TSUKAMOTO SEIKO

塚本誠子
1976年 愛知県刈谷市生まれ
1999年 京都市立芸術大学美術学部日本画専攻卒業

展覧会
塚本誠子個展「木々のふるまい」
会期:2007年11月25日~12月1日
会場:銀座・純画廊
詳しい経歴と展覧会情報

5月に東京に越して来る前、「東京は人の住むところではない」という声を聞くことがありましたが、実際に来てみたら、思ったより街路樹や公園の緑が濃く、巨大であったり、人々がより意志的で、大勢の他人と共生するために必要な賢さを身につけていることにまったく感心しきり。これほどの大都市の中で、メリハリのある緑化計画が昔から行われているのも、ここに住むことになった人々それぞれが、どうしたらこの街でもっと喜びを感じて生活できるか知恵を出し合って考えてきたからですね。 さて、ひとりの絵描きの仕事も、この街に暮らす人々のささやかな背景となり、喜びとなりますように。

◇絵の始まるとき

たとえば思いがけなく恋に落ちるとき。
恋は恋しようとしてできるものではないですよね。たとえば、道を歩いていたら木の実が一個、思いがけず自分の頭の上に落っこちてきた、そんな感じで始まります。私の絵の制作が始まるときもそんな感じです。

「響」

この「響」という作品は、京都御苑に立つ二本の巨木がモチーフとなっています。白い築地塀に囲まれた広大な御所をぐるり取り囲むように京都御苑の緑は広がっているのですが、南北1300m、東西700mに及ぶその公園の内には、平安時代を思い起こさせるような広い砂利道や公家邸の遺構、昼なお暗い森がある一方で、野球場やテニスコートなどのレジャー施設が点在しています。歴史的な場所でありながら、市民はスポーツしたり犬を散歩させたりして、身近に楽しんでいるわけです。

しかし夜、すっかり日が落ちてからの京都御苑は、灯りも人の姿もなく、突如として異形の風貌を現します。人々が笑い声をあげながら寝転がっていた芝生は、夜になれば暗い海のように沈黙し、公園であった場所も、どこまでが人が足を踏み入れていい場所なのか判然としません。広い砂利道に人の足音なく、丈高い樹々の影が深く落ちています。息を殺して、日昼しらじらしく様子をうかがっていたような古めかしい建物や年老いた樹々たちは、末梢までにわかに力を蘇らせて息づくのです。

私はその様子に胸打たれ、憑かれたように何度も写生に足を運びました。雨のそぼ降る日は傘を差して、夕闇が画帳を見えなくするまで描いても、そのときその場所が私に熱を与えてくれた思いを、私自身がほんとうに受け止めることが出来るかどうか。私は描きながら何故か、生まれ育った家の裏で遊んでいたときに見つけてしまった、白骨化した猫の遺骸のこと、神社の秋祭りの日にそっと見たご神体の鏡が、古代魚の目のようにぬらっと光ってこちらを見つめ返していたことなどを、思い出していました。
◇絵が描かれる場所

お釈迦様の説法で、拈華微笑というものがあります。
「たくさんの弟子がいるところで、釈迦が華をさしあげられた。大迦葉という弟子のひとりがそれを見て、にっこりと笑った」
この一場面は、いろいろな場合において言葉なく思いが伝播するときの妙を、非常に巧みに表現した例えだと思います。

ある場所、ある瞬間と出会ったとき、ふと私の内側にするすると、つるべのようなものが降りてゆくことがあります。そのつるべを伝っておずおずと、私は私自身の井戸の底まで行くわけです。そうすると、そこには思いがけず懐かしかったり見慣れなかったりする風景や、不思議な時間が流れる世界があったりします。そういった井戸の底の風景が私の作品世界であり、私自身そこで絵を描いているような気がします。

ひょっとしたら私には、この水脈を辿って他の誰かの井戸と繋がっていたいという、秘かな願いがあるのかもしれません。作品は、孤独で不器用な私にとっての一番のコミュニケーションツールです。私の絵と出会った誰か他の人の井戸が、絵を通して少しなりとも満たされるなら、こんなに嬉しいことはありません。

いつか、人間を描けたらと思っています。実際にその人とコミュニケーションをするうちに伝播してくる言葉なき思いを受け止め、その人の心象風景とともに、人を描いてみたいと思います。それがこれからの私の課題であり、希望です。



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