水道橋駅から皇居から赤坂へ

都心の真ん中、こんな場所に竹林。そして芽を出す竹の子!
かつて、皇居の周辺は何度も散歩しているのだが、皇居東御苑に入ることはなかった。たまたまタイミングが悪く、いつも門が閉ざされていた。とにかくこれまで縁がなかった皇居東御苑を散歩してみることにした。

かつての江戸城は大きく北と西と東の3つの部分に分かれている。北は現在の北の丸公園、西は、西の丸(現在の皇居)、西の丸下(皇居外苑)、吹上(皇居吹上御苑)、そして東は本丸、二の丸、三の丸、天守台などがあった東御苑である。現在の東御苑には江戸城のなごりもあれば、武蔵野の面影を残す林などがある。見所満載の散歩コースである。

というわけで、今回の散歩はJR水道橋駅から始まり、南へ進み、東御苑を散歩する。以前、川越散歩では、案内をしてくれた東山さんがこの散歩に参加してくれた。水道橋駅に午前11時集合。駅のホームに案内板があった。水道橋というのは、神田川に架かる橋の名前で、神田上水の「万年樋(とい)」を眺められることから水道橋の名前がついたそうだ。駅周辺の散歩コースなども紹介されているので、この看板を見てから歩くのもいいだろう。

まずは腹ごしらえにライスカレー

「まんてん」の裏メニューである「全部のせ」。ものすごい迫力だ!
水道橋駅から、白山通りを神保町方面に向かって歩く。すると「ライスカレー まんてん」という看板がある。矢印の方向へ道を入っていくと、カウンターだけのお店がある。ここは、「カレーライス」ではなく、「ライスカレー」である。僕がまだ子供だった昭和40年ころは、ライスカレーと言う大人が多かった。もともと、日本にカレーが入ってきたのは、洋食としてであり、最初のころはライスカレーという呼び名だったようだ。その後、軍隊でカレーを出すようになる。陸軍では「ライスカレー」、海軍では「カレーライス」と呼んでいた。

というわけで、「ライスカレー まんてん」である。昼前だというのにほぼ満席。事前調査によれば、ここはカツカレーがおいしいそうだ。カレールウを一度ご飯にかけ、カツをのせて、さらにルウをかけてくれる。挽肉のカレーで、クセのないかんじなのだが、食べ終わるとまた食べたくなるようなカレーである。僕はカツカレー550円を注文。東山さんはここの裏メニューである「全部のせ」にチャレンジ。カツ、コロッケ、シューマイ、ウィンナソーセージなどが乗っている。ものすごい迫力だ!
さて、お腹もいっぱいになったところで、さらに白山通りをまっすぐ進む。

■ライスカレー まんてん
電話:03-3291-3274
住所:東京都千代田区神田神保町1-54
最寄駅:神保町 水道橋
営業時間:11:00~20:00(土は~16:00)
定休日:日祝日


平川門より皇居東御苑へ

今も残る木の橋、平川橋。ここを渡ると平川門がある。
水道橋駅から白山通りを皇居方面に歩くと、神保町の交差点がある。古書街で古本屋を冷やかしてもいいが、以前もそんなことをしていて日暮れになった経験がある。ここはまっすぐに皇居方面へ。右側に小学館が見えてくる。そして、左側に「一橋徳川家 屋敷跡」という看板がある。このあたり、気象庁や東京国税局あたりまでが一橋徳川家の敷地だったそうだ。一橋徳川家は御三卿のひとつで、将軍を出す家柄で、有名なのは最後の将軍、徳川慶喜であろう。

先に進むと、平川橋が見えてくる。この橋を渡ると平川門だ。皇居東御苑に入るには、大手門、平川門、北桔橋門と3つの門がある。なかでも往時を偲ばせるのはこの平川橋からのコース。昔ながらの木橋である。実に美しい橋だ。江戸城の正門は大手門である。各大名や旗本たちが登城するときは大手門が通用門だった。それに対してこの平川門は裏門にあたり、大奥への通用門でもあった。また、平川門のそばには不浄門がある。罪人や死者はこの門から出されたのだ。

平川橋を渡って、最初にくぐる門、第一の門はこじんまりとしている。まっすぐではなく、折れ曲がるようにして次の門が現れる。こちらは巨大だ。これが、桝形門といわれるものだ。コの字型に作られた門と石垣で、広い広場のような空間がある。こういった門の配置を見ていると、ここが軍事施設であることを強く感じる。攻め入った兵が両方の門を閉められ、ここに留められ、上から鉄砲や矢を放たれるといった具合だ。

そこを抜けると苑内は広く、ここが東京であることを忘れさせるほど、自然の豊かな庭園が広がっている。東御苑は、前述したように3つの門から入ることができる。入苑は無料である。
入り口のところで、「入園票」というのをもらい、どの門から出てもいいのだが、必ずもらった「入園票」を返さなくてはならない。

梅林坂をのぼり、天守台あとへ


いまは茶色の芝生あたりが、昔の本丸のあった場所だ
ちょうどお昼時ということもあって、弁当を持ってこの東御苑に入っていくビジネスマンもいる。芝生やベンチで弁当を食べるのだろう。今は広大な公園になっている皇居だが、江戸城の時代には建物が並び、多くの人がここに住んでいた。大奥などは1500人もの女性たちがいたそうだ。

「そんなに女性がいたんですか、将軍も大変ですねぇ」

と東山さんが言う。いやいや、それら全部が正室や側室というわけではなく、お世話をする人たちも含めて最盛期は1000人以上の女性がいたということである。

平川門より進むと道がふたつに分かれている。右が天守台、左が二の丸。僕たちは右の坂をあがることにした。ここは「梅林坂」という。江戸城を最初に作った太田道灌がここに梅の株を植えたことからこの名前がついたそうだ。現在では、50本の紅白の梅があるとのこと。すでに花の時期は終わっていたが、12月から2月まで花が楽しめるそうである。その時期、またきてみたいものだ。

坂をあがると天守台がある。といっても、いまそこにあるのは礎石だけだ。案内板には当時の絵もあるので、想像しながら見る。三代将軍家光の時代には、徳川幕府の権威を象徴する国内でも最大の天守閣がここにあったのだ。しかし、1657年の明暦の大火の飛び火により消失してしまった。しかし、市街地からこれだけの距離がある天守閣に飛び火してしまったのだから江戸の大半を焼き尽くしたという明暦の大火のすごさがわかるというものだ。消失後、天守閣は再建されることはなかった。いまはこのスペースにはベンチも置かれている。見晴らしがよく、外国人観光客たちが記念写真を撮っている。

天守台を下りさらに道を先に進む。本丸あたりはちょうど芝生になっている。本丸というのは、まさに江戸幕府の中枢があった場所である。本丸は「表」「中奥」「大奥」に分けられていた。「表」は、まさに幕府の政務を担う場所、「中奥」は将軍の生活する場所であり、ここは、同じ建物にあった。大奥は別棟で、中奥とは一本の渡り廊下でつながっていた。その本丸は幕末の1863年の火災で焼失した。それ以来再建されず、現在、かつての本丸部分は芝生になっている。

二の丸、三の丸などの建物があった場所も今は森になっている。その中に道がいくつもつくられていて、散歩コースとしては、けっこう歩き甲斐がある。トイレやベンチなども多くあって、散歩者にもやさしい。松の廊下跡の碑があったりで、飽きさせないコースである。

日本庭園でしばしの休憩

かつては将軍がこの富士見櫓から両国の花火や品川の海を見たそうだ
かつて、江戸城内には19もの櫓があったそうだ。今残っているのは伏見櫓、桜田二重櫓そして、富士見櫓である。この富士見櫓は石垣の高さが約14.5m、櫓の高さは15.5m。明暦の大火で天守閣が失われてからは、将軍がこの富士見櫓から両国の花火や品川の海を見たそうだ。立ち入り禁止となっていて、近づけない。

百人番所などの前を通って、二の丸庭園へ。そういえば、入苑して約1時間。そろそろ後半戦。ちょっと休憩しよう。飲み物の自販機があり、そこでお茶を購入。二の丸庭園にあったベンチで休憩をした。

竹林があり、竹の子が芽を出している。まさか、こんな光景が都会の真ん中にあるとは…。実に不思議な気分である。二の丸庭園だけでも広大な敷地がある。池があり、大きな鯉が泳いでいるのが見える。また、武蔵野の面影を残す雑木林があったりする。

都道府県の木を巡ってみる

都道府県の木を順番に見ていくだけでもあっという間に時間が過ぎる
これまでスタスタ歩いていたのだけれど、庭園内はまったり歩いた。ちょっとした小山や池などがあり、変化に富んでいる。おもしろいのは、「都道府県の木」という場所。東山氏が、

「いろいろな木が一度に植えられているというのは、すごいですね。よく育ってますよ」

と言う。なるほど、宮崎県の「フェニックス」と北海道の「エゾマツ」などが同じ区画に植えられているのだ。ゆっくり見て回るだけでも実に楽しい。
そんな木を一本一本見ながら先に進むと、汐見坂があった。

昔は日比谷あたりまで海であった。ここから、海が見えたわけだ。前述したように江戸城は、北、西、東と分けられるのだが、南側は海であった。そこから、大手門をめざす。

考えてみれば、江戸城に登城した人たちの多くは、徒歩でやってきて、城内に入るわけだが、そこからもさらに歩いた。昔の人は本当に健脚であった。僕たちはそのまま、地下鉄の入り口を探す。なんとも情けない。



<関連リンク>
皇居東御苑の公開要領
皇居東御苑 - Wikipedia
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。