喫茶店のメッカ神保町をスタート

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ここが神保町の「さぼうる」と「さぼうる2(ツー)」。地下鉄神保町駅を出てすぐだ。
今回は昭和の喫茶店を探しながら歩くことにした。
プロデューサーのEくんと神保町の交差点で待ち合わせ。

古書店の街、神保町は喫茶店の街でもある。
購入した古本をコーヒーを飲みながら読む人の姿もよく見かける。
昔、職場が神保町にあったので、この近辺の喫茶店にはよく入った。
交差点からすぐのところにある「さぼうる」は昔もよくきた。
昭和30年に創業したという。そういえば、僕が東京にやってきた昭和50年代の終わりごろ、
すでにこの喫茶店はレトロな感覚がいっぱいであった。
「さぼうる」は喫茶で「さぼうる2」は食事も出す。
ちょうど昼時なので、「さぼうる2」にする。

レトロな感覚の喫茶店「さぼうる2」

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木の階段を降りていく。店内はそんなに広くないのだが、妙に落ち着く。
20代のEくんは、喫茶店への思い入れはないようだ。しかし、僕のような世代は喫茶店に入ってコーヒーを飲むということが、大人への儀式みたいなところがあった。

苦いコーヒーを無理して飲んだ高校生のころ。
一人暮らしの大学生になったとき、喫茶店は食事の場であった。
フリーライターになったころ、まだ手書き、原稿用紙の時代だった。よく喫茶店で原稿を書いたものだ。
そして、今は散歩の途中でよく喫茶店に寄る。
もうやめてしまったが、少し前までは煙草を吸っていたので、喫茶店というのは喫煙の場でもあった。
全席禁煙のところが多い、カフェとは違い、喫茶店は喫煙者にとっては気楽に一服できる場所である。
「さぼうる2」は昼時ということもあってお客さんで一杯だった。地下へ行く。木の階段がいい。狭い店内なのだが、満席でも圧迫感がない。不思議な店である。

なんともレトロな赤電話

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昔は電話をしに喫茶店に入ることもあった。携帯電話などない時代の話である。
薄暗い店内で目立っているのが赤電話である。10円玉を入れてかけるもので、今も現役のようだ。
そういえば、昔は電話をかけるために喫茶店に入ることもあったなぁ。店の人に10円を両替してもらって、電話したものだ。
これだけ携帯電話店が普及した現代ではちょっと考えられないことだろう。
昭和のころ、喫茶店は今のカフェとは違い、もっと多目的なものであった。たとえば、新聞や週刊誌を読む場所でもあった。
いまのカフェには新聞も週刊誌もない。そして、灰皿や公衆電話もない。

懐かしいナポリタンの味

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これで普通盛り。けっこうな量だ。サラダが付いて650円。プラス200円で飲み物が付く。
表にお昼のメニューという看板。午前11時から午後2時までのメニューが並んでいる。ここ「さぼうる2」の名物はなんといってもナポリタンである。最近は食べていないなぁ。というわけで、僕はナポリタン、Eくんはミートソースを注文する。
次々とほかの席に運ばれているナポリタンを見て驚いた。超大盛りなのだ。少し不安になって、店の人にあれは大盛りなのか普通盛りなのかを聞く。
あれは大盛りですけど、普通でもけっこう量がありますよ、とのこと。
そうか、昔は僕も大盛りを食べていたことを思い出した。
30代のころ、僕は体重が100キロを越す肥満体型であった。
注文するのはたいてい大盛りだったなぁ。
というわけで、やってきたナポリタンは店の人が言うように、けっこうな量だ。
50歳前の僕には少々胃にもたれるなぁと思いながらもおいしく完食。
ケチャップの味がなんとも懐かしい。タバスコや粉チーズもたっぷりかける。
うまいなぁ。

ミートソースも昔の味だ

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こちらもものすごい盛のミートスパゲティ。食べごたえがある。こちらもサラダが付いて650円。
喫茶店の食事メニューの基本というのは、カレーライスであろう。「さぼうる2」のビーフカレーもなかなかうまい。そして、喫茶店の定番といえば2種類のスパゲティだ。「ミートソース」と「ナポリタン」である。いっしょに出てくる粉チーズにタバスコも定番であろう。
まだアルデンテなんて知らないころ、これこそがスパゲティだと思って食べていた。
そういえば、大学時代、僕は喫茶店でアルバイトをしていたことがある。今のパスタ料理と喫茶店のスパゲティとはまったく別のものだ。
まずは、仕込みでスパゲティを大量にゆでる。茹で上がったスパゲティは冷まして、200gずつをサランラップでくるみ、冷蔵庫に入れておくのである。
注文があったら、冷蔵庫からパスタを出して、フライパンで炒める。
ナポリタンの場合は業務用の大きな缶詰からオタマでひとすくいのソースを入れ、フライパンで炒める。ただそれだけだった。

半額で本を売っているお店く

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今話題の「ブックハウス神保町」。古書ではない。新しい本が半額で売られているところだ。
「さぼうる2」の食事でお腹一杯になったところで、靖国通りを九段下方向に歩いた。
すぐに目に入ってきたのは「ブックハウス神保町」である。ここは、出版社と契約し、安い値段で本を売っている話題のお店である。
中に入ってみる。なるほど、本当に安い。しかも古書ではない。
日本の出版事情もこういうお店から変わりつつあるのかもしれない。普通なら、返品され裁断される本がまたこういう書店に並んでいるのだ。
少し見て、さらに靖国通りを進む。芳賀書店があった。僕が上京した80年代の初めというのは、まさにビニ本ブーム。ここ芳賀書店も男性客で満員であった。
懐かしいなぁ。ちょっと立ち寄ってみる。今はビニ本などではなく、アダルトDVDが並んでいる。時代は変わったのである。

歴史のプロムナード

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飯田橋駅へ向かう目白通りにはいくつもの碑が建っている。
靖国通り沿いにもいくつかの古い喫茶店がある。それらを見ながら俎板(まないた)橋を渡り、九段下へ。
靖国神社の手前で目白通りを右に曲がる。以前から気になっていたのだが、飯田橋駅に向かうこの目白通りには歴史のプロムナードという碑がいくつもある。今度じっくり観察しながら歩きたいと思っているのだが、今回は目についたものを紹介していこう。
まず、最初に遭遇するのが、「台所町」という碑である。
それによれば、江戸のはじめから元禄の頃まで、江戸城の台所衆の組屋敷があったそうだ。台所頭をはじめとして、台所衆、台所者と呼ばれる役人が住んでいた。その後大名や、旗本の屋敷に移り変わったのだが、その後も台所町の名前が残った。
なるほど、さっき渡ってきた橋が俎板(まないた)橋というのもうなづける。

甲武鉄道飯田町駅

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今は飯田橋という地名だが、昔は飯田町といっていた。ここに甲武鉄道飯田町駅があった。いまの中央線である。
しばらく歩くと「甲武鉄道飯田町駅」という碑があった。
明治22年(1889)、新宿ー八王子間に甲武鉄道が開業し、明治28年(1895)には市街線として延長され、飯田町駅が開業し現在の中央線の始発駅となったのだそうだ。その後甲武鉄道は御茶ノ水方面に延長され、明治39年(1906)、甲武鉄道は国有化される。
昭和8年(1933)に飯田町駅は貨物専用駅となり、この奥のホテルエドモントが旧駅構内で、改札口は小石川側にあったそうだ。
考えてみれば民営化されたJRだが、もともとは多くの民間鉄道がしのぎを削っていたわけである。

外堀通りを神楽坂へ

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外堀通りの飯田橋駅ぞいの整備された散歩道。川の流れに紅葉した木々が美しい。
この日は秋晴れのいい天気だった。目白通りを進み、飯田橋駅を通り過ぎたところで、外堀通りを左に曲がり、神楽坂をめざす。
ここは歩道が整備され、実に美しい人口の散歩道になっている。
川が流れ、木々の間から日光が差し込む。思わずEくんが「きれいな景色ですねぇ」と言った。日の光が差しこみ、川面に紅葉した木々が映る。青い空には遠くビルが見えている。
絶景である。この日のような晴天にゆっくり散歩してみたいコースだ。
しばし、たたずみ景色を眺めた。

神楽坂で見つけた古い喫茶店

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神楽坂駅からすぐの「フォンテーヌ」。地下の階段を降りるとある小さな喫茶店。
江戸時代の神楽坂はもっと急な坂だったようだ。今でもこの坂をのぼるとその急坂に息が弾む。
いっきに坂をのぼり、大久保通りを越える。
しばらく行くと、右に赤城神社への道がある。入り口がみえてくる喫茶店が「フォンティーヌ」である。間違いなく、昭和時代から営業しているであろう、小さな喫茶店だ。
入り口は、神楽坂通り側にもある。ちょうど神楽坂駅の出口の隣にある。そこから地下に降りていくのだ。老夫婦2人だけでやっている喫茶店である。テレビがあって、お昼の番組をやっている。そういえば、昔はテレビを見に喫茶店に行くということがあったそうだ。それにクーラーの効いた場所であるとか、そうそう、僕が大学生時代にはゲーム機が置かれていた。インベーダーゲームである。あれをやるために喫茶店に通う人も多かった。

最初から甘いアイスコーヒー

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コーヒーを一口飲んだEくんが、うげっと変な声を出す。最初から甘いアイスコーヒーである。
僕が喫茶店に行き始めたのは、昭和50年代のことだ。当時はまだアイスコーヒーは最初から砂糖が入っているのが一般的であった。
いつしか、僕は甘いコーヒーが苦手だ。知らない喫茶店でアイスコーヒーを注文する際は
「砂糖は入っていますか?」
と聞いたものだ。最初のころは5割くらいだったろうか。その割合は徐々に「砂糖は入っていません」というものが多くなり、ここ最近はそういうことも聞かなくなった。たいていは、ガムシロップが別に出てくる。
というわけで、僕はクリームソーダ、Eくんはアイスコーヒーを注文。
ストローでアイスコーヒーをひと飲みしたEくんが変な声をあげた。
「これ、甘いですよ」
と言うのだ。さすが、昭和の喫茶店である。
デフォルトで甘いアイスコーヒーだ。
僕はちょっとうれしくなった。

クリームソーダの思い出

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眺めているだけでも楽しいクリームソーダ。子供のころはよく注文したなぁ。
僕が喫茶店でアルバイトをしていたというのは、大阪でのこと。
大阪では、アイスコーヒーのことを「冷(れい)コー」と言う。
なかには「コールコーヒー」という店もあった。
山口県から大阪に行った僕はこれがよくわからなかった。「冷コー」はなんとなくわかったが、
「コールコーヒー」は「凍るコーヒー」で、凍らせた固形だと思ったものだ。
実際は「Cold coffee」のことであった。
日本語に訳せば「冷コーヒー」ということになる。
東京にきたばかりのとき、冷コーになれた僕は「アイスコーヒー」という字面を見て、
これは、コーヒー味のアイスクリームかと一瞬思った。

ちなみにアルバイトしていた時、いろいろなメニューを略していた。
たとえば、レモンスカッシュは「レスカ」、バナナジュースは「バナジュー」、
クリームソーダは「クリソー」と言っていた。
クリームソーダを飲むと、ふとそんなことを思い出す。
が、ここでEくんに異変が…。

こちらも喫茶店の多い早稲田へ

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早大通りには昔ながらの喫茶店が多い。ここ、「預言カフェ」は新しくできた喫茶店である。
どうも、Eくんの元気がないと思ったら風邪を引いているらしい。
本当は早稲田まで歩く予定だったのだが、彼はここでリタイア。神楽坂の駅の入り口に消えていってしまった。
僕の自宅は早稲田なので、そのまま散歩を続けることになる。
神楽坂通りから、裏通りへ入り、早大通りに出る。
早大通りは、江戸川橋通りより垂直に早稲田大学の正門前までの道である。
ここは、昔ながらの喫茶店が多い。ただ、こじんまりとした店が多く、気をつけていないと通り過ぎてしまいそうだ。
この早大通りにかつて「メルヘン喫茶」という風変わりな喫茶店があったが、今はない。メイド喫茶のようなメルヘンチックなお店で僕は好きだったのだが、そこに今は「預言カフェ」がある。
クリスチャンの方がやっているお店で、コーヒーさえ注文すれば、預言は無料でやってくれる。開店当初はすぐに預言をしてもらえたのだが、今は長蛇の列である。女性ばかりが並んでいる。占いのように質問したりはできない。ただ、自分のこれからの人生を預言してもらえる。

昭和43年オープンの「バロン」

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早稲田にある「珈琲 バロン」。時間が昭和で止まったような喫茶店である。
自宅から近いこともあって、僕がよく行くのはこの「珈琲 バロン」という喫茶店である。たぶん、昭和43年のオープン時からずっとお店にたっていらっしゃるだろう女主人のいるお店。心地のよい椅子がなんとも好きだ。
実はこれから打ち合わせだ。某出版社の編集者と待ち合わせたのだが、なかなかこない。
ここはわかりにくいのだ。そういうところも僕はこの喫茶店の好きなところだ。
そして、店内にはピンク電話があった。

ピンク電話も懐かしい

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「珈琲 バロン」のピンク電話。こちらも現役のようだ。
「珈琲 バロン」で僕はホットコーヒーを注文した。喫茶店の散歩だったのに、きょうコーヒーを飲むのは最初である。
この喫茶店は大学が近いのだが、お客さんで学生はあまり見かけない。時間帯が違うのだろうか。女主人によれば、OBなどはよく懐かしがって訪ねてくるそうだ。
オープンしたのは昭和43年(1968)だそうだ。店内を見渡せば、なるほど昭和で時間が止まっているような喫茶店だ。
編集者がやってきた。まだ20代の男性だが、きょうの散歩の話をすると、
「俺もカフェよりは喫茶店ですね。カフェは新聞がないでしょ、だから買ってから入らなくちゃいけなくて、その値段を考えると喫茶店のほうが得なんですよ」
と言った。なるほど、そういう人もいるんだと感心すると、
彼は煙草をふかしながら大きくうなづいた。



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