MENUというテクノポップ・バンドをご存知でしょうか?

RAKU RAKU KIRAKUチラシ(星、ちわき)
ラジオパーソナリティとして知られるちわきまゆみさんがヴォーカルだったバンドです。MENUは知らなくても、彼らによる80年代のCM曲を聴いた事がある人もいるはずです。最近、MENUの公式サイトが、MENUのリーダーだった星渉さんによって当時の資料・音源・映像に基づいて公開されました。MENUというバンドの貴重な記録でもあるのですが、日本の80年代ニューウェイヴの検証という意味でも必見の内容です。

MENUのサイトを作った理由

ガイド:
おひさしぶりです、星さん。最初にメールを頂いたのは2000年以前だったような・・・

星:
そうでしたね。たまたま「自分の名前がどこかに載っているのかなぁ」という興味本位で検索していたら、四方さんのサイトPOP ACADEMYが出てきて、MENUの情報を見つけたんです。で、付け加えた方がいい情報もあるなと勝手に判断して(笑)メールを送らせていただいた、というワケです。

ガイド:
今回、星さんが作ったMENUのサイトは素晴らしいです。音楽好きに人たちにも紹介したんですが、大好評です。

「MENU、すごく好きでした。写真が、いっぱいあるう!!」
「80年代系ファッションも、懐かしいのにカッコイイ。」
「おー!すばらしい! 『RAKU RAKU KIRAKU』持ってます!」
「タイガーのCMが聴けて感動しました。」
「このレコード、ずっと欲しいと思っていたのです!!」


星:
嬉しい驚きでしたね。活動期間も短かったし、解散してもう20年以上経つというのに、まだ覚えていてくれてファンだという人からの反応があるということに、ちょっと感動しちゃいました。

ガイド:
サイトを作った動機は?

星:
いや~、それは実に単純な動機でして…。僕はApple のMacを使っているんですが、そのソフトで「iWeb」という簡単にWebサイトが作れるソフトがあるんですよ。で、持っているのに使った事がないから、試しに何かHPを立ち上げてみようと思い、MENUの頃の写真をアップしてみたんです。特にどこかで告知したわけでもなく、友人たちに知らせただけなんですが、予想以上のアクセスをいただいてビックリ、という感じでした。(ちなみに、ソフトの不具合からか、更新する度にアクセスカウンターがゼロになってしまっているのですが、HPを立ち上げて2週間で1000アクセスを超えてしまいました)

ガイド:
画像(スライドショーもある!)、ライヴ動画・音源、デモテープなどちゃんと
保存してるのはとても偉いな~と。掘り起こし作業は結構大変だったんですか?

星:
いえ、2年くらい前に封印してあった音楽機材を押し入れから引っ張り出してみたら、楽器類と一緒に当時の音源などの資料が全部一遍に出てきたんです。それでせっかくだからアナログテープや写真をMacに取り込んでデジタルデータに変換して保存しようと思い立ち、ここ一年くらいかけて整理整頓していたので素材はほとんど揃っていたんですよ。
そして最初は写真だけでしたが、もっともっとと言うことで、音源などを増やしていったというワケです。

Le Menuを解明する

ガイド:
このサイトで初期MENUとも言えるLe Menuについてもかなり解明されましたね。MENUは星さんとちわきさんの最小限ユニットですが、Le Menuは5人のバンド編成だったんですね。ライヴ映像や音源で検証してみると、無国籍風ニューウェイヴ・バンドの色合いが強いですね。デモテープとして今回公開した「ポケット」や「ジャングルハッスル」は、ジャングルビートで・・・新鮮な驚きでした。リズム重視だったんですね。
Le Menu(京極、ちわき、内田、鈴木、星)


星:
ええ、それはLe Menuを結成した当時の世界的な音楽状況も反映されていますよね。Talking Headsの『Remain In Light』とか、Bow Wow Wowとか。特にそういった流れに敏感だったのがドラムの京極やキーボードの理恵(内田)でしたね。僕自身もエイドリアン・ブリューとか、かなり影響されましたね。MENUとしてレコードデビューする時には、そういった流行は過去のモノとなり始めていましたが、Le Menuの頃のサウンドも再現したいと思い、ドラムマシンやシンセを弄りだしてテクノという手法に接近していったんです。

ガイド:
Le Menuには、後にPink TankそしてDe-LAXを結成した京極輝男(常世)さんと鈴木正美さんも居たんですね。彼らとLe Menuとして続けなかった理由というのは、方向性の違いとありますが・・・ 確かにPink Tankの方が、よりストレートで歌謡曲的にポップ志向な気がします。

星:
う~ん、それに関しては明確な理由というのが思い出せないんですよ(笑)。
ただ、僕が立ち上げたHPにも書いてありますが、Le Menuとして多くのレコード会社からオファーをもらったのに、なかなか契約まで至らないというジレンマというか焦りがバンド内にあって、そこから今後の音楽的方向性とかキャラクター付けとかを話し合っている内に、少しずつズレが生じていった、ということだったと思います。それと失礼な言い方になっちゃうかもしれないけど、Pink Tankは、どちらかというと企画モノ的なユニットだったようですね。彼らが本気でアレをやろうとしていたとは思えないんですが…。おそらくDe-LAX に至る布石として必要な行動だったんでしょうね。

あ、そう言えばコレは初の発言になると思いますが、当時、De-LAXのギタリストとして参加しないかという打診も受けていたんですよ。

MENUとしてデビュー

ガイド:
ドドンカドン!
ユピテルからMENUとしてミニアルバム『ドドンカドン!』でデビューするにあたって山田道成さんとの出会いがあったようですが、どのような巡りあわせで?僕の世代では洋楽ライナーノーツに人というイメージがとても強いです。

星:
ええ、道成さんは洋楽のライナーノーツを書いていた音楽ライターだったのですが、確か1982年になって京極が連れてきたと記憶しています。京極はLe Menu以前に僕とV-27というバンドをやっていましたが、それ以前に東芝からルイスというアイドル系バンドでデビューしていましたから、その関係で知り合った人脈だったと思いますね。バンドのリハーサル時に突然現れて、「Le Menuをぜひプロデュースしたい、オレに任せてくれないか」って感じでした。ユピテルとの契約に漕ぎ着けるまでは、彼がバンドの広報担当兼マネージャーみたいな感じでしたよ(笑)。

ガイド:
明るい家族計画
Le Menuとして演奏していた曲のほとんどは、MENUのアルバムに入っていないのですねー! 『明るい家族計画』に収録の「オハヨーSONG」くらいですかね。どうしてなんでしょう? MENUとしては、ちわきさんが作詞、星さんが作曲というパターンが多かったみたいですが。

星:
それに関しても記憶は曖昧なんですが(笑)、抜けちゃったメンバーに対する気遣いもあったんですが、ちわきと二人でMENUとして再出発するに当たって、新しい曲をやりたかった、作りたかった、という思いが強かったせいじゃないかな。それとLe Menuの曲は全員でアレンジして仕上がった曲がほとんどですが、作曲者を明記する際に誰がどの曲の主導権を握っていたかというのを明らかにするのが面倒くさかった(笑)というのが本音かもしれないですね。

あ、でも他にもレコーディングした曲はありますよ。「きいろいスリッパ」も「ツチノコさん」もLe Menuの頃からのレパートリーですね。当時の音源が残っていないだけで。
MENU では僕が曲を作り、歌詞の断片をちわきに渡して膨らませてもらうというパターンでしたね。

ちわきさんの裏声唱法の秘密

ガイド:
ちわきさんの素っ頓狂とも言える裏声はどのように確立されていったのですか?
Le Menu時代は地声で歌った曲もあるようですし。

星:
あれはね~、全く偶発的に発見したんですよ。曲を作っていってスタジオでリハーサルするワケですが、なかなか彼女が歌いやすいキーが見つからなくて、どんどんキーを上げていって、もうオクターブ巡っちゃったのにまだしっくり来ない。で、他のメンバーはサウンドを固める方に気持ちが行っちゃってるから、ちわきを放って置いてどんどんリハを続けちゃうんですよ。そうしたらちわきも焦ったのか開き直ったのか、例の裏声で絶叫しだしたんですよ(笑)。みんなビックリしたけど大笑いしながら演奏したんですよ。その瞬間に、「Le Menuのちわきまゆみ」というキャラクターが誕生したとも言えますね。「ソレだよ~、ソレ!!」って感じでね(笑)。そして、そのちわきの歌声に触発された曲作りをするようになり、バンドの個性も確立していったというワケです。

MENUがデビューした時に、ウケを狙った作為的なキャラクター作りだという穿った見方をした関係者もいたようですが、本当に自然発生的に生まれた個性なんですよ。そうしてメンバー全員が突然変異的に誕生したLe Menuという個性に向かって磨き上げていったという感じですね。そういう過程を経ていましたから、Le Menuというのは本当のバンドだったんです。

MENUのCM曲

ガイド:
今回、「ナンキンテリアでドテカボチャ」をはじめとしてMENUの作ったCM曲を聴いて、MENUの曲がどこかで聞いたことがある感じがするのは、CMで聞いたからかなぁ~とか納得しています。好き勝手にやったとありますが、広告代理店やスポンサーの反応とかはどうだったんでしょう?
MENUとしてCMにも二人で出演されたんですよね?

星:
どこかで聴いたことがあるという気がする、というのは事実だと思います。「ナンキンテリアでドテカボチャ」も「みあげたNyang Nyang」も、CMの依頼から生まれた曲ですからね。まずCMの企画があって、そこに広告代理店側が歌にして欲しいキャッチコピーがすでに存在していたんですよ。「イモ・タコ・ナンキン」とか「みあげたニャンニャン」とか(笑)。で、CMとして曲の断片を作ってからMENUとしての楽曲に仕上げていったから、CMの方が先に出回っていたんです。

広告代理店やスポンサーは大喜びでしたね。彼らもMENUの個性をCMに活かしたいと思って依頼してきたので、本当にココまでやっちゃってイイの?と、こっちが心配しちゃうくらい好き勝手にやらせていただきました。

ちわき個人としては他にも沢山のCMにキャラクター出演していますが、二人揃ってTVCM画面に出演したのが缶チューハイの「みあげた Nyang Nyang」でした。この曲を初のシングルカットとしてリリースし、ライブ活動やTV出演を進めていく予定だったんですが、ご存じの通り、セカンド・ミニアルバムの発売日にユピテルレコードが倒産しちゃうんですよ。

沢口靖子さんにプレゼント?!

ガイド:
ラクラクキラク
未確認情報ですが、セカンド・ミニアルバム『ラクラクキラク』に収録の「ツチノコさん」を沢口靖子さんにプレゼントをしたというのは本当ですか?

星:
それは話に尾ひれが付いたフィクションだと思います。
「ナンキンテリアでドテカボチャ」はタイガーのリビングラックのCMソングだったのですが、そのCMキャラクターが沢口靖子さんだったので、そういう話が出来上がっちゃったんじゃないでしょうか。でも実際、撮影時に曲を聴いた沢口さんが大喜びで口ずさんでいたというのはホントらしいので、そこから話が大きくなったんでしょうね。その時に沢口さんに「ツチノコさん」のテープを渡したかどうかは覚えていませんが。

Bugglesへのオマージュ

ガイド:
Technical Music Planning
『Technical Music Planning』というユピテルの企画盤で、後にARBで活動した白浜久さんと覆面バンド「Radio Musik」として「フライデーナイトの悲劇」という曲で参加されていますね。タイトルから予想できるように、「ラジオスターの悲劇」へのオマージュですね。Bugglesの大ファンの僕はこのアルバムを必死で探して、発掘しました。星さんもBugglesが好きなんでしょうか? Le Menuなんかは、イギリスよりのテイストを感じます。

星:
ええ、好きですよ。あとNew Musikとかね。
「フライデーナイトの悲劇」は白浜久が作ってきた曲ですが、彼とは趣味が合いましたね。白浜とはMENUの後期・解散後も活動を共にして、彼の2枚目のソロアルバムの打ち込み・マニュピレートは僕が全部やりました。

余談となりますが、僕らMENUは、Le Menuも含めて、全員ブリティッシュ系のサウンドに影響を受けています。ですからMENUの解散後、僕が白浜とつるんだ事、ちわきまゆみのソロ活動における「グラムロックの女王」というイメージ、京極と鈴木のDe-LAXも、全部MENUのキャラとはかけ離れているでしょう? それだけMENUというグループはお互いの化学反応によって生まれた特殊な個性だったんです。

CD化企画提案

ガイド:
自分のサイト、POP ACADEMYで「CD化企画提案」というのを勝手にやっていて、その中にMENUの全曲を収録した『FULL COURSE MENU』(いいタイトルでしょ)というCD(多分一枚でいけるかなぁ)を提案しています。『The Complete Susan』や『一風堂Box Set』は実際実現したんで(僕の提案との因果関係は証明されていませんが・・・)、これも!と思っています。でも、マスターテープがないのですか?

星:
RE-FACE
それに関しては、現在マスターテープを捜索中です(笑)。
ユピテルレコードが倒産した後、吉田プランニングという会社がマスターテープを所有していて、それを東芝EMIが譲り受けて『RE-FACE』というアルバムをリリースしたのですが、『RE-FACE』に収録されなかった曲がどこにあるのかが不明なんです。吉田プランニングはRE-FACEをリリースした直後に倒産してしまいました。で、今、それらの楽曲のマスターが残っているのかどうかを東芝EMIに問い合わせている最中です。近いうちに答えが出ると思いますが、僕としても何とかCDとして再発売したいですね。その時は『FULL COURSE MENU』でいきましょう(笑)。

MENU解散後・・・

ガイド:
星さんはMENU解散後、音楽業界からは離れてしまうのですよね。星さんはデザインの勉強を多摩美でしていたんで、そちらの方向へ行ったんでしょうか?

星:
いえ、主夫をしていました(笑)。デザイナーとしては『RE-FACE』のジャケットを自分でやっただけです。まずは子育てにハマってました(笑)。これは本当の話です。原マスミとMENUを聴かせて子守をしていましたよ(笑)。

そうしてMENU解散後もCMやビデオの音楽制作をしていたのですが、ある日突然、F1GPの魅力に目覚めてしまったんです! 1987年ですね。信じてもらえない人が多いのですが、これもホントの話ですよ。MENUの頃から、自分としては圧倒的なパワーのある音楽を指向していたんですが、F1 を生で体験してしまった時、「これは僕が経験した中で最高峰のパワフルな存在だ!」とショックを受けてしまったんです。F1に打ちのめされ、惹かれてしまったんですね。で、音楽を封印しちゃったんです。自分でもビックリでしたけど、音楽機材の一切合切を押し入れに仕舞っちゃいました。その後、詳しく話すと長くなりますけど、実際にF1を仕事にしちゃう程でしたよ。2002年までF1関連の仕事をしていました。

ガイド:
解散後、または現在もちわきさんや他のLe Menuのメンバーとの繋がりはあるんでしょうか?

星:
いや、今話したように子育てとF1にのめり込んで音楽活動を凍結してからは一切交流はありませんでしたね。音楽を聴くことすらしない生活が続いていましたから(笑)。
でも、去年(2006年)、20年ぶりに京極輝男と鈴木正美に会いましたよ。正美はまだDe-LAXで活動していますから、刺激を受けたくなったんですね。ちわきとも会いたいなと思っています。そう、僕もまだどういう形になるかはわかりませんが、20年ぶりに音楽をやりたくなってきたんですね。

ガイド:
ユピテルの倒産という不運もあっただけに、MENUのサイトを見て、MENUというバンドがちゃんと評価されるきっかけになったらいいなと思います。僕自身もサイトを見て、MENUというバンドが深く記憶に刻まれました。

星:
ありがとうございます。先ほど言いましたように、僕自身は単なる好奇心でサイトを立ち上げたワケですが、反響の多さに驚き、コレはしっかりした情報を載せないといけないなという使命感も芽生えました。そうして過去の未発表音源などを網羅するほどに、肝心の公式音源が無い、公開できない、入手できないということにジレンマを感じています。手前味噌ですが、レコードとして発表した楽曲・サウンドのクオリティにはそれなりの自信と自負がありますからね。

MENUが世に出た当時は、ちわきの強烈なキャラクターだけが一人歩きしてしまい、音楽的に正当に評価されることが少なかったと思います。

このサイト立ち上げを機会として、なんとかMENUの正規レコーディング音源を再発表できるように頑張りたいと思います。サイトの方も、順次内容を更新していきますので、みなさん、これからもよろしくお願いします。

MENU WebSite
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