去年のクリスマスイヴの事です、スーザンさんが僕の私設サイトのBBSに書き込んでくれたのは。「えっ、本当に本人?」というのが最初のリアクションだったのですが、ご本人でした。1月末になってから、スーザンさんから公式ページが開設されたご報告をいただき、思わず「インタヴューさせてください!」とお願いしたところ、快諾をしていただき、今回の貴重なインタヴューが都内某所で実現したのです。

スーザン・ノザキとしてデビュー

photo by M.kenjiro
――こうして直接お話できる機会があるとは夢に思いませんでした本当にありがとうございます。では、時系列でお話しを伺いたいと思います。芸能界という言い方がいいのか分かりませんが、芸能界に最初に足を踏み入れたきっかけとは何だったのでしょう?

本当のきっかけはスカウトですね。当時、渡辺プロのスクールに入ったんです。

――スカウトされる前にですか?

スカウトされる前にですね。そこで、シルヴィー・バルタンためにフランスに送るデモテープをとるのに私が歌ったのです。その時にいろいろな話があったようですが・・・ハーフの人ばかりのグループとかデビューしているんですよ。

――ゴールデン・ハーフとか?

はい、そこのグループとかにも入っていた可能性があったんですが・・・でも、そうじゃなくて一人でデビューさせたいということで。

――Epic Sonyよりスーザンとしてデビューする前に、キング・レコードからスーザン・ノザキとしてデビューされていますね。

本名ね(笑)。

『おんなの時間』
――『おんなの時間』(1971年)と『愛の円舞曲』(197?年)という2枚のシングルをリリースされていますね。

デビューはシルヴィー・バルタンと同タイトルだった『おんなの時間』ですが、もう一枚あるんです。『いそがなくっちゃ』というシングルです。

――えっー、それは知りませんでした! 「愛の円舞曲」でヤマハが主催していた「合歓ポピュラーフェスティバル'71」にエントリーされて、入賞および新人賞も受賞されたのですよね。

その年は、六文銭が世界歌謡際に行かれたんですよね。その時にサンディーが世界歌謡祭に出てたのです。

――まだ苗字がついていた頃の?

サンディー・アイと言っていた頃。

――じゃ、スーザンさんは、このフェスティバル以前にデビューされていたんですね。

はい、「夜のヒットスタジオ」とかのTV歌番組にも出ていました。

amazon.co.jpにあるCDは、ジャケ写からリンクできます。(amazon.co.jpにない場合、海外のamazonや他の通販サイトへ)
――「おんなの時間」は渡辺プロ関連のディープ・ソウル歌謡系のオムニバス・アルバム『groovy sexy & ecstasy』(1999年;残念ながら現在廃盤)にも収録されてますが、ご存知でしたか?

(愕)私が歌っている「おんなの時間」? それは初耳です。ディープ・ソウルと言われても・・・素直に歌っていました(笑)。

――シングル『おんなの時間』のレーベル面を見ると「スーザン・ウッド」の「ウッド」がマジックで消されていて、上から手書きで「ノザキ」と書かれているとの報告が友人の荒君からあったのですが、その謎は?

やめたからですね(笑)。私の本当の父は、リンドバーグっていうのですが、日本人のお父さんが育ててくれたのです。そのお父さんは森さん(=ウッド)なんです。

スージー白鳥の秘密

――これは、公式ページで見るまで、迂闊にも知らなかったのですが、スージー白鳥の名前で小松政夫さんとシングル『しらけ鳥音頭』(1977年)をリリースされているんですね。人気TVバラエティ番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」の挿入歌ですが、どのようなきっかけで参加されたのでしょうか?

多分、小松さんと事務所が一緒だったんですよ。小松さんはワーナーで、私はキングと契約していたから、内緒にしたのです。ほとんどデュエットです。でも、小松さんとは一緒に何かをしたというのは無いですね。

女優として

――70年代に歌手以外にもいろいろな活動をされていましたが、歌手以外では何が一番やっておられていてしっくり来たのでしょうか?

TVのお芝居ですね。一緒にいて気持ちの良い人たちは役者さんでした。モデルもやっていましたが、あんまり好きになれませんでした。

――沢田研二さんが主演した三億円事件をモチーフにした「悪魔のようなあいつ」にも出演されていたんですね。当時、この番組は全編見たと思うのですが、どのような役だったのでしょうか?

彼女(同席していた現在マネージャーをしている戸田今日子さん)も出ていて、そこで知り合ったのです。私も彼女も三人娘で出ていたんです。横浜が舞台だったんだよね。

戸田さん・・・藤竜也が経営する「日蝕」という沢田研二さんが弾き語りをしている店で・・・その中で「ママリンゴの唄」というのを歌いましたよね。でも、他の人がレコーディングしたのです。

いい曲だったんですよ。

コンプリート・スーザンとして再発

――では、今回、待望のCD化リリースとなった『コンプリート・スーザン』(2005年)についてお伺いしたいと思います。私のやっているPOP ACADEMYという私設サイトで「スーザンさんの全ての楽曲を含めた2枚組CD『The Complete Susan』をぜひリリースして欲しい」と以前書いた事があるんですが、今回このような形で実現するとは嬉しい限りです。しかも、アルバム・タイトルの奇妙な符合を知り、不思議な気持ちになりました。この企画はどのように実現の運びとなったのでしょうか?

見ているんですね、きっと誰か(笑)。これは、全く知りませんでした。四方さんのサイトの記事を見た時は、この企画は知らなかった。こんな事を書いている人がいるんだと。私の知らない所で、企画が進んでいたようです。福岡に8年居たので、ほとんど行方不明と思われてたはず(笑)。

Disc1
『Do You Believe In Mazik』より
01. Modern Flowers In A Boot
02. 24,000回のキッス
03. Dream Of You
04. Do You Believe In Magic?
05. Ah! Soka
06. Freezin' Fish Under The Moonlight (Eatin' My Eackbone)
07. Glass Girl
08. It's No Time For You To Cry
09. Screamer

Disc2
『恋せよおとめ』より
01. You're My Number One
02. 恋せよおとめ
03. Training
04. “Blow-Up”
05. I Need Your Love
06. I Only Come Out At Night
07. Go Go
08. Nuit De Saint-Germain (サンジェルマンの夜)
09. Tokyo Sue
10. My Love
アルバム未収録シングル曲より
11. モダン・ワールド
12. サマルカンド大通り
13. シャボン・ドール
14. 恋はダンス


――以前、スーザンさんがお子さんに歌を教えていると聞いたのですが・・・

子供に教えているのは、渋谷に来てからで、割と最近ですね。福岡では歌う仕事がなくて、専門学校の非常勤をしていました。主人がシーナ&ザ・ロケットのドラマーの川嶋一秀で、主人に紹介してもらって、講師をやる事になって、今でもやっているんです。渋谷では上原にある脇田スタジオで9人ぐらいの子供に歌のレッスンをしています。

高橋幸宏さんとの出会い

――Disc 1でもあるデビュー・アルバム『Do You Believe In Mazik』(1980年)がスーザンさんを初めて知るきっかけでした。当時、プロデューサーであった高橋幸宏さんの『音楽殺人』(1980年)と交互に聴いていた覚えがあります。この2枚はトーンが近いですね。60年代的モータウン的ポップをルーツにしながらも、凄いサポート陣(高橋幸宏、坂本龍一、細野晴臣、松武秀樹、大村憲司、立花ハジメ、梅林茂、奈良敏博、鈴木慶一、久保田麻琴、岡田徹)でテクノに再構築されたサウンドはとても新鮮でした。高橋さんのプロデュースでアルバムを作ったきっかけは?

アルバムのライナーにも書いたのですが、その当時の幸宏さんのマネージャーだった伊藤さんのおかげです。私はもう渡辺プロではなかったのですが、ある事務所に半年ぐらい所属していて、ハワイでレコードを製作する事が決まっていて、他の人とはやらない予定だったんです。でも、伊藤さんが別のレコード会社にいた頃、一度お話しをしたんです。

その後、伊藤さんはレコード会社を辞めて、幸宏さんのマネージャーになって、プロデュースする女の子を探していたんです。ちょうど私の企画もぽしゃって、事務所も辞めたんです。そして、伊藤さんがお電話を下さって、幸宏さんとお食事をしたんです。

――それで幸宏さんもスーザンさんの事を気に入ったんですね。

不思議な事なんですけど、幸宏さんは私の歌は聴いていない筈なんです。

――お話しただけで決めたと。

幸宏さんに聞いたんです。後でインタヴューで「キラキラしていた。だから、面白いものが出来ると思った」と言ってくださったんです。その日に「一緒に作ろう」と言ってくれたんです。大変な人達だったのに、私はYMOを知らなかったんです。伊藤さんが「決まったら大きな話だ」と言うから私は「分かりました」と。

で、いきなり、武道館の「写楽」に連れて行かれたのです。「なんじゃい、こりゃー」と。その時、シーナ&ザ・ロケットも知ったのです。「何て不良っぽいバンドなの!」って・・・私は芸能界出身ですから。

――シングル『24,000回のKiss c/w Dream Of You』(1980年)はアルバムと同時発売ですね。こちらは加藤和彦さんの作曲ですね。海外では、これのB面だったシングル『Dream Of You c/w Freezing Fish Under The Moonlight』(1981年)をリリースされていますね。海外でリリースされた理由は?

結構、イギリス狙いだったのだと思います。ロンドンへ行くという話しもあったのです。でも、戦争(フォークランド戦争)になっちゃって、二日ぐらい前に取りや止めになったんです。

――フランスでも反響があったとの情報もありますが、どうなんでしょう?

それは聞きました。でも、イギリスも「JAP TECHNO ROCK」というマニアックな雑誌では一位をとったらしいです。

――スーザンさんはフランス人の血も引き継いでいるんですか?

父はアメリカ人ですけど、フランス系アメリカ人なのです。

レコーディングの手法

――アルバムのレコーディングは、スーザンさんが70年代にされていた手法とはかなり違ったのですか?

70年代の頃、レコーディングは一発どりでした。多くても2テイク。YMOの人達に出会う前に、路線に迷っていたんです。歌がうまいと言われている人はいたけど・・・ああなりたいという目標にはならなかったんです。原因不明で声も出なくなって2年間ぐらい歌えなかったし。いろいろあったから。幸宏さんに出会ったおかげで、ヘタウマでやれて楽しかった。こんな風に歌っていいんだなーと・・・楽しみました。

――スーザンさんの声ってすごく特徴があって、声にキャラクターがありますよね。その辺が良いと思われた理由ではないかと。

そう思いますね。ずっと、それでスタジオで仕事が出来ましたから。ただ、ヴォーカリストとして歌いこなすとか思いを入れるとかという点では物足りなかった。70年代にきちっとフルコーラスを歌い上げることに慣れていましたから、微妙でしたね。今は、あれで良かったんだと思えるんですが。

レコーディング自体は全然違う物でした。身をゆだねるというか、プロデュースされるというのも初めての経験でしたから。そういうスタイルはまだ日本では初めてぐらいだったんじゃないかな。プロデュースする、される、というのは。

――プロデュースに関してはどのように指示があったのですか?

幸宏さんと大村さんからすごい細かくありました。私が色々歌って、「これはちょっと怖い」とか「これが好き・嫌い」とか。いっぱいレコードを聴かされて、その中から自分でチョイスしたんです。

――という事は、モチーフとなったサウンドがあったんですね?

女性で言えば、ニナ・ハーゲンとかリーナ・ラビッチとか。結構、リーナ・ラビッチは好きだったかな。

――ロシア構成主義的でとても好きなジャケなのですが、続く日本でのシングル『モダン・ワールド(Multi-Modern World) c/w It's No Time For You Cry』(1980年)は、Sonyのカセット・テープのCM曲ですね。杉真理さんがYMO人脈に混じって作曲しているのが、意外です。CMではスーザンさんは歌っただけなのでしょうか?

CFに出ていました。川崎さんにとってもらったんです。その時、モヒカン刈りという話が出たの。でも、出来ませんでした(笑)。今なら、したかも。それにしてもモダン・ワールドはかっこいい。今聴くとあのころよりも大好き。

早すぎたガーリー

――続くセカンド・アルバム『恋せよおとめ』(1981年)も高橋幸宏さんのプロデュースでほぼ同じ布陣で固められていますね。このアルバムは、ガーリーという言葉、その当時は誰も使っていなかったと思いますが、とても似合うアルバムだと思います。ある意味で時代の先を行っていたと。スーザンさんとしては、自分で何かイメージしていたものはあったのでしょうか?

やっぱり、徐々に確立されてきたのではないでしょうか。幸宏さんに出会った頃に言われたのですが、「スーザンは何色にもなれて、色がない。少しは色がつくよ」という言葉を覚えているんです。2枚目に関しては色がつくようになったのかしら。ヴォーカルのバランスもちょっと上げてもらいたいと。2枚目のアルバムの後に出したシングルは、うーん、やりすぎって感じで今聴くと恥ずかしい。どんどん、そうなっていると思いますよ。これは、10年ぐらい引きずりました。

――「Tokyo Sue」はブライアン・フェリーの「Tokyo Joe」へのアンサー・ソングのように聴こえます。「I Only Come Out At Night」はヨーロッパでもシングル・カットされていますね。シングル・カットのされた「恋せよおとめ c/w Training」(1981年)ですが、「A子はB夫とCしてgood-bye D子ときたら E・F・G・H」って細野さんっておちゃめな歌詞を書くなーと。

あれは、細野さんがしまっていたのを出してくれたのです。でもね、あれ、ライヴとかで歌った時に難しいの。聴き取れないのですよ歌詞が・・・(で、歌っていただく)今の宇多田ヒカルさんのようにアハ、イヒを発音していたんですよ。

当時を振り返る

――1981年の3月13日にツバキハウスでライヴをされていますね。これ以外にライヴはされたのでしょうか?

ツバキハウスでは多分2回。渋谷パルコの壁画、1か月位私の絵だったからその前でEXといっしょにやりました。インクスティックをかわきりにひとりぼっちの全国ツアーもしたんです。横浜の氷川丸という船でもやりました、ロケットの川嶋と浅田さんと。

それから、大村さんが参加した最初のライヴでインタヴューされたのを覚えています。インタヴュアーに「みんな、大村さんを見に来ているんだけど、それで君はいいの?」って聞かれて・・・私は「はぁ~」って感じで。でも、大村さん応援してくれたんですよね。

――でも、その頃、スーザンさんのファンは多かったと思いますけどね。多かったというのは、当時分からなかったですが、インターネットをやるようになってからスーザンさんが好きな人が結構いる事が分かったんです。

ありがとうございます。当時、そんなに出ていませんでしたから、かえって好きでいてくれたのかも。

――1981年9月22日の坂本龍一さんのサウンドストリートにもゲスト出演されていますね。聴いた覚えはあるんですが・・・

あまり、覚えていませんね(笑)。スネークマン・ショーみたいなので、幸宏さんとかと架空の人として出たのは覚えていますね。

――1982年に、シングルのみで『サマルカンド大通り』をリリースされていますが、これはサンヨーのCMソングに使われたのですかね。

これはCM先行だったと思います。でも、CFには出ていないですね。

――ちょっとブランクがあったようですが、ワーナー・パイオニアにレーベル移籍して、1984年に『シャボン・ドール c/w 恋はダンス』をリリース。こちらはかしぶち哲郎さん(B面は岡田徹さんが編曲)によるフレンチ・アンニュイな曲ですね。

これも本当はCM先行だったんですが、ぽしゃったんです。サンディーに差し替えになったのです。

幻のアルバム?

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――スーザンとしてデビューしてから、好きな音楽とかは変わったんでしょうか?

私、EXのアメリカツアーでロサンジェルスに一緒に行ったんです。1ヶ月ぐらい踊りまくったんです。楽しかったー。私は、一緒に楽しんでいた感じですね。

――EXはニューウェイヴの括りですが、リバプール・サウンドっぽいですよね。

全然、アメリカに合わなくって、全然、変(笑)!

でも、これをやっていた時は、歌うことに醒めていたかなー。ライヴをやっていても感動できなかったし。時代についていけなかったのですね。音楽はファッションになっちゃったって感じで。

――今、思い返えしてみるとどうなのですか?

今は、テクノが楽しい。やりたいくらい。

――何がどういう風に変わったのですか?

幸宏さんとお仕事をしてから、私の声でスタジオのお仕事が10年間ほど出来ちゃったんです。皆さんが欲しいのは声のインパクトとそのサウンドにいる私の声で表すキャラクターで・・・ずっと来ちゃって。でも、私はシンガーとして生きていたから収集がつかなくなったんです。

ヴォイス・トレーニングを福岡にいる時ぐらいから始めたのですが、やっぱりカラダは楽器だから、響かせて使う場所でいろんな音がでるわけです。で、いろんな所が使えるようになったんです。福岡にいた時にビクターで何枚かアルバムを出していた西松さんというミュージシャンに出会って、アメリカの60年代の歌唱法をやって、それで吹っ切れたのです。自分が次にやりたいことを見つけたのです。

実は、そのデモは幸宏さんに聴いてもらって、アルバムを作る約束をしたんですが、作らなかった。

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――幻のアルバムになったのですね。

大変だったのか、アルバム量の楽曲が作れなかった。

今、こんな形で再発CDが手に入って、なんて幸せって思っています。出てよかったと、人生の宝物。スタジオワークは今でも誘ってほしいです。形として残したものはまた世に出ることもある。今回はすごい経験。

幸宏さんもそうなんだけどわたし演出してくれる人との打ち合いにわくわくするの。それはスタジオワークも舞台もいっしょ。残せないもの、二度と帰ってこない、やりなおせない舞台、ミュージカルがやりたくなったのです。キャラクターを演じるという点でも歌と同じ。お客さんと共有できる感動に命をかけようと思ったの。

――舞台はいつから?

去年からです。まだ、身につけないといけない事がたくさんあって、力をつけたいのです。

再発CDを聴き返して・・・

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――舞台もぜひ、見せていただきたいですね。

再発CDをご自身で聴かれてどうでした?


昨日初めて、流して聴いたのですが、うーん、私は嬉しい。ステキ。全く、今の方が当時よりも好きです。

――今の方が、客観的になれると。

そうですね。ずっとコンプレックスがあったんですが、今はコンプレックスがない。当時、大村さんに「スーザンはそのままで自信もっていいんだよ」って言われて、支えられたかなー。

――私の周りの音楽好きの人たちは、スーザンさんをとても評価していると思います。

変なこと言っちゃうけど、私はヴォーカリストとして評価されていないと思っていました。でも、今、自分が評価できるようになったから。

――全体的なキャラクターも含めてとてもチャーミングだったと。

今、それに気づくって、何てボケているんでしょう。その当時は、やっぱり早すぎたのかといっぱい思いました。やっぱり感覚が芸能界ですから売れなきゃ認められてないみたいな。それも大事な経験だった。

リリース記念パーティー

――この再発CDを記念して、イヴェントも企画されているんですね。

これはおまけです。私も楽しめる。今のDJやVJの人がやってくれて、若い人柄のいい人たちがやってくれるんです。脇田君というVJの人がいて、彼が私に「パーティーにしようよ」と。

【イヴェント情報】
テクノDJパーティをベースにしたお祭りパーティー・・・今のテクノな人、80'sリアルタイムの人,みんなで楽しめるリリース記念イヴェント企画進行中。4月に開催予定、3月中旬ごろ詳細発表予定。

(取材を終えて・・・)
あの当時、スーザンさんのアルバムを愛聴していた私ですが・・・まさか20年以上経って、ご本人に会えるとは思っていませんでした。そして、今もチャームがいっぱいのスーザンさん。本当にかわいい人だなと思ってしまいました。ありがとうございました。

【関連サイト】
SUSAN WEB
SUSAN page in FRENCH TECHNO POP
SUSAN page in POP ACADEMY

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