『1976年のアントニオ猪木』著者・柳澤健さん インタビュー

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――さて、いよいよ本題に入りますが、我々ファンが“プロレスをリアルファイトと思い込んでしまった”という点で、アントニオ猪木に行き着く訳ですね。

「海外は分かり易いですよ。リアルファイトの 総合格闘技は、グレイシーがあって、UFCが出てきて、それが今にずっと続いている。それこそが正しい歴史だけど、日本の場合ではすごいよじれているでしょ?

つまり、今の総合格闘技はUWFや猪木に繋がっているという訳。しかも、そっちが本流で、途中からUFCが割り込んできたみたいに日本人は思ってしまっている。それが日本の非常識。

PRIDEやHERO'Sが、猪木のファンタジーの上に乗ってることは確かだし、現実問題として、猪木の76年がなければ、日本でこんなに格闘技が盛り上がることはなかった。猪木の異種格闘技戦の先に、UWFがあり、UWFの先にリングスがあり、格闘技があった。猪木が生み出したこの巨大なファンタジーのことを書いたのが、この本(『1976年のアントニオ猪木』)なんです。

だから日本の格闘技の変さ加減は、この本を読めば分かるはずなんだけど、でも、作者である僕にとっても、そのことが分かるようになったのは、随分調べてから。割と最近になってからなんだよね(笑)」

――最初から、日本におけるプロレスとリアルファイトの歪な関係を記そうとした訳ではなかったのですね?

「きっかけは、Number539/540『猪木の惑星。』(2002年1月24日号)という号の取材でパキスタンに行って“76年の猪木、面白いじゃん”って思ってからなんです」

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『1976年のアントニオ猪木』書籍データ

『1976年のアントニオ猪木』

定価:1890円(税込)
ページ数:320ページ
判型:四六判上製カバー装
初版発行日:2007年3月15日
ISBNコ-ド:978-4-16-368960-9

『1976年のアントニオ猪木』を生んだパキスタン取材

柳澤さんが手がけた想い入れのある、Number291号『女子プロレスの現在。』(左)、Number539/540『猪木の惑星。』(中央)、Number291号『最強の美学』(右)/(C)文藝春秋
――この号で書かれた「パキスタン探訪 あるペールワン一家の栄光と没落 そして日本からきたスーパースター」ですね。

「取材に行ったのは2001年の11月で、9月には同時多発テロが起こり、当時のパキスタンは、ビン・ラディンが潜伏していると言われていたのよ。だから、危ないパキスタンにライターを派遣して事故でもあったらマズイと思って、“僕が書くしかないか”って思い、僕と社員カメラマンの橋本篤くんの二人で行ったのね。

で、パキスタン大使館行ったり、ビザの取得とか色々あったんだけども、なんとか入国できることになったんですよ。でも、(猪木vsペールワンは)25年前のことでしょ?取材の取っ掛かりが分からない」

――そうなんです。何故、ここに辿り着いたのかが不思議で仕方ありませんでした。

「とにかく地球の歩き方をパラパラめくっていたら、パキスタンの旅行社なんて2社しかないのよ。で、古い方に電話して、“アクラム・ペールワンの一族の生き残りがいたら、取材したいんですけど”って言ったら、“猪木さんがパキスタンにいらした時はウチでアテンドしました”っていきなりビンゴ(笑)。

取材は、そんなところから始まったんだよね。で、いきなり行っても、取材先がなければ、行く意味がないので、彼らの本拠地で一族が生きているのか、取材先を探してもらったのよ。そしたら、アクラム・ペールワンの甥っ子のナッシルっていうのがいて、取材できると」

――こうして前例なき取材を経て、世に送り出された「あるペールワン一家の栄光と没落。」は、衝撃と呼ぶに相応しい内容でした。

「この号は、猪木さんも喜んでくれたみたいですよ。“わざわざパキスタンまで行ってくれたんだ?”って。

猪木さんにとっては、“プロレスを暴いた”っていう怒りは全然なくて、ケーフェイを自分から破ることはないけど、それを見て一生懸命調べてやってくれた人に対しては、“俺のこと好きなんだね”って思ってくれるみたい」

――そして、柳澤さんがNumber時代に蓄積した取材記録が、後の『1976年のアントニオ猪木』の基盤となってくる訳ですね。

「その後、会社を辞めて、“仕事どうしよう”って思ってた時に、これだけ材料あれば本を書けるかなって企画書を書いたんだけど、最初は76年の猪木の4試合について書くつもりだったのが、やっていると、どうしても、今に繋がってきちゃうんだよね」

――それは、現在のリアルファイトですよね?

「1976年の猪木さんと現在の総合格闘技は無関係なのよ。にもかかわらず、ファンタジーとしてはもの凄く繋がっている。だから、この本はファンタジーの物語なの。

実際にはリアルファイトの総合格闘技はUFCや、柔道、柔術に繋がっているんだけど、何でこんなことになっちゃったのかと言えば、どう考えても猪木の引力がものすごい強くて、空間が捻じ曲げられたということでしょう。

それほど、猪木は魅力的だったし、その根源は1976年の猪木でしかありえない」

「本当は1200枚くらい書いた・・・」

――さて、そんな『1976年のアントニオ猪木』ですが・・・。

「経費がすごくかかったので大赤字ですよ。仕事としては完全に失敗。まあ、文庫になれば多少は回収できるかもしれないですけどね。ただ、猪木さんにもインタビューできたし、満足はしてます。文庫本の方では“完全版”にしたいと思ってます」

――完全版というのは?

「この本で、原稿用紙750枚くらいなのかな。でも、本当は1200枚くらい書いてる」

――倍に近いですね。未公開の部分というのは、どの辺りについて書かれたものなのでしょうか?

「例えば、パク・ソンナン戦っていうのは、韓国プロレスの歴史と深く絡んでいるんですよ。僕からすれば、パク・ソンナン戦を説明するには、韓国プロレスの歴史を書かなきゃいけないと思う」

――具体的には?

「朝鮮半島の南端にある釜山では、日本のテレビの電波が入る。いまでも日本の衛星放送を見るためにパラボラアンテナが林立しているっていう話を聞きました。

北朝鮮から逃げてきた張永哲(チャン・ヨンチョル)っていう人が、釜山の金持ちの家のテレビで力道山を観て、“俺もプロレスやろう”と思った。韓国のプロレスはそこから始まるんです。手作りのリングに偽の日本人が登場して、散々悪事を働いたあげく、正義のヒーロー張永哲に叩きのめされる。

戦後の日本では、力道山がアメリカ人をやっつけて、敗戦国の怨念を晴らしたけれど、それと同じことが日本-韓国の関係でも起こった訳。こうした韓国プロレスの成り立ちから、その後の韓国プロレス界には、国や政治も関係してきて、凄く面白かった」

――確かに、パク・ソンナン戦は一番情報がない試合でもありましたから、尚更興味を惹かれますね。そこが読みたいのに!

「他の人にも同じことを言われましたね(笑)

でも、文藝春秋から出ている単行本ですから、一般のどんな人にも分かるようにしないといけないので仕方ないのかもしれませんが、完全版を作るとしたら、そこは絶対入れたいですよね。

あっ、後、グレート・ガマに関しても、150枚くらい書いた。だから、本当の完全版をやったら、厚みがすごいことになっちゃう」〔次号へ続く〕

Special Thanks To Kenichi Ito

『1976年のアントニオ猪木』を紐解く(1)
『1976年のアントニオ猪木』を紐解く(2)

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※文中イメージ写真(Number表紙)は、文藝春秋/Number編集部の許可を得て掲載しております
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