日本のニューウェイヴ史には、語られていない事が多い。特に東京以外では。このインタヴュー・シリーズでも、モモヨさん(東京)、いまさらイスラエル(札幌)、SONOKOさん(京都)などのある意味、地域色があるシーンについて語っていただいた。この記事が掲載される2週間前に、永原めぐみさんという方から「友人からこちらのサイトを教えてもらいました。1982年に解散した大阪のニューウェイヴ・バンドネオマチスのCDを12月にリリースしました。サイトの資料としてぜひお聞きいただけたらと思います。CDお送りしますので、送付先をよければ教えて下さい。」とのメールを僕の個人サイト宛に頂く。CDを聴いて、即座に・・・「これはぜひお話を聞かなくては!」と確信を持ち、この記事となった訳です。

――はじめまして、永原さん。ほぼ同じニューウェイヴ・リアルタイム世代だと思いますので、よろしくお願いします。先ずは、永原さんがいたネオマチスというバンドについてお伺いします。永原さんは、斉藤徹さん、岩崎順さん、菱川英一さんの3人の男性と1980年にネオマチスを結成するわけですが、そのきっかけは?

コンニチワ。いやあ、よく調べてますねえ。びっくりしました。エーちゃん(菱川英一)の本名を思い出しました(笑)。でも、エーちゃんはネオマチスじゃないんですよ。ネオマチスの前身チャウメンのキーボードでした。私がNYへ遊びに行って、NYのニューウェイヴ・シーンにどっぷりはまって帰ってきました。それで、以前にウィンディスープというバンドで一緒だったドラムの順と話していて、意気投合してバンドを再び組むことになりました。それで急きょ順が探してきたメンバーがエーちゃんとベースの永井哲でした。しかし、2人とも他にバンドをしていたので、やっぱりちゃんとしたバンドメンバーを集めたいね、ということで、集ったのがキーボードの斉藤徹、ベースの石井さんでした。そこからがネオマチスです。石井さんはシングル制作のあと、途中で脱退して、その後、斉藤君の友達のベーシスト上田康男が入りました。

――C. Memi+Neo Matisseが正式バンド名なのでしょうか? C. Memiは、当時の永原さんの芸名(?)だと思いますが、リーダーっぽいですね。マチスは、やはりフォーヴィズムのフレンチ画家、アンリ・マチス(Henri Matisse)からでしょうか?

その前のチャウメンの時につけた名前です。正式にはCはチャプスイの略です。なので、チャプスイ・メミ&チャウメンという中華料理のような名前でした。ハワイのアパートにしばらく滞在したのですが、そこで知りあった老人が私の事をどこの国の人か分からない顔をしているというので、スーパーの野菜炒めのパック=ハワイではチャプスイといいます、を私のあだ名にしていたんですね。サンプラザ中野みたいなものですが、やっぱり正式名にするにはちょっと抵抗があったので、Cだけ残したという中途半端なものです。Memiというのはそのまま、友達からの呼び名です。で、リーダーというわけではありません。多分リーダー的な存在はむしろドラムの順だったと思います。ただ曲作りのコンセプトなどは私がしていたので、そう思われがちだったのかもしれませんが。バンド名の由来は私のヘタッピな油絵をある人が「ネオ、マチスやな!」といったのがきっかけで、その通り、マチスです。

――いろいろな方と話していると、東京だけに限らず、札幌、京都、大阪などでも、ニューウェイヴと呼べるシーンがあったみたいです。ネオマチスは、大阪の伝説のバンドとされていますが、当時、大阪のニューウェイヴ・シーンはどんな感じだったのでしょう? 東京ロッカーズに対して関西ノーウェイヴとかの呼び名もありますが、それは単なる後付的なものだったのでしょうか?

この辺りは音楽ライターではないので、よくわからないです。私たちは好きな音楽をしていただけなので、それがある音楽の流れに乗ったものだったのでしょうが、よくは分からなかったです。ただ、当時私たち大阪ではやはり伝説の「ロックマガジン」の阿木譲さんからのアプローチなどがあったり、大阪ではアントサリーやINU、京都ではウルトラビデとかが有名だったようです。映画「24アワーピープル」の「クラブハシエンダ」などを見ると京都の「クラブモダーン」などを思い出しました。

Factory~ポストモダン工場
――他のバンドとの交流は? 京都、名古屋、東京などでツアーもされていたようですが、どんなバンドと共演されていたですか? 動員数は結構あったのでしょうか?

シングルの発売でツアーをしましたが、東京はゼルダのオープニングアクトという形で出させてもらったので、ゼルダファンでいっぱいでしたね。京都の磔磔などで、スターリンや非常階段などと一緒でしたが、大体、私たちネオマチスは1番目ということが多くて、伝説の阿鼻叫喚ライブ(笑)などは私は見ていないのが残念です。そのほか、ウルトラビデのヒデさんとは今でも付き合いがあります。そのほか変身キリンなども一緒のことが多かった記憶があります。スターリンのメンバーの方は東京のライブには遊びに来てくれていましたね。数年前お互い知らずに友達になったのがサボテンの松本さんです。昨年末には2人でソロ対決ライブ「M&M SOLO DE DODA」をしました。また、2002年にMemiのソロライブのときには、Phewのバンド(MOST)のベースの西村雄介さんが参加してくれていました。

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――2003年12月にCD化されたアルバム『ネオマチス1982高野山』は、1982年に高野山九度山スタジオにて録音された未発表音源との事ですが、リリースに至らず解散してしまったのは、どのような理由なのですか? 音源は、温めていたのですが、それとも偶然見つかったのですか?

録音は解散後なんです。解散は単純にあきたんだと思います(笑)。当時、解散したのになぜ録音したのかは、よく覚えていないんですが、基本的にバンドとはいいつつもみんな友達同士だったので、遊びがてら九度山ヘ行ったというのが本当のところかなと思います。スタジオを借りてくれて、準備をしてくれた順が音源を8トラックのアナログテープで保管していたんですが、順がアナログからデジタルに変換する機器を手に入れたことからリリースという話になりました。

――ネオマチスとしては、正式リリースは、自主制作シングル『No Chocolate』(1981年)だけですが、これは、今回のCDのヴァージョンと同じなのですか? チョコレートをマスプロダクトとして皮肉った、アンチ・コマーシャリズムがメッセージと受け取ってもいいのでしょうか?

シングルとアルバムではヴァージョンが違います。ネオマチスは物質文明に対するアンチメッセージの歌詞が多かったと思います。「322」などは地球温暖化の歌ですし。

――歌詞の端々にも出てきますが、サウンドは、当時の日本のニューウェイヴとしては、異色とも言えるサイケデリックな感覚にあふれていますね。イギリスで流行っていたネオ・サイケともまた違う、ダークではない、どちらかと言えば、アートなポップ(この辺がトーキング・ヘッズ的かと・・・)だと感じましたが、如何なものでしょう? 8曲目の「パズルメッセージ」(一番好きです)という曲を聴いて、こんなニューウェイヴ的ファンクなバンドが大阪に居たんだと、素直に驚きました。

私も他のメンバーも基本的には黒人音楽が好きというのが下地にあります。なので、トーキング・ヘッズの黒人音楽への憧れというところが琴線に触れたんだと思います。

――2曲目の「John Is The God」は、1980年12月8日に凶弾に倒れたジョン・レノンへ捧げた歌ですね。やはり、ビートルズではジョンで、サイケデリック時代のビートルズに共感があるのでしょうか?

ジョンの平和への思いが共通するところです。ビートルズに直接的な影響はうけてはいないですね。
――ソロ、C. Memiとしての自主製作レコード『ヘブンリーピース』もリリースされていますが、ネオマチスとはまた違う音楽性なのでしょうか?

順がプロデューサーで、すべて私の好きなようにさせてくれて、稚拙ながらドラムからキーボード、ギター、デザインまで1人でしています。ネオマチスが批評家的に走っていたので、ソロでは救済とか開放とかを表現しています。

――永原さんは、ネオマチス以前の1970年代に、杏(『喫茶ロック ソニー編』に「風は何も恐れはしない」と「輝く明日はない」を収録)やウィンディスープとして、どちらかと言えば、フォークロック系と言える活動されていたようですが、何がニューウェイヴに転向させていったのですか? まるで、ムーンライダーズみたいですね(ちなみに6曲目の「Smile」にムーンライダーズに共通するものを感じました)。

大阪ではフォークロック系のバンドからソウルミュージックへ移行していく人が多かったんです。ソウルはもちろん好きですが、自分のやる音楽ではないというのは分かっていましたから、新しい音楽の形を模索していました。ちょうどその頃、アートの世界と出会って、「気持ち良い」ことがよくて「気持ち悪い」ことが悪い、ということはないんだという、自分なりの尺度ができました。そんなときにであったのがパンクやニューウェイヴだったと思います。「SMILE」は斉藤君の曲ですが、男性軍はみんなムーンライダーズ好きだったと思いますよ。

――アート・スクール系ニューウェイヴの元祖とも言えるトーキング・ヘッズからの影響を公言されていますが、一番好きなアルバムは?

「モア・ソングス」ですね。

――では、現在の活動についてお伺いします。ミュージシャンとして、杏_(AnzuUnderbar)としてアルバム『My song(杏物語)』をリリースされていますが、どのようなサウンドなのでしょう?

「My song(杏物語)」は杏、ウィンディスープ、ソロの中から集めたアルバムでMemi作品集となっていますので、73~83年までの私の変遷がよくわかるアルバムだと思います。

――また、3月末にリリースのスクラッチという若いバンドのアルバム『SUICIDE EXPRESS』をプロデュースをされましたが、プロデューサーとしては、どのような方向付けをされたのでしょうか?

彼らはどこかなつかしいポップスの雰囲気のある若いバンドで、ボーカルのエイビン君がフィリピンの出身ということで、あえて、洋楽風に聞けるように全曲英語の歌詞でいきました。しかし細かいところは全部バンド任せでしたので、そのあたりとジャケットのコンセプトくらいですねえ。彼らとは「春」シングルコラボレーションをしています。彼らの曲を彼らと私とで別バージョンで作ったりしています。これには単純にシンガーとしての参加ですが。

――文化放送の特番「ザ・ステージ」で「関西サブカルの女王~Memiの音楽物語」の特集のため出演されたそうですが、タイトルに凄く惹かれてしまいました。関西サブカル・シーンについて、女王としてのご意見をお願いします。

とくに意見というのはないです(笑)。メインじゃなくて、サブばっかりだったので、あくまでマイナーロッカーだったということですね。最近あるメールで「あんたは過去のシミ」というメールをもらい、思わず「うまい!」とさけんでしまいましたが、過去の作品をこうやって語ると、また変なメールが来るんじゃないかと思います。昔、こういうバンドをしていた人がいるんだよ、という一つの資料として考えていただければうれしいです。


永原さん、ご協力ありがとうございました。

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