懐かしき名画座

JR目黒駅から徒歩3分「目黒シネマ」館内。席数は少ないが、都内で数少ない名画座のなかで、厳選された映画をもって固定ファンを魅了している
Nくんがいきなり、

「夏の散歩は涼みながらいきませんか?」

と言う。たしかに炎天下の中を歩くのはつらい。しかし、どこで涼むのだ。

「名画座ですよ」

若い彼から名画座という言葉が出てきたので、驚いた。

名画座で涼むというのは、僕にとってはめちゃくちゃ懐かしい。1970年代の終わり、僕は大阪で学生生活を送っていた。下宿していた部屋にクーラーはない。僕ばかりではなく、他の多くの学生の部屋にクーラーはなかった。そのため、夏はクーラーのある喫茶店、パチンコ屋、映画館などで涼むことが多かったのだ。映画館は、もちろん名画座と呼ばれているもので、2本立て、3本立ての安い値段で見れる旧作もの専門の映画館である。

それにしても今、東京にどれくらい名画座があるのだろう。東京にやってきた1980年代はじめ頃は、まだたくさんの名画座があった。80年代半ば、ビデオデッキを買い、クーラー付きの部屋へ引っ越すまではよく名画座に足を運んだものだ。そういえば、ここ20年くらい名画座には行ってない。

「前から、気にはなっていたんです、ココ」

とNくんは言う。それが「目黒シネマ」だった。

JR目黒駅から歩いてすぐの場所に「目黒シネマ」はあった。とりあえず、映画を観よう。

この日は2本立て。大人は1500円。どんな映画がやっているかわからずに入るなんて、大人になった気分だ。このあたりのニュアンスはわからないかもしれないので、説明しておこう。

僕が子供の頃、すでにテレビは出現し、白黒からカラーに変わる時代だった。映画は斜陽だと言われ始めた頃だが、それでも今に比べればものすごい数の映画館があった。昔の映画館というのは、ちょっとした時間つぶしだったり、雨宿りだったりする場合が多かったのだ。何をやっているかなどは気にせず、映画館に入った。しかも、映画の途中からでも気にせず入っていたのが当時の大人だった。

昔、父親と映画を見に行ったことがあるが、父親は、途中からでもどんどん館内に入っていく。

「お父さん、途中だよ」

と言うと、

「今のところまでまた次の回で見ればいいんだよ」

と答えた。たぶん、僕の父親世代には、僕らが思う以上に映画が気軽な娯楽だったに違いない。僕が映画を本格的に見始めた大学生の頃は、情報誌があって、きちんと見たい映画を探し、そして、上映時間に間に合うように映画館に行ったものだ。

というわけで、わけのわからないまま「目黒シネマ」で映画を見ることになった。

階段を下りれば、そこは懐かしさ込みあげる空間

『目黒シネマ』の館内は地下にある。階段を下りれば、懐かしさがこみ上げてくる
映画のタイトルは「ラベンダーの咲く庭で」というものだった。タイトルだけだったら見なかったろうなぁ。そう思いながら、ロビーで上映時間を待つ。ここ「目黒シネマ」では、映画の上映中は中に入れないようになっている。その間に売店で売っていた「横濱馬車道あいすもなか」を買って食べる。

うまい。とても懐かしい味がする。それにしてもロビーなどもきれいである。理由はすぐにわかった。全館禁煙なのだ。昔も場内は禁煙だったが、ロビーなどの煙草の吸える場所は、モウモウと煙が立ち込めていて、映画館というと黒ずんだ床にヤニ臭さというものがあったけれど、最近は快適なんだ。

椅子なども昔に比べると本当によくなっている。平日の昼間だけれど、けっこうお客さんは入っている。といっても、満員ではなく、ちょうどいい感じだ。

映画が始まった。海岸の傍に建つ古い家。そこには老姉妹が住んでいる。そこへ、青年が漂着。あ、これは少し前にニュースで話題になった「ピアノマン事件」に関連する映画だ。イギリスの海岸に記憶喪失の青年が漂着し、ピアノを弾かせたらすごくうまかったという事件をおぼえていらっしゃる方は多いだろう。あの事件はこの映画のプロモーションでヤラセではなかったかと話題になったやつだ。

おお、いい映画に当たったなぁ。話のタネにはなるぞ、と観始めたのだが、これが実にいい映画で、泣けてきた……。泣けるんだけど、爽やか、みたいなかんじ。これこそが、名画座である。つまり封切館やロードショウ館でみる映画は、新しい映画だけれど、ハズレもあるわけだ。

ポップコーンではなく、プリッツなどが並ぶ売店。昔ながらのスタイルを貫く
ところが、名画座は支配人のチェックを経たいい映画だけが上映されているわけで、名画座の楽しみというのは、その支配人の映画を選ぶセンスと自分の嗜好が合うかどうかということであろう。名画座というのは映画館そのもののファンになることなのかもしれない。たとえて言うなら、すし屋の「おまかせ」であろう。タイトルや主演の俳優、映画監督が嫌いだったとしても、この名画座を信じて、とりあえず観てみる姿勢が大切ではなかろうか。

というわけで、映画を見た後で、「目黒シネマ」の支配人である宮久保伸夫氏に話をうかがった。

「映画こそが散歩なんですよ」

『目黒シネマ』支配人、宮久保伸夫さん。映画に対する愛情が会話から伝わってきた情熱家
最近は書店など名画DVDが500円という値段で売られている。先日も「ローマの休日」などを買ってきて、いい時代になったなぁと思った。

そういえば、ネットでもテレビや映画が見れる時代になった。映画は映画館で見なければダメだという人の中には大きなスクリーンでとか音が違うというものがある。これも最近では、自宅シアターのような流れもあって、なかなか説得力を持たなくなってきているような気がする。

ちょっと意地が悪いかと思いながら、支配人の宮久保さんにそんな質問をぶつけてみた。

「それはね、映画館で映画を見るというのは、散歩なんですよ」

あ、いきなり散歩の記事だからって、強引にそんなところに結び付けなくても、と思っていると、案外、説得力がある。

「ほら、映画館で映画を見るというのは、家を出るときから始まっているんですよ。どんな映画を見ようかとかね。それで、家を出るわけですよ。電車に乗るなり、歩くなりして、映画館に着く。そこは自宅ではないわけで、他の人もいるわけで、ちょっとした緊張感もありますよね。それに、終ったらまた家まで帰らなきゃいけない」

あ、と思った。そうなんだ。映画を見たあとの帰り道、もう一回映画の中身を考えながら、家に帰るあの余韻がいいんだよね。ふと歩きながら、あのシーンはよかったなぁなんてね。

宮久保さんにこの「目黒シネマ」の歴史についてうかがってみると、これがまた紆余曲折、映画の歴史そのものである。

スタッフの手作りによるプログラム。映画への愛情がぱっと見ただけでも伝わってくる
以前この場所に2つの映画館があった。1975年(昭和50年)、目黒ライオン座・目黒金龍座としてオープン。東宝洋画チェーンと大蔵映画チェーン作品を上映する映画館だった。昭和50年にこのビルが建て替えられ、今の10階建てビル(目黒西口ビル)となり、名前も「目黒オークラ」になった。ピンク映画3本立てを上映する映画館に変わったのだ。

ちょうど僕が高校生のときである。この時代、古い映画館の多くがピンク映画館に変わっていた時期だ。昭和天皇の在位50周年を記念する日というのがあって、その日は半日休みになった。高校3年生だった僕は、クラスメイトと街のピンク映画館に行ったのを覚えている。そして、ピンク映画そのものも一時のブームでしかなかった。というのもあっという間にビデオデッキが普及したからだ。

そして、今の「目黒シネマ」になり、8年前から宮久保さんが支配人を勤めている。宮久保さんは37歳である。僕が抱くような古い映画のイメージはなく、まったく新しいタイプの人である。

そこは「ニュー・シネマ・パラダイス」の世界

映写室にも案内してもらった。まさにそこは「ニュー・シネマ・パラダイス」の世界だ。

フィルムがくるくると廻っている様子を見ながら僕の中の自分がこれまで見た映画を順番に思い出してみた。実にいい気分、年をとるのも悪くないなと思った。
「目黒シネマ」映写室。まるで「ニュー・シネマ・パラダイス」の世界。ひっきりなしにフィルムが動く

ご飯を食べて恵比寿まで歩く

エビフライとハンバーグの正統派ランチ。ハンバーグは外がかりっと、中は豆腐のようにやわらかく、ジューシー。
ナポリタン大盛り。味は文句なくうまい。結構な量だが、カフェテラス本郷を経験したN君にとっては朝飯前のようだ
外に出ると、ちょうどお昼時だ。東口からNくんが取材を予定していたお店に向かうも、気になるお店に出くわした。看板には「昔ながらの洋食屋 ポップワン」とある。僕とNくんがこれに惹かれないはずがない。

店内は満員。かろうじて座れるところがあった。Nくんが

「ここのお客は男性ばっかりですね」

と言う。あ、たしかにそうだ。女子は1人もいない。たぶん近所の会社員の方々がいらっしゃっているのだろう。
年齢層はいろいろ。若い人もいれば中年の男性もいる。

今日のスパゲティセットというのが、ナポリタンで、それにチキンとポークのハンバーガーがのっかっている。Nくんは迷わずそれ。850円。僕は限定ランチというやつ。これは同じくチキンとポークのハンバーガーにクリームコロッケ、エビフライがついている。950円。

う、うまい!他の客もそうだが、料理が来ると黙々と食べ続けた。

店を出るときは、行列が出来ていた。そして、僕たちは恵比寿へ。なるほど、僕はさっき見たばかりの映画のことが頭に浮かんでくる。おもしろいものだ。恵比寿にも名画座があるらしいが、今日はやめておこう。でも、この名画座散歩というのはおもしろいので、続けていきたい。



<関連記事>
魅惑の名画座
目黒シネマ(大蔵映画)公式WEBサイト
ラヴェンダーの咲く庭で
[All About WEEKENDERトップページに戻る]
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。