桑原茂一さんインタヴュー~Part 2『ピストルズを呼べ! そしてYMO』からの続き。

――ギャグをレコード化するというのは、本来、予定もしてなかった事なんですか?

なんにも考えていなかったですね。

――レコード化するにあったて、ギャグってレコードみたいに10回、20回と聴いてもいけるもんだんろうか?というのはあったんですか?

それが、たぶん、すごくネックで。テープを作ってみんなに渡していくという事は、その分以上に、自分は何回も聴くわけじゃないですか。自分が何回も聴いて、飽きるという事は、好きな曲を聴いて、飽きるという事と同じなので、そこは、自分の課題だったと思います。この課題が、たぶん、克也さんと伊武ちゃんにもすごく重いテーマだったと思います。

極端な例では、「あいてて、よかった。」というホテル・ニュー越谷といったコマーシャルのキメキメというやつを、下手すると80テイクぐらいとったりすると、「バカか、おまえは?」とつい言いますよね。ほんとに(笑)。自分ではお告げが生まれるまでって感じですけどね。

――戸川純さん(写真は、『戸川純TWIN VERY BEST COLLECTION』)が、声優として出てたやつですよね。

そうです。そうです。いわゆる、演劇を勉強してきた人間でもないし、なんかセオリーをもってやってきた訳ではなく、自分が体で覚えてきたものが、繰り返しに耐えるように、どうしてもNGを出すというか、違うんだよって言っちゃう。今から考えれば、かなり愚かな話なんですけど。もうちょっと、ロジカルに演出ができたらよかったと思うんですけど。

例えば、角川春樹さんに呼ばれて、いっしょに聴いて、笑うと、「桑原君は、自分で作ったやつ聴いても、笑うんだね。」って言われるのですけど(笑)。やっぱり、聴く環境で、どんどん変わっていくんですよ。笑いは、その人がどういうプロセスで生きてきたかをものすごく反映するし。どういう価値観をもっているかが、出てしまうので。角川さんが、どこで笑うかとか、彼の仲間がどこで笑うかとかが、僕はおかしくてしょうがない訳ですね。

そういうこともひっくるめて、笑っているんですけど。そういう、答えが一個じゃないという事が、図らずも、自分達の中で生まれているです。もの作りの姿勢において、繰り返しに耐える、聴く人によって同じものを笑っているわけではないという事が、芽生えましたね。

――結果的に、『増殖』からスネークマン・ショーのアルバムって、僕なんか何回も聴いても、不思議に飽きないんですよね。他のギャグものって、結構、飽きちゃうんですけど。

それはね、やっぱり、克也さん、伊武ちゃんといった、超人、天才的な表現者と出会えた事も大きかったと思いますし、たぶん、自分の中で、「繰り返しに耐えられるものでなくては、駄目だ。」というのが、『増殖』の辺りでしっかり足枷になったね、それは、また、YMOという存在に対する勘違いかも知れないけれど、負けたくないと言おうか。偉そうな言い方ですけど、全然、負けているんですけど、気持ちだけは持っていたいと言うか。

その後の、三宅裕二さんたちのやっていたスーパー・エキセントリック・シアターなんかは、ジャケットのムードとかは、おしゃれに出来ているんですが、やっぱり全然違うと感じた事がありますね。
——スネークマン・ショーの功績で、ギャグと音楽が結びつく事が一つの分野として確立されましたが、いわゆるスネークマン・ショーのフォロワー的なものは、ご自身で聴かれたりすることはあるのでしょうか?

いや、あんまりしていないですね。

——3人以外にも、特に女性の場合、ストーリー的に必要で登場している方がいますよね。『愛の野球場』の島津冴子さんには、隠れファンの多いみたいですが、最初持っていった時に、「こんなのいやよ。」と嫌がられませんでしたか?

それがね、私はね、過去の記憶がどんどん消えるタイプでね。ほとんど覚えていないんですよ。

——では、どういうご縁で、島津冴子さんとかは参加されたんでしょうか?

普通に考えれば、たぶん、伊武ちゃんが紹介してくれたんではないかと思いますね。ほとんど、女性陣は、伊武ちゃんが紹介してくれましたから。

——で、台本があって、やってみてくださいという感じだったんですか?

伊武ちゃんも連れてくるなりには、それなりのものがあって連れてくると思うんですよ。レコードの時は、オーディションとかやったかもしれないですね。ラジオの時は、もう、制作費もないし。よっぽど、好きじゃないと、みんな安いギャラでやって下さっている訳じゃないですか。おもしろくないと、やってくれないですから。やっぱり、好きな人しか、来なかったと思うんですよ。

——咲坂守、畠山桃内、ジャンキー大山、といった登場する名前は、誰が考えているか、以前から気になっていたんですけど。

ジャンキー大山は、僕がつけたと思いますね。咲坂守、畠山桃内も、その時は、ちゃんとなんか理由があって、そうなったんですが、忘れちゃいましたね。伊武ちゃんは台本をきちんと書かないと、芝居しない人なんで、伊武ちゃんが書いていく横で、言葉で台本を作っていくんですよ。克也さんの方は、わりと瞬発力の人なんで、メモ程度という感じですか。でも、伊武ちゃんの影響もあって、克也さんも、お芝居的な事がおもしろくなられたんじゃないですかね。

それぞれのとんでもない力が、どんどん出てくるといいましょうかね。追い込まれていきますからね。おもしろいものが作れない、番組が放送できない、どうしよう。胃が痛くなってくるんですね。自分は制作責任者ですから必死ですよね。
――おもしろい、おもしろくないという反響はどのように得るのですか?

基本的には、自分の周りの人にテープを配っての反応以外に、手応えは自分達しかないですよね。録音終わったら、伊武ちゃんは、先ず聴かないし、克也さんもたぶんあまり聴いてないでしょ。演技する人ってそうなんですよ。映画でもそうですよね。自分の出た映画は、見ないとか、平気じゃないですか。だから簡単に作ろうとしたら、簡単に作れたかも知れない。余計な事しないで、TBSにも怒られないですんだかもしれないんですよ(笑)。

でもやっぱり、周りの観客というのは、どんどんどんどん、成長しているものを聴かされている訳だから、前おもしろくて、次おもしろくなかったら、おもしろくないって言いますよね。大変なんですよ、だから。細野さんみたいな、周りの人達におもしろいと思って欲しいという気持ちで作っているから、妥協が出来ないというか。そこが、当時のやりがいというか。

――実際、量産されていたのは、ラジオの時ですよね。で、アルバムを作られた時は、ラジオで作られたものを土台として、厳選したという事なんでしょうか?

『戦争反対!』のアルバムまでは、それまで作ったものの中で、自分が納得できるというものを選んだつもりです。たくさん作ったかも知れないけど、自分の中では『戦争反対!』を作るまでのプロセスだと思っていたんですけど…。でも、それは、自分の偉そうな言い方で、克也さんにしても、伊武ちゃんにしても、紹介してないものも、今までに作った大事な作品じゃないですか。

皆さんのお陰で作れたんだけど、自分が責任者でやっていたんで、皆さんは、ふざんけんなと思っていたかもしれないんだけど、納得できないものは出したくないというのがありましたね。

――小林克也さんが、参加しなくなったのは、『南海の秘宝』の辺りですかね。

そうですね、もう、あの辺は番組終了後でしたからね。

――3人が参加していたものは、ラジオからのねたを引っ張ってきたもので、それ以降の伊武さんと2人でやられていたのは、どちらかというと、新しいものなんですかね。

伊武ちゃんとは、なんだかんだで、遊び仲間になっていったんですね。伊武ちゃんとは、年も近かったから、克也さんとは、10歳も違うんで。そういう事も、ありますよね。伊武ちゃんも僕等のカルチャーにとても興味があったので、ファンションのセンスにしても、海外の事にしても、僕等を通して興味をもってくれたというのもあるでしょうし。

第4回『死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!』へと続きます。

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