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遅すぎたKOK改革

だが、リングス後期、前田の周辺からはそうしたポジションに居た人間が、次々に放逐されていったのも事実である。

例えば、一番顕著な例としては、高校時代からの友人であり、前田の選手としてのイメージ作りを後方支援し続けた田中正吾氏がいる。彼は1994年初頭に、旧UWF時代の金銭疑惑を理由にリングス取締役の座を追われている。それまで破竹の勢いで格闘界をリードしていたリングスが、初期の「格闘技ネットワーク」というスケールの大きな“物語”を失速させ、かつてのUWFの盟友であったUインターやパンクラスとの確執に拘泥しはじめたのと機を同じにする。

一方、世界的にK-1やUFCといった本格的リアルファイトビジネスの勃興もこの時期の話。その“外部”の新しい時代の動きや空気感を、プロデューサー不在のリングスは読めないままだったのだ。

「自分のやりたいのは残念ながらプロレスではなく、格闘技です」と言い切った当時の前田ではあったが、逆にその言葉に対して当時週刊プロレスの編集長であった山本隆司氏が投げ返した「リングスがプロレスでないというなら、本当にやりたい戦いは何かを見せてほしい」という回答を、前田は提出する事が出来なかった。

田中氏という有能なプランナーを失い、当時国内の格闘技団体との接点を作り始めていた「実験リーグ」も中断、ルールは十年一日のUWFルールのまま。VTルールの試合を数試合組んでは見たものの、結局本戦にフィードバックする要素もないまま、リングスは“鎖国”を続ける。

表面的には、Uインター(キングダム)解散を受けて、田村潔司、金原弘光、山本健一(当時)といった日本人新戦力を獲得したものの、そこに格闘技としての世界観の変化は一切なかったのだ。

前田引退を機に導入されたKOKルールではあるが、正直、その動きは世界的な総合格闘技の進歩から言えば、4年は遅かった。本来なら遅くとも1994年、山本宣久(当時)が「ヴァーリトゥード・ジャパン」でヒクソン・グレイシーに破れた段階で、なされていなければならない改革だったような気がする。

一方、PRIDEがファンの支持を得たのは「世界標準」であるヴァーリトゥードルールを、積極的に日本に持ち込み、それを市場化したからにほかならない。市場原理は顧客の多い者を勝者に指名するわけだが、リングスの崩壊は単なる巨大資本による切り崩しだけでは説明がつかない。UWF以来、ファンは前田に常に新しいチャレンジを求めて来たはずだ。そして、既成勢力に抵抗して行く“運動体”としての価値が、前田の最大の「商品価値」でもあったはず。だが、VT時代を迎えた90年代後半からは、ファンの想いをある意味“受け止めかねた”ことが、彼のブランドとしての価値を落とした原因だと思う。その意味で、リングス崩壊は、前田プロデューサーの“失策”であると断じていいのではないだろうか。

帰る場所を持たない前田日明

さて、過去の話はこれぐらいにして、
前田復帰に関する「なぜ」と「今」について考えてみよう。

実際、ファンの間には、今も「前田幻想」は根強い。
ここまでも書いて来たように、彼の人格の魅力はその頑固さや一徹さにあると思う。地上波TV偏重、イベントとしても巨大化の一方を突っ走る現在の格闘技界の有り様に疑問を感じるファンにとって、前田という反骨精神の固まりのようなキャラクターが、一種時代のアンチテーゼとして魅力的に映るのは理解できる。

だが、その一方で現実的に、今の格闘技界に前田の戻る余地がないのも事実だ。既にリングスの代名詞でもあった「ファイティングネットワーク」は機能しなくなって久しく、主たる現役選手はPRIDE(もしくは一部その他の団体)に吸い上げられるか、格闘技界の表舞台から姿を消すかのいずれかの道を歩んでいる。かつて、蜜月時代を築いた日本衛星放送WOWOWとの関係も、リングス最終期には終焉している。

かつて袂を分かったK-1はもちろん、「引き抜き被害」を言い続けて最後まで敵視しつづけてきたPRIDEにも、当然前田の居場所は無い。

リングス崩壊後、三々五々散ったいわゆる“リングスジャパン”の選手は何らかの形で格闘界/プロレス界に「再就職先」を見つけているが、前田当人にそうした柔軟さを求めるのは無理だろう。時代をリードして来た矜持に賭けて、ライバルの軍門に下るということは出来ないにちがいないからだ。

また、ことあるごとに苛烈な言葉で業界の現状批判を繰り返す前田には、トラブルメーカーのイメージも色濃い。前田の個人マネージャーでもあり、ブッカーとして海外選手の獲得を主業務としていた内田女史やパンクラス尾崎社長への暴行事件など、実際に法廷に持ち込まれた事件もあり、表立って前田支持を打ち出しているのは、リングスの元社員であるZSTの上原譲広報ぐらいではないだろうか。

今回の上井氏とのコラボレーションに関しても「あくまで上井個人が新しい事をやろうというので、前田さんが助言をしてやろうということになっただけ。具体的にはお金も出していない」(上井氏)という言葉にある通り、全面的な“業界復帰”と受け取るのは、少しニュアンスが違うのかもしれない。

上井氏はあくまで苦楽をともにした旧UWF時代の同志であり、その彼の独立にあたって何らかの援助をしてやりたいという前田の侠気や、青春時代を過ごした新日本プロレス時代への郷愁が働いただけ、と見るべきではないだろうか。

ただ前田と言う人は、自分のした発言には責任感をもって行動するという側面も持っている。

リングス休止以降も、たまに雑誌の求めに従ってインタビューなどに姿を現す事のある前田は、「第二次リングスの再興を考えている」という言葉を再三口にしている。いつまでもそれを形にしないまま、ずっとプロレスイベントのスーパーバイザーに収まっていられるほど、彼は無神経ではあるまい。

もし上井氏がこのプロレスイベント運営を軌道に乗せた場合、逆に前田の「リングス再興」の夢に手を貸す事は、考えられないわけではない。

もう一度、革命運動の渦の中心に

さて最後に、僭越であることは承知で、僕らが前田日明に期待する事をあえて言葉にしておこう。

今、格闘技界は商業的な成功を収めた勝ち組と、散々その勝ち組にエッセンスを吸い上げられながら、なんとか命脈を保っているインディに二極化しつつある。インディ側がメジャーへの人材供給機関として、自らすすんでメジャーの傘下に入る事も珍しくはなくなって来た。

一方、前田のリングス時代の苦闘は、PRIDEの風下の存在には絶対ならないという、意地の戦いであった。もし前田がプロデューサーとして再び格闘技シーンに復帰してくるなら、やはりメジャーへの公然とした反逆を打ち出すであろう事は想像に難くない。

またそれをやれる強い主張と精神力をもった人間は、彼以外に居ない。
もし、その“リベンジマッチ”を本当に成就させようと思うのなら、もう一度「ファンと一体になった“運動体”」の中心に彼が戻る必要があるだろう。悪戯なカリスマ視や、都合のいいアイコンとしてではなく、時代状況とがっぷり四つに向かい合った“改革運動”を先導することこそが、やはり前田日明という人の本質だと思うからだ。
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