父の引退・坂口家の確執の幕開け

――いつ頃からそういう反発というか、対立の構図ができちゃったんでしょうね? 子供の頃なんかは逆にまだお父さんにあこがれてたんでしょう?

坂口「あこがれてましたね。ちょうど現役辞めたのが中学校の三年ぐらいで。まあ、自分も思春期で。それこそ月に多くて一週間も帰ってこなかった人が、子供が十五ぐらいになった時から、ずーっといるようになったですよ。毎日九時に会社行って五時に帰ってくる人なんで。いると…困りますよね」

――困りますか(笑)

坂口「だって、会話とかでも、今まで十五年間いなかったんですもん。巡業とか行って、シリーズが一番忙しいときだったら、ホント二日三日ですよね。会えるのは。そんで十五年間ずーっとそういう生活でやってきて、ある日突然ぽんっと帰ってきて。これから毎日いますっていわれてもね。オヤジも遊び歩いたりする人じゃないんで」

――真面目そうですもんね。

坂口「たとえば朝学校行く前には必ず居るし、帰ってきてもいるし(笑)。どうしたもんかなと。口もどう聞いたもんかなって。うれしいなと思ったのは最初の一週間だけでしたね。後はもう『またいんの?』みたいな感じでしたね。なにも家でごろごろ遊んでるわけじゃないんですけど(笑)。いるって事自体で、何でこっちも自分の家にいるのに気をつかわなきゃなんねえんだ、みたいに思っちゃって。何かしゃべんなきゃいけないとか」

――距離感の問題でしょうね。ホントはもっと早くから接してたら、思春期の頃には、もう少しお互い無視する方法を覚えてたりもするんでしょうけど。

坂口「まあ、あんな人なんで、いくら腕に自信ついたって、鉄砲でも持ってないと勝てないなってのもあって(笑)。こっちからも変なことは言えないですし」

坂口征夫
 直裁に過去の「地獄巡り」を語る。時に真摯に、時にユーモアを交えつつも、客観的に己の“弱さ”を語れる“強さ”が、今の坂口にはある。


――だんだん家も居心地悪くなるし…

坂口「すごく悪くなって、ちょこちょこ家を抜けだして遊びに行ったりとかしてましたね。とにかく家が出たいんだっていうのがあって。その頃オヤジとおふくろはとにかく憲二、憲二ってなっちゃってたんで。日曜日、朝起きたら誰もいないんすよ(笑)。テーブルの上にポンと金が置いてあって、三人でゴルフ行くから勝手に飯食ってろって感じで。ほとんど毎週末がそんな感じで。」

――じゃ弟さんは優等生というか、お父さんとも上手に馴染んでたんですね。

坂口「まあ、あの当時は馴染んでましたね。彼奴も一緒ぐらいの時期に柔道を始めてるんです。でも、俺が中三の時に「兄貴、止めたいんだけど」って言ってきて、「実は俺もそうなんだ」ってことになって、じゃあ一緒に言いに行くかって。でも、オヤジは「憲二はやめて良いけど、おまえは駄目。高校卒業までやれ」って決めちゃって。理由聞くとぶっとばされそうだったんで、そのまま「ハイ」みたいな(笑)。片やニコニコ、片や「まーた三年かかんのかよ」みたいにがっくり肩落としちゃって(笑)」

――兄弟でばっさり明暗わかれちゃったと(笑)。でもなんでそういう判断になったんでしょうね?

坂口「なんででしょうね。未だに不明っすよね(笑)。ホントに、何だったんすかねえ…」

――まあ外野の推測でしかないですけど、そこはやっぱり才能を見たんじゃないですかね? 征夫選手は既にある程度結果も出してたわけだし、逆に憲二くんはちょっと向いてないな、みたいなものがお父さんには見えてたんじゃないですかね。

坂口「うーん…ま、確かに憲二は身体はいいもの持ってるんですけど、ハートが優しすぎるんですよね。格闘技向きのハートは持ってないなと。やっぱり道場で一緒にスパーリングとかやってみても、思いますね。あまり格闘技は向いてないなと」

――向き不向きを見越してフィルターしてあげるのも、ある程度親の教育みたいなところはありますけど。まあ二人そろって言ってきたのを、理由も言わずに右と左ってのはちょっと乱暴かもしれないっすね(笑)

坂口「いやあ、ショックでしたよ(笑)。おまえ、何ニヤニヤしてんだよ!って(笑)。せめて、二人ともダメって答えがほしかったですね。あそこでバツンって強気でやられたんで。そのあとからは全部いろんなものがずれていって」

――家族の歯車がかみ合わなくなる時って、最初はそんな感じなのかもしれないですね。

四面楚歌の日々。渋谷の町に見つけた居場所


坂口「で、その後、憲二は、「お父さんとお母さんがゴルフに凝ってるから」みたいなかんじで、ゴルフに行っちゃって。いつの間にかゴルフ場のバイトまで始めてるんですよ(笑)。「おまえ、なんで金稼いでいいってことになってるの?」って、俺はずーっとバイト禁止だったのに(笑)。その辺がなんか当時矛盾してて、なんだこいつ、みたいな感じでしたね」

――兄弟で分け隔てがあるのはきついなあ。グレる典型的なケースじゃないすか(笑)

坂口「で、“俺は俺でやるからいい”みたいな気持ちが強くなっていきましたね」

――四面楚歌というか、家庭のなかでの居場所がなくなって。

坂口「高二、高三の時ぐらいの時から、すごいそんな感じでしたね。で、結局、渋谷に遊びに行けば、仲間がいて、友達が居て、そういう場所のほうがよっぽど居心地がよくなって」

――きっと当時、みんな同じような疎外感を抱えてたのかもしれないですね。

坂口「そうでしょうね」


――当時の仲間内では、そういう話とかはしたんですか?

坂口「いや、言いはしなかったですね。とりあえず、向こうに行けば好き勝手ができてたんで。一番居心地のいい場所に集まってたんじゃないですかね」

――変な話、ケンカとかはガンガンやってたってことですけど、女の子とかはどうでした?(笑)

坂口「いやー、女なんかは苦手でしたね(笑)。全然ダメで、話ができないんですね。男子校だったんで、ましてその当時、卒業するまで坊主だったんで。デート…っていうほどつきあってないんですけど、一緒に飯食うんでも、何喋っていいかわかんないんですよね(苦笑)」

――不器用だったんだなあ(笑)

坂口「ずーっと延々喋れなかったっす(笑)。今も多分酒はいらないと喋れない(笑)。多分、何喋っていいか全くわかんなくて、なれてくると大丈夫だと思うんですけど、人見知りするタイプなんで。最近はこれでもだいぶ喋れるようになったかなって。だから、そういう女っ気みたいなもんは、まったく無かったですね。とにかく、パチンコとケンカって(笑)」

――チーマーっていうより、全然古いタイプの不良ですね。

坂口「そうなんすよねえ。だからカツアゲとかすんのもすっごいイヤだったし、友達がやってるの見ても、もうやめろって。新宿にしても、原宿にしても、渋谷にしても、修学旅行生とか結構来るじゃないですか。一時、ひどいときは学校早く終わって、竹下通りで東郷神社のところでみんな座って待ってて。弱いのが二人ぐらい竹下通りに行かせとくと、当然そういうトッポい人たちがケンカ売ってくるじゃないですか。そうすると一人が逃げて来た瞬間に、みんなでがーっと行く。竹下通りのど真ん中で消化器とかぶっぱなして大喧嘩して(笑)」

――あなた、マンガみたいっつか、ビーバップハイスクールのリアル版みたいな青春やってたんですね(笑)

坂口「いやもう、ホントあんな感じでしたよ。うちの弟とかが『凶気の桜』って映画に出てたんですけど、『あれって、兄貴たちのことだろ?』みたいな。あんなノリだった…らしいですね、ハタから見れば。自分たちはもうそれが楽しくて。部活動の鞄とかに、柔道着の下に消化器いれてとか、いろいろ灰皿持ってみたり、みたいな感じの工夫が楽しくて。ま、むちゃくちゃしてましたね、今考えてみると(笑)」

――まあ、エネルギーが余ってたんでしょう。発散の仕方として、良いとは言い難いけど…まあ、場を得て活き活きとしてたんでしょうね。いつの時代も不良ってそうですよね。前田日明さんが高校時代、電車にのったら、まずこいつとケンカしたらどうなるかって、片っ端からシミュレーションしてた、みたいなことを本に書いてるんですけど(笑)

坂口「わかります(笑)」

荒鷲の不孝息子35年目の飛翔・坂口征夫(4)に続く
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