『弥勒の月』
『バッテリー』の著者、初の時代小説。屈折した男の魅力、普遍的なテーマ、ラストのサプライズ・・・物語の醍醐味いっぱい!

『弥勒の月』
・あさのあつこ(著)
・価格:1680円(税込)

■磨きぬかれた構成、語彙。さすが!それ以上に読む者を魅きつけるのは・・・
 野球に賭ける少年を描いた『バッテリー』の文庫化で支持層を一気に拡大し、近未来小説、ミステリーとジャンルを超えて精力的に活躍する著者初の時代小説。
 
 満月の夜、女の身投げが目撃される。女は、小間物問屋の若おかみ、おりん。調べに当たったのは、切れ者ゆえの苛立ちを抱える同心・小暮信次郎。彼は、おりんの夫、清之介の隙のなさに不穏なものを感じ、岡ッ引きの伊佐治とともに事件を調べ始める。だが、彼らをあざ笑うかのように殺人が・・・清之介の過去とは?事件の真相とは?

 結末には見事なサプライズが仕掛けられており、ミステリーとしても巧緻である。だが、その巧緻さが目立たないほど、構成も語彙も鍛えぬかれ、磨きぬかれている。拵えは実直だが、抜くと底光りする刀剣を思わせる作品だ。
 何と言っても、同心、小暮信次郎がいい。捕り物ものでは善の象徴として描かれることの多い役どころだが、彼は、定番の枠組みを超えた陰影深さを備えている。同心として生きることを定められ、抗う術のない彼は、常に苛立っている。その苛立ちは、明治以降という時代背景に置くなら、「自意識」と比較的簡単に定義されるかもしれない。
 だが、江戸に生きる彼の思いは、定義の言葉を持たない(『バッテリー』の彼らが少年ゆえに多くの言葉を持たないように)。だから、その思いは、ひたすらに不穏で不安定な行動としてのみ発露する。
 この昏さと揺らぎゆえに、信次郎は、引力を持つ。まっすぐに生きざるを得ない者、たとえば、岡引の伊佐治は、信次郎の屈折に戸惑い、時として反発する。だが、信次郎からけっして離れることはできない。このあたりの関係は、『バッテリー』の二人にも似ている。
 そして、読む者も、信次郎や清之介といった屈折ゆえに引力を持つ人物たちからけっして目を離せないのだ。月の光が、刀剣の光のように、人の心をかき乱し、それゆえに人を魅了するように、二人の男が発する蒼白い光に惑わされ、魅了されるのだ。
■人は人を根本的なところで救いうるのか――普遍的な問いかけ。それ自体を豊穣なる物語に
 時代小説の魅力は、なんといっても、登場人物の魅力にあると私は思う。
現代を舞台にしたものであれば「そんなヤツおらんやろぉ~」と突っ込みたくなるような「いい男」でも、時代小説ならすんなりと許せてしまう。
著者は、本作でその有利さを十二分に活用している。
もちろん、実力派の著者ゆえ、本作は、軽薄なキャラクター小説というところには留まっていない。
 
 本作の根底には、人が人を根本的なところから救うとはいかなることなのか、それとは逆に人が人を根本的なところから傷つける、すなわち命を奪うとはいかなることなのかというきわめて普遍的な問いかけがある。また、その問いかけに安易に答えを出すのではなく、「問う」ということ自体が芳醇な物語になっている。
 著者は、物語作家として、きわめてまっとうな存在である。だが、と同時に、きわめてミーハーでもある。でないと、「いい男」は書けない。
 著者の懐の大きさを示す作品でもあり、予定調和に収まりがちな時代小説を敬遠してきた人にこそ、物語に惑乱される醍醐味を味わっていただきたい。

この本を買いたい!


■やはり、このジャンルは新鋭からして成熟度が高いですね。エンターテインメントであればあるほど、受け手が求めるレベルも高くなるのかも。情報チェックは「ミステリー・エンタメ作品を読む」

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