコンなど主力のエレクトロニクス事業が好調で、売上高は前年同期比12.8倍の4兆595億円、当期利益は同4.1倍の1401億円となり、ともに過去最高を更新。液晶テレビやゲーム事業での苦戦にもかかわらず、大幅な増収増益となりました。

ソニーのゲーム事業は現在、PS3の販売が伸び悩んでいることに加えて、『ドラゴンクエスト9』や『モンスターハンター3』などの大作ソフトが任天堂ハードへの移籍を表明するなど、1994年の初代プレイステーション発売以来最大の「危機」を迎えていると言えます。それでもソニーの場合は、ゲーム以外にもさまざまな事業を展開していますから、ゲーム事業における1258億円の営業赤字をほかの事業でカバーできているわけです。

……そして、いまや国内3位の大企業に成長した任天堂も、1889年(なんと118年前!)の創業以来、くぐり抜けてきた「危機」は一度や二度ではありませんでした。当記事では任天堂のこれまでの「危機」を振り返りつつ、その経験が現在の任天堂にどのように活かされているのかを見ていくことにしましょう。

最初の大きな「危機」

花札のポップと、紙製のトランプ。輸入に頼っていたトランプを初めて国内で製造した。(※画像をクリックすると拡大表示します)

任天堂は1889年(明治22年)、花札の製造・販売を手がける京都の工芸品メーカーとして、その歴史をスタートさせました。品質の高さから花札は順調に売り上げを伸ばし、さらにトランプの製造にも日本で初めて着手。年号が昭和になったころには、任天堂(当時の社名は任天堂骨牌)は日本最大のカード会社へと成長していました。

そして1949年、3代目の社長として山内博氏が就任。以降、山内氏は社長として52年ものあいだ指揮を執ることになりますが、任天堂の最初の「危機」は、この時代に起きました。

 


ホテル、タクシー、食品……多角経営の失敗

ディズニートランプの雑誌広告。山内氏は版権に厳しいディズニー社との交渉を成功させるなどの手腕を発揮した。

任天堂は1953年に日本で初めてプラスチック製トランプの製造に成功し、さらに1959年にはディズニーキャラクターを使用したトランプを発売。「子供向けトランプ」という新たな分野を開拓し、大ヒット商品になりました。この勢いに乗って、任天堂は1962年に株式を大阪証券取引所市場第二部と、京都証券取引所に上場。「カード会社」にとどまることなく新しいビジネスを模索していくことになります。

そこで任天堂が始めたビジネスは、ホテルの経営や、タクシー会社の運営、インスタント食品の開発、ベビーカーなどの育児用品や家庭用簡易コピー機の開発……などなど、「娯楽」とはまったく畑違いの業種ばかりでした。しかも、どれも失敗続き。会社はギリギリの経営状態が続きつつも、娯楽事業では「ウルトラハンド」や「ウルトラマシン」などの商品が大ヒットしたおかげで、倒産という事態は免れてきました。しかし……

※画像をクリックすると拡大表示します。
ウルトラハンド(左写真)と、ウルトラマシン(右写真)。これらの開発を手がけた横井軍平氏は、のちに「ゲームボーイ」の生みの親となる。

1973年、任天堂は大きな「危機」を迎えます。

任天堂はこの年の春、業務用大型レジャー施設「レーザークレー射撃システム」を完成させ、社運をかけて多額の先行投資を敢行。京都にオープンした世界初の室内クレー射撃場には世界中から客が押し寄せ、当時ブームが去りつつあったボーリングに代わる娯楽としても脚光を浴びました。……ところが、この年の秋、日本は「第一次オイルショック」に見舞われます。人々は消費行動に慎重になり、客足は瞬く間にクレー場から遠のいてしまいました。

国内外からクレー場の注文キャンセルが相次ぎ、これまでの失敗とは比べものにならない莫大な負債を抱えることになってしまった任天堂。118年の歴史の中で、これぞまさに最大の危機です。これまで幾多の危機を支えてきたのが「娯楽」なら、最大の危機を招いたのも「娯楽」だったというのは皮肉な話ですが、任天堂はこの時代の経験から多くのことを学び、それをのちの成功へと活かしていくことになります。

<この時代までに任天堂が学んだこと>
■トランプ(ハード)にキャラクター(ソフト)を乗せるという手法。
■娯楽は生活必需品ではなく、いつ市場が消えてもおかしくない。
■娯楽事業は当たれば天国、外れれば地獄。

……そして、試行錯誤の1970年代を過ぎたころ、ある大ヒット商品が任天堂を「ゲームメーカー」へと目覚めさせていくことになります(後編に続く)。

任天堂が乗り越えてきた“危機”(後編) >>

 





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