最初に住んだ街が荻窪であった

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荻窪駅北口。かつてのラーメン屋はなくなっていた。
関西にある大学を出て、僕は当てのないままとにかく東京にやってきた。
最初に住んだのが荻窪であった。なぜ荻窪かといえば、友人が住んでいたからである。
それが1982年。まだ時代は昭和であった。
荻窪駅周辺は基本的には今と変わりがなかったが、南口は今より道幅が狭く、北口は戦後から続く闇市の雰囲気がまだ少し残っていた。
今もふと見ると北口を出てすぐの場所に焼き鳥屋さんがある。
ただ、僕が荻窪にきたときすでに駅前の「ルミネ」や「タウンセブン」はあった。そのため、今と昔が混在する街という印象が強かった。


友人が連れて行ってくれた丸福

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北口を背にして撮影。ロータリーが広くなっている。かつてはここに荻窪ラーメンの雄が存在した。
上京してすぐ、友人は「荻窪はラーメンが有名だから」と言い、連れてってくれたのが、北口にある「丸福」というラーメン屋だった。驚いたのは、行列ができていたことだ。
青梅街道の歩道に10人ほどが並んでいたろうか。東京はラーメンを並んで食べるのかと思ったものだ。やっと自分たちの順番がきて、店内に入った。薄暗い店内で、人々は黙々とラーメンを食べていた。
ここは「玉子そば」が有名だからと友人が言い、僕もそれにした。
そのラーメンは今までは食べたことがない味だった。
ああ、これが東京の味なんだとしみじみと思ったものだ。


残念ながら「丸長」は臨時休業

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無情にも臨時休業だった「丸長」。
さて、今回の散歩はオールアバウトプロデューサーのEくんによる提案で「丸長」というラーメン店に行く予定だ。
Eくんによれば、この店が、都内でも隆盛を誇る大勝軒系ラーメン店のルーツなのだそうだ。
南口を出て天沼陸橋方面へ歩くとすぐに「丸長」があった。
が、なんと臨時休業の紙が貼られていた。
なんてこった。
同時に僕は複雑な気持ちだった。というのも、僕は天沼陸橋あたりに住んでいた。このラーメン店の存在は知っていたのだけれど、一度も足を運んだことがなかったからだ。
当時はもっぱら北口にあった「丸福」「丸信」「春木屋」といった荻窪ラーメンの三大巨頭といわれた店に行っていたのだ。
そんなわけで、僕たちは北口に行くことにした。
そして、懐かしいラーメン店さがしは次ページで!

荻窪駅より中野駅までラーメンを食べながら歩いた。



天沼陸橋への階段

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この階段を上って、北口までよく行っていた。
僕が最初に住んだのは荻窪の本天沼というところだった。1982年のことだ。それから東中野に引っ越し、3年後に荻窪に戻ってきたのはバブルより少し前のことだったか。ますます荻窪ラーメンはヒートアップしていた。
僕が住んだのは、丸長の先にある古いマンションだったのだ。
お昼どきなどはちょっとこの階段をのぼって、北口方面までラーメンを食べに行ったものだ。
懐かしい階段が今もそこにあって、なんだか僕は感激で胸がいっぱいになってしまった。


つわものどもが夢のあと

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区画整理で立ち退いてしまったが、ここに「丸福」があった。
「春木屋」はかつての場所にそのままあったが、「丸福」はすでになかった。
区画整理で立ち退いてしまったのだ。
そういえば、「佐久信」というラーメン店があったのを思い出した。
ちょうどこの区画だ。当時、「丸福」と「春木屋」という行列のできるラーメン店の間にあり、本当に嘘のように客のいないラーメン店であった。
その「佐久信」をてこ入れしようというテレビ番組があった。たしかコピーライターの糸井重里がキャッチコピーを考えたり、ラーメンの達人たちが新メニューを考えたりして、リニューアルしたのだ。そのため「佐久信」もあっという間に行列店になった。そういえば、僕も何度か食べに行ったなぁ。
今はなにもないただの道路になっている場所を見ながら、最初に友人に連れられてきた「丸福」のことやテレビ番組後、一番長い行列を作っていた「佐久信」のことを思い出していた。


今も残る「丸福」の暖簾

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ここが「丸福」の暖簾を掲げた店。
実は、「丸福」はかつて店が2軒あった。老舗ともいえる「丸福」のほうは、先ほどの写真でもわかるとおり、道路になってしまった。
同じ「丸福」の暖簾をかける店がもう一軒あって、同じようなメニューで同じような味を出していた。
いつ頃かはよく覚えていないが、たぶん僕が荻窪にいた頃にできた店だ。
もちろん、最初からあるほうがおいしいという評判だったが、新しくできた「丸福」もなかなかで、並ぶのがいやなときなどはこちらにきていた。
その別の「丸福」は今もあった。
昼前ということもあって、まだ暖簾はかかっていない。
僕たちはここへ行くことに決めて、いったん四面道方面まで歩いた。
四面道というのは、青梅街道と環八が交差するところだ。
たしかこちらに「春木屋」の本店か「丸信」の本店があったような気がしたのだが、探せなかった。
それにしても青梅街道沿いの商店街もずいぶん変わった。古い商店が消え、今風のビルに建て直しが進んでいるようだ。
再び駅前に戻ってくると、「丸福」に暖簾がかかっていた。


いよいよ懐かしいラーメンは次ページで!

これが「丸福」の玉子そば

開店からそんなに時間がたっていないだろうにすでに満席に近い状態だ。1つ席をつめてもらってEくんと並んで座る。カウンターだけの狭い店だ。中年の店主が1人でラーメンを作るのがよく見える。もちろん、あのとき僕が友人に教えられた玉子そばを注文。
荻窪ラーメン「丸福」の玉子そば
荻窪ラーメン「丸福」の玉子そば 700円

ラーメンのスープが注がれた後で、少しだけ加えられるエキスのようなもの。あのとき友人も目の前で作られるラーメンを見て、「あれあれ、あれがポイントなんだよ」そう、耳元でささやいたのを今でも覚えている。
実際、今日のラーメンはどんどん進化し、ここ「丸福」の味はさほど目立ったものではないかもしれないが、僕が東京に来た80年代前半はやはり驚くべき味だった。
もうひとつの「丸福」の店内は薄暗かったが、ここは明るい。それで、スープが真っ黒なのがわかるけれど、さほどしょっぱくはない。
煮玉子はごく普通のゆで卵だった。ちょっと拍子抜けであった。というのもこの煮玉子おいしかったという記憶があったからだ。今のラーメン店では半熟だったり、味がよくしみこんでいる煮玉子が出てくるが、それとはまったく違う。むしろ懐かしさがこみ上げてくる。


青梅街道はラーメン街道

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青梅街道から中野通へ進む。
さて、おなかもいっぱいになったところで、きょうはラーメンのはしごである。どうなることやら。
当初の目的では、今や人気の大勝軒のルーツをさぐる散歩だったが、「丸長」がお休みだったため、「丸福」へ来たが、中野の大勝軒へは予定通り行くとEくん。
そんなわけで、僕たちは青梅街道を中野方面に歩き始めたのだが、この区間はめちゃくちゃラーメン屋が多い。実に多種多様のラーメン店がある。
なかにはいま改装工事中で来週オープンというのがあった。


これが中野の「大勝軒」

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最近、あちらこちらにできている新しい大勝軒とは一線を画す古い店構えだ。
ぶらぶらと寄り道しながら歩いたので、1時間ちょっとで中野通にある「大勝軒」へ到着。
さすがにまだお腹がすかないので、その周辺を散歩することにした。
中野にも有名なラーメン店は多い。ブロードウエイの方へ「青葉」というお店がある。
そんなラーメン店やブロードウエイを見ながら僕たちは時間をつぶした。
そして、時刻は3時前。
少しお腹もすいてきた大勝軒へうかがった。


中野「大勝軒」のつけそば次ページで!

これが「中野大勝軒」の「辛子ネギつけそば」

さすがに目先を変えなくちゃ食えないかもしれないと、僕は辛子ネギつけそばにした。
豚レバー刺身
辛子ネギつけそば 650円

ここはじめてやってきた。それにしてもどのメニューも安い。とくに普通の「つけそば」は480円だ。
僕が注文したのは白ネギが入って、ピリリと辛い。うまいなぁ。
しかし、普通の「つけそば」でも十分に食えたかもしれない。
ちなみにEくんは、「肉入りつけそば」650円を注文した。


実に旨いが、おなかおっぱいだ!

「つけそば」の最後は割スープをつけ汁に入れてもらって飲む。発想としては日本蕎麦のそれである。というわけで割スープを入れてもらって、全部飲んだ。くーっ。お腹いっぱいだぁ。
つけそば
昼を前後してラーメン2杯はさすがにヘビーだ。

さて、お腹いっぱいになったところで、Eくんは中野駅、僕は中野坂上まで歩いた。
それにしても懐かしい散歩だった。荻窪に住んでいたときに青梅街道を新宿まで何度か歩いたが、そのときの記憶がよみがえってくる。さらに「丸福」の味も懐かしかった。本文にも出てきていた昔からあった「丸福」については、ネットで調べてみたら、三鷹のほうに移転していたようだ。こちらも機会があればぜひ足を運んでみたい。
さらに今回は行けなかった「春木屋」や「丸信」にもぜひ行ってみたい。




<関連リンク>
荻窪ラーメン - Wikipedia
丸福(まるふく)/荻窪/ラーメン[食べログ.com]
丸福(まるふく)/三鷹/ラーメン[食べログ.com]
中野大勝軒 | ラーメンデータベース
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