なぜか懐かし、浅草散歩

大安吉日。雷門からベタにスタート!
浅草は大人の街だなぁと来るたびに思う。歴史のある繁華街だからだろうか。20代のときはピンとこなかったのだけれど、年を重ねるごとに妙に懐かしかったりする。たぶん浅草はこれからも歩くことになるだろう。とても一度や二度の散歩ではこの街のことはわからない。きっと何度もレポートするはずだ。

さて、歩いたのは冬晴れの日。さすがNくんは晴れ男

天丼を食べようということになっていたのだが、どうも僕は浅草でおいしいお店に当たっていない。いや、誤解されるといけないので、言っておくが、まずかったということも一度もなかった。たぶん、期待が大きかったせいだろう。とにかく浅草には天ぷら屋が多い。いったい何軒くらいあるのだろうか。読者の方でここの天丼はうまいぞというのがあれば教えていただきたい。

この日は、Nくんお勧めのお店「葵丸進」というお店。店構えから見ると老舗っぽい。Nくんに

「他のお店と食べ比べたことあるの?」

と聞いたら、浅草の天ぷら屋に入ったのはここだけだと言う。大いに怪しい。なんでも、Nくんが東京に出てきてすぐに親戚のおばさんがここに連れてきてくれたのだそうだ。そのときに

「オレ、なんておいしい天丼だって感激したんですよ」

と感じたらしい。ますます怪しい。

すごいボリューム!尋常ではない。味も抜群!
店内に入ると、客でいっぱいだ。女性客が多い。僕は普通の天丼、Nくんはかき揚げ。このかき揚げがすごかった。とにかくご飯の層よりも厚いかき揚げが乗っかっている。くどいのかと思ったが、意外にしっとりとしておいしい。僕が食べた天丼のほうもなかなかの味だ。

たぶん、知り合いを連れて行くにはいい天ぷら屋だと思う。強い個性はないが、誰にも愛される味に仕上げられている。地味だが、きっと浅草には天ぷらに限らずこういうお店が多いのだろう。そこが大人を感じさせる街なのだ。


浅草寺で散歩の安全を祈願

仲見世通りを抜ければ、浅草寺。どーんと門が鎮座する
浅草は浅草寺の街だ。ふしぎなのは、地名は「あさくさ」なのに同じ漢字を書いて、お寺のほうは「せんそうじ」と読む。

浅草寺の歴史は意外に古く、628年に漁師が隅田川下流の江戸湾で網に仏像があるのを発見し、それを自宅に置いて拝んだのが最初らしい。いずれにせよ鎌倉時代に今の場所に雷門もあったそうなので、歴史は相当に古い。

最初、Nくんより

「今度は浅草を歩きましょう」

と言われたとき、浅草寺から秋葉原の行程を思いついた。たぶん、昔、浅草といわれた地域はけっこう広くて南は秋葉原までだとどこかで聞いたことがあったからだ。

浅草というのは、いったいどこからどこまでだろ。ちょっと調べてみた。そうだ、昔は浅草区というものがあったのだ。昭和22年に下谷区と合併し台東区が生まれたのである。あれっ、しかし、秋葉原はこの時、浅草区ではなくて神田区だ。

というわけで、やっと見つけたのは江戸時代。江戸時代は隅田川西岸一帯を浅草と呼んでいて、その南は神田川までだっという。まさに今の秋葉原駅のところ。万世橋までが浅草だったわけだ。

「ハゲが治りますように」と頭に煙を浴びていると、隣のおじさんが「遅すぎるよ」とバッサリ…
雷門をくぐると仲見世通り。両側に土産物だのいろいろな店がある。僕がこのところ浅草に来るのは、ふんどしを購入するためである。「かづさや」さんというお店ではいろいろな褌が売られている。しかし、この日は買わず。揚げ饅頭などおいしそうなお店も多数。しかし、さすがに天丼を食ったあとなので、遠慮しておく。

仲見世通りを過ぎると浅草寺境内。おみくじを引く。2人とも「凶」。Nくんは再度挑戦して「大吉」。彼にこの記事を見せたかった。

平日なのにものすごい人である。外国人や修学旅行の生徒らしい集団もいる。お賽銭を投げて、そろそろいい年なんで、結婚させてくださいとお願いする。

合羽橋の商店街を歩く

懐かしの名役者 伴淳三郎。N君は誰かさっぱりわからず
浅草寺から来た道を仲見世方向に戻る。もう少しお店を見たかったが、右に曲がる。伝法院通りだ。街灯には浅草になじみのある芸人さんの看板など出てくる。このあたりが「六区」と言われた場所だ。最初「ろっく」という音を聞いて、ロックンロールの「ロック」かと思っていたが、そうではない。これは行政区分で、浅草寺あたりは「一区」だったのだそうだ。

それで、この六区あたりに寄席や映画館が立ち並び、繁華街になっていったのだそうだ。まさにここは若者の街であった。とはいっても、明治から戦前までの若者だから、丁稚や兵隊さんなどだったらしい。

いまも映画館などが立ち並んでいる一角を通りすぎて、西に歩く。

国際通りを越えて、しばらく歩くと大きな通りに出る。これが「かっぱ橋道具街」である。食器などをはじめとして、飲食店などで使うものなどを扱うお店が多数ある。ここで、食品サンプルなどを買ってみるのもおもしろいかもしれない。

かっぱ橋道具街というのはこの大きな通りのことを指すらしい。が、僕らはそれを超えてさらに細めの商店街に入る。そこが「かっぱ橋本通り」。ひらがなで「かっぱ橋」とあったり「河童橋」「合羽橋」という文字もあったりする。ちょうど浅草から上野に抜ける道である。ここは、まさに河童のいる商店街だ。散歩するには本当に楽しい通りだと言っていい。

「きんときや」の元祖いもシュー。90円という安さにして、このうまさ!かっぱ橋本通りにあります
「元祖いもシュー」という看板を見つけた。「きんときや」という和菓子屋さんだ。サツマイモを使った和菓子が中心のお店。さっそく買い求めてみる。一個90円。なるほど、シュークリームの皮に裏ごししたお芋に生クリームなどがミックスされている。小さいので1人で数個は食べられそう。

それにしても楽しい商店街。とにかくいろいろおもしろいものが目に飛び込んでくるねぇ。お肉屋さんでは河童のステーキを売ってって、まさかねぇ、聞けば牛肉だったりして、愉快な街である。愉快といえば、商店の前にいる河童たち。中には河童の名前がついているものがある。


(上)かっぱステーキののぼり。気になる方は、肉のさがみ屋までどうぞ (下)通りにはかっぱの像があちこちにあります。探してあるくのもまた一興
「蛙河童」という緑色をした小さな河童のところには、「ご利益 失せ物かえる」と書かれていた。

薬局の前には逆立ちしたボロボロの河童がいた。たいていは木造にペイントが施されているのだが、作られた時期はまちまちのようだ。まだ新しいものもあれば、ずいぶんと年代を感じさせるものもある。

この通りにあるのが梅田雲浜の墓。梅田雲浜は、幕末の尊皇攘夷派の志士である。若狭小浜藩(現在の福井県)の人で幕府側の尊攘派弾圧「安政の大獄」の逮捕者第一号である。

古い歴史と河童の取り合わせがおかしい。そして、その隣には避妊具の自販機。

上野公園は紅葉まっさかり

神宮と双璧をなすくらい美しい紅葉。人が少ないのもいい
かっぱ橋本通りをまっすぐ行くと、松が谷という住所から上野に変わってくる。右が「北上野」、左が「東上野」である。大きな通りは「昭和通り」に出る。向こう側は線路。そこに長い坂がある。その坂をあがり、線路を越えるとすでに上野のお山である。

商店街からいきなり開けた場所に出て、陽が当たると同時に冬の風が吹き付ける。上野公園は、銀杏の樹多く、それらが黄色く色づいている。風の強い日で、銀杏の葉が舞っている。

「この前の神宮前もよかったんですけど、僕はこっちのほうが好きですね」

とNくん。たしかに、並木道になっている神宮前よりもこちらはランダムに銀杏の樹が立っている。色づき方も、目に痛いくらい鮮やかな黄色。

時刻はそろそろ夕方で風が冷たくなってきた。

「上野といえば西郷さんでしょう」

とNくん。あ、そうだねぇ。

上野のお山の大将 西郷さん。その踏ん張り、力強すぎです
この西郷隆盛の銅像は高村光雲作。竣工式は明治31年12月18日。ちょうど今の時期だ。

除幕式に招かれた未亡人のイトは、「あれはうちの人じゃない」と言ったという話が残っている。このことから、写真の残っていない西郷の顔のナゾが語られるようになったのだが、実際のところは、「あんなみすぼらしい格好をしていない」という意味だったのだろう。兎狩りをしているラフな格好の夫の姿にがっかりしたのかもしれない。それ以来、婦人はこの像を見ることはなかったそうだ。ちなみに鹿児島にある西郷像は軍服姿である。

ネタまで披露してくれた「風林火山」(吉本興業所属)。こころ優しい青年だ。こころからヒットすることをネタを見ながら思う
公園でひと休み。ベンチに座ってコーヒーを飲んでいたら、近くのベンチで漫才だろうか、稽古をしている若い男性2名。写真を撮らせてもらい、少し話を聞く。吉本の芸人さんらしい。コンビ名は「風林火山」。その由来は聞かずだったが、山梨の出身なのだろうか。学校を卒業し、芸人として頑張っている。取材の旨を伝えてカメラを向ける。

「ちょっと、さっき稽古してたみたいに」

とお願いすると、

「恥ずかしいなぁ」

と照れながら言う。

「お客さんの前でやろうっていうのにこんなカメラぐらいで」

と僕。本当にまだ始めたばかりだというのが伝わる。

「どこに行くと、キミたちを見ることができるの?」
「いえ、僕らはまだ若手の若手のずーっと若手ですから、なかなか」

と言う。ぜひ、がんばってほしいものだ。こんな人たちに遭遇するのも散歩の楽しさのひとつだ。

秋葉原の「やっちゃば」跡を偲ぶ

上野の山から、秋葉原方面を眺める
実際、地図で見てみるとわかりやすい。江戸時代は、秋葉原、浅草橋あたりまでを浅草と呼んだのである。

まずは、上野公園の西郷像の前から秋葉原方面を見る。今は、ビルが立ち並んでいるが、明治維新の折、彰義隊の隊士たちもここから迫り来る官軍を見たのだろうかと夢想した。そういえばこの西郷像の裏手に彰義隊の墓はある。

上野戦争は1863年、旧幕府軍の彰義隊と長州、薩摩を中心とする新政府軍の間で行われた戦争である。たった半日で決着がついたのだが、それは新政府軍の司令官、大村益次郎の巧みな戦術があったと言われている。

西郷像前から上野広小路が見える。このあたりに政府軍の主力、薩摩藩が陣を敷いた。あそこに銅像ではない生身の西郷さんがいたのだ。上野の山の南側である。

これに対して北側の谷中方面には長州藩が陣を敷く。午前7時頃に戦端が開き、昼すぎに、今の本郷の東大あたりから新政府軍のアームストロング砲が打ち込まれる。砲弾は不忍の池を越えて炸裂。これに驚いた彰義隊は敗走することになる。

季節は夏。雨の日であった。彰義隊はどんな思いでこの上野の山に集結したのだろうか。そして、どんな思いで闘ったのだろう。

そう思いながら、秋葉原へ向かう。

電気街にひっそり佇む「千代田海藻」。すいません。おじゃましました
中央通りを秋葉原方面へ。日曜日には歩行者天国になって、いい散歩コースだけれど、平日は舗道を歩く。両側はビル。秋葉原の手前で、裏道に入ると、そこは昔ながらの商店。昆布などを扱っているお店だ。

いま新しい大きなビルが建っている秋葉原駅の隣あたりは「やっちゃば」であった。「やっちゃば」とは青果市場のことである。この昆布を扱っている店はその残りなのかもしれない。ここだけ時間が止まった感じがする。

おじゃまかと思いながらも少しお仕事の様子を見て、写真を撮らせてもらう。

できたばかりの巨大なビルはヨドバシカメラ。その壁面に夕日が反射してまぶしい。街は常に変化している。


【参考までに今回の散歩ルート】
浅草雷門から秋葉原まで。所要時間約2時間。普通に歩けば1時間弱。浅草、上野で昭和を堪能し、秋葉原で平成を感じる。時の流れを楽しむにはもってこいの散歩ルートです

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