荷風が晩年に住んだ八幡町へ

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京成線八幡駅のホームから見える「大黒家」の看板
昭和20年3月10日の東京大空襲で、麻布市兵衛町(現在の六本木1丁目)にあった永井荷風の住まい「偏奇館(へんきかん)」が焼け落ちた。荷風は知り合いの家を転々とし、岡山へ疎開する。
そして、昭和22年千葉県市川市の菅野に引っ越してきた。荷風、67歳のときのことである。
親戚や知人の家に住みながら、昭和32年に市川市八幡町に家を建てた。
浅草へ行くことも頻繁だったが、晩年はこの大黒家へ毎日のように通い、カツ丼を食べていたそうだ。

荷風が通った大黒家

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こじんまるりとした八幡駅のそばにある「大黒家」はすぐにわかった。
都営新宿線の本八幡駅を下車。京成線方面の出口を出ると、京成本線八幡駅はすぐにわかった。
こじんまりとした駅だ。ホームの向こう側に大きな大黒家の看板が見える。
日本最高峰の日記文学といわれている荷風の「断腸亭日乗」。その晩年の記述に「大黒家」はしばしば登場する。
とくに記述のほとんどなくなる最晩年は、一行だけ、

正午大黒屋食事。

と書かれている。「食事」の文字さえないことが多い。ちなみに本当は「大黒家」なのだが、荷風は「大黒屋」と記している。店が休みでも荷風はやってきた。やさしいお店の方は、荷風がくれば、休みでも料理を出したそうだ。

荷風セットをいただく。旨い!

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これが荷風セット。並カツ丼、上新香、酒一合をセットにしたもので、1522円。ホームページのクーポン券を持っていくと1260円になる。

店のショーウィンドウに永井荷風の写真などがあった。荷風が愛したカツ丼は840円である。この店の公式ホームページを見ると荷風セットというものがあった。
カツ丼+上新香+日本酒一合
という組み合わせ。いつも荷風が食べていたものをセットにしたそうだ。
店内は広い。カウンター席、テーブル席、座敷席がある。
みんながカツ丼を食べているのかというとそうではなく、本来は天ぷら、うなぎといった日本料理のお店である。家族連れやカップルなどがいる。年齢層も幅広い。
荷風セットにする。1522円なのだが、ホームページのクーポン券をプリントアウトしてきたので、1260円。お酒が飲めない人はアイスクリームにすることもできる。
さて、カツ丼である。これが予想以上のおいしさだった。サクッとした衣にやわらかいお肉。しかもかなりの量だ。
お店の人にちょっと聞いてみたが、当時(荷風が通っていた)と、量も味も変わっていないそうだ。なるほど、荷風は毎日これをたべていたのか。そう思うとこれからの散歩にワクワクと胸が躍る。

荷風ノ散歩道

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「荷風ノ散歩道」という幟が商店街にかかっていた。荷風のイラストがユーモラス。
駅の隣すぐの場所に踏み切りがある。その脇にいまは営業しているのかどうかわからない商店がある。看板に「森永キャラメル」という文字がほとんど剥げかかっている。
駅の裏の路地を入っていくと、荷風が建てた家があった。今も人が住んでいる気配がある。
写真を撮るのは遠慮して、再び商店街へ。「荷風ノ散歩道」という幟が街灯に下げられている。ここは、「商美会ロード」というらしい。
この日はあいにくの雨。細い道は車1台がやっと通れるほどの道幅だ。傘を差して歩くのに少々難儀をしながら、再び脇の路地に入る。

菅野から真間へ向かって歩く

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このような板塀の細い路地がいくつもあった菅野。角からひょっこり荷風先生が出てきそうだ。
商店街から左側に路地を入ると、菅野(すがの)という住居表示であった。
荷風の随筆に「葛飾土産」というのがある。冒頭はこんな一文から始まる。

菅野に移り住んでわたくしは早くも二度目の春に逢おうとしている。

そして、荷風は農家の垣に梅花が咲いているのを見つけて予想外の幸せだった記している。そして、このあたりが昔の向島を思い出させるようないい風景の場所であるというのだ。
当時、このあたりは松林や畠が続く田園地帯だったようだ。
この随筆によれば、荷風は風の強い日の翌日に手籠(かご)を下げて散歩をしたとある。風で落ちた松毬(まつかさ)や枯れ枝を拾うためである。ご飯を炊く燃料としているのだ。
なんとものどかな日常であろうか。

両側が田園の道を進んでいく

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今でも畠を見ることができる菅野から真間あたり
菅野には、荷風が親戚や知人と同居していた場所が今も残っている。ただ、そうした場所も観光地ではなく、普通に人が住んでいる。そこはあっさり見学し、写真も撮らずに通り過ぎた。
菅野の住宅街を縫うように歩くと次第に住宅は少なくなり、荷風が住んでいた時代にもそうであったような田園風景が現れる。
どこか懐かしい、ホッとするような風景だ。ビルの林立する都心部にはない開けた感じのする道。その道に車が往来することそう多くない。

文学の散歩みち

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「市川と近代文学」と題された碑があった。雨にぬれた落ち葉が印象的。
田園風景の中、道を西に進むと川にあたる。これが真間(まま)川である。随筆「葛飾土産」にもこの川のことが出てくる。
荷風はこの川の源流はどこだろうかと夢想する。それは子供のころからの荷風の癖のようなものだったらしい。。
真間川の川沿いの道を南へ歩く。
しばらく行くと、「文学の散歩みち」という案内板があった。
ちょうど遊歩道のようになっていて、その脇にさまざまな文学者の説明文が書かれた板がある。
もちろん永井荷風もその1人として取り上げられている。

桜土手公園を行く

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たぶん桜の季節はきれいなんだろうなぁ。歩きやすい遊歩道の公園。
「文学の道」は「桜土手公園」ともいうらしい。遊歩道になっていて、雨の中をウォーキングやジョギングをしている人たちもちらほらいる。なかなかいい散歩コースだ。
しかも、コースに多くの文学者の紹介文が載っている。
すべて、市川ゆかりの文学者らしい。
この地で亡くなった永井荷風、幸田露伴はわかるが、それ以外にも多数いる。
北原白秋、三島由紀夫、水原秋桜子、井上ひさし、山本夏彦などがあった。
近くには相田みつお記念館もあるようだ。

粟ぜんざいを食べる

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これが粟(あわ)ぜんざい。650円。栗(くり)ぜんざいではない。
市川真間駅方面に向かうと「真間ちもと」という甘味屋さんを見つけた。
店先では「手児奈(てこな)の里」という市川名物を売っていた。
卵白で練った求肥に、刻んだ羊羹を包みこんだものだそうだ。上品そうなお菓子だ。
中で食べることもできる。珍しいものがあったので、それを頼んでみた。
「粟(あわ)ぜんざい」である。
これはおいしい。甘いぜんざいにもっちりした粟がよくあう。
雨で少々冷えた体を温かくしてくれた。

千葉街道より江戸川を越える

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市川橋の隣はJRの電車が走る鉄橋が見える。
市川真間駅を越えるとすぐにJR市川駅が見えてくる。
ここから大きな通り、千葉街道を西へ歩く。昔からここにあったのだろう、古いお蕎麦屋さんだとか、古い商店などもある。
まっすぐ行くと、大きな交差点がある。松戸街道と千葉街道が交わっている。ここが市川広小路である。
さらにその先には大きな川がある。江戸川だ。
千葉県と東京都の境である。そこにかかる橋が市川橋。これをわたって東京都へ。

江戸川沿いを南下していく

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実に気持ちのいい散歩コースである江戸川の土手。
「葛飾土産」の中で荷風は、川を海のほうに歩いている。それはこの江戸川ではなく、さきほどの真間川である。荷風はこの川を海までたどろうと歩き始める。しばらく行ったところで、歩いてきた子供に海までの距離と地名を聞いている。子供は海まではまだまだあるといい、地名は原木(ばらき)と答えたそうだ。荷風はそれで断念し引き返している。
地図で見てもけっこうな距離である。さすがに荷風は歩く人であった。
というわけで、僕も江戸川を歩く。
すぐ近くにはJRの小岩駅があるが、江戸川を南下してみることにした。
なんせこの土手を歩くのは実に気持ちがいい。
しばらく歩き、さすがに疲れたので、土手を降りた。
そこは篠崎であった。
川から少し離れ、やっと都営新宿線の「篠崎駅」を発見。
しかし、考えてみれば「本八幡」から1個目である。



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