Close Up!記事「日本のロシア構成主義展」でも紹介したRIKAさんですが、もう少し、彼女の事が知りたいと思って、Googleで「ようこそシネマハウスへ」と「RIKA」と入力して検索。すると、キラキラヒカルというサイトにたどり着きました。『ようこそシネマハウスへ』というPCゲームを作った「さっぽろももこ」というゲーム関係のお仕事をしている人のサイトと判明。

プロフィールには、昔、RIKAと名乗っていたと書いてあるが、ゲーム関係以外の経歴は書かれていない。う~ん、やっぱり関係ないのか。でも、日記を読んでみると、妙にテクノ~ニューウェイヴ臭がかなり強い。で、さっぽろももこさんに「もしかして、RIKAさんですか?」とのメールを送る。すると、ご本人だと判明し、インタヴューをお願いしたところ、快く引き受けて頂きました。

――RIKAさんは、1986年10月にシングル『ファイヴ・シャドウ』でキャニオンからデビューされたんですよね。デビューの約一年前にあった、通称ポプコン、「第30回ポピュラーソングコンテストつま恋本選会」(1985年10月)にて、優秀曲賞を受賞されていますが、それがデビューの足がかりになったのでしょうか? デビューまでの活動(関西で活動されていたんでしょうか?)とその経緯について教えてください。また、第16回世界歌謡祭にも、同月に出場されていますね。

デビュー前は、自宅でひとりMTRにのめりこんでおりました。当時作成したデモテープが巻上公一さんの耳に止まって(ご本人はもう覚えておられないとおもいますが)、「スタジオ録音でデモを作ってみないか」という話になったのです。で、その頃巻上さんの友人にヤマハの関係者の方がいらっしゃったので、ヤマハのスタジオを使わせてもらってるうちに、なんとなくいつの間にかポプコンに…というよくわからん経緯でした。

――いわゆる、ポプコン出身の人たちは、Chage & Aska、あみんといったフォーク~ニューミュージック系が多いのですが、同年のポプコン参加者としては、異端の存在だったのでしょうか? だだ、歴代ポプコン出身者には、1976年グランプリのサンディー・アイ(後にサンディー&ザ・サンセッツ)なんかもいますけど。

さっき言った通り、特にヤマハ系に興味があるわけではなかったので、そこらへんはあんまり…。あ、でもキャニオン時代は谷山浩子さんにはやさしくしていただきました。

――そして、1987年2月にリリースされたのが、優秀曲賞でもあるシングル『雨の中で僕は』ですね。この曲は、『ポプコンメモリアルTHE POPCON』というポプコン出身者を集めたボックスセットにも収録されていますね。ジャケ写が、ファーストよりもニューウェイヴ化しているようですが、ボーイッシュなRIKAさんが歌う「僕」が主人公の歌詞、ちょっとイギリスっぽい哀愁ニューロマ系サウンド。ポプコン時代から歌われていただけあって、思い入れの深い曲なのでしょうか?

失恋の歌なんですが、これはあまり詞に関しては感情的な思い入れはありません。むしろ絵を描くようなかんじで脳内の情景を写し取っただけっていうか…。曲に関してはイギリス~ヨーロッパ系のサウンドがすきなので、どうしてもそうなってしまいます。
――同じ月には、アルバム『ロマンチック』がリリースされますね。これまでのシングルとこのアルバムでは、栗コーダーカルテットの栗原正己さんが共同プロデューサーと編曲者として、参加されていますね。栗原さんとは、どのようなご縁で一緒にされるようになったのでしょうか?

栗原さんも当時ヤマハで仕事をなさっていて、一緒にデモテープを作ったり演奏したりしていただきました。栗原さんの音楽センスもとてもすきだったし、いつも変にかわいい模様の服を着ていらっしゃいました(これは関係ないですね)。まあそんなかんじだったので、アルバムを作ることになった時もお願いしたのです。

――日本のテクノ~ニューウェイヴの隠れた名盤とよべる『ロマンチック』ですが、ムーンライダーズの名盤『マニア・マニエラ』にも地続きな感じの『地下水道を走れ!』、ニューウェイヴ化したビートルズの『オクトパス・ガーデン』と言いたくなる『東京オクトパス』、あがた森魚さんの妹分としての『海百合の庭園で』と、ポップマニアには堪えられない濃い内容です。(比喩が的外れだったらお許しを)これを聴いていると、「この人、同じような音楽を聴いていたに違いない。」妙な確信が沸きます。自ら、「80年代ニューウェイヴ残党」と称されるRIKAさんとテクノ~ニューウェイヴの出会いについて教えてください。

ヒカシュー、ゲルニカ、プラスチックスなどが流行った時代。なんかこうよくわからんけど、うわーこれだ!(笑)とおもいました。で、Virgin VSを追っかけたりしてたわけです。そして自分でも機材を買い込み、多重録音に没頭しました。単音シンセ(SH-2)とリズムボックス(DR.リズム)がお友達。毎日ピコピコしていました。手弾きですから音がズレるんです。でも気にしない。手工芸テクノだから。洋楽もいろいろ聴きましたけれど、トータルアルバムとしてはやはりバグルズの『プラスチックの中の未来』の衝撃が大きかったです。これはねえ。いいですよね。

【激しく同意!】

――1987年6月には、ムーンライダーズのかしぶち哲郎さんを編曲者に迎えて、シングル『アルファベット』をリリースされましたが、さりげなく裏ムーンライダーズ的マニアックな作品ですね。かしぶちさんとは、どのようなご縁だったのでしょうか?

わたしも当時のディレクター氏もムーンライダーズのファンだったという単純な理由からアレンジをお願いしました。わたしは特にかしぶちさんの『リラのホテル』というアルバムがすきだったのです。微妙に歪んだシャイなロマンチシズムが心地よいので。
――1988年2月、最後の正式リリースとなってしまったシングル『ようこそシネマハウスへ』。僕が最初に見つけたRIKAさんの音源です。中古屋さんで、シングルを漁っていると、目に止まったロシア構成主義的ジャケ。これは、何かあるに違いないと、クレジットを見ると、かしぶちさんが編曲で参加。聴いてみると、アート・オブ・ノイズ(+バグルズ)な『シュガー・ベイビー・ラブ』(ザ・ルベッツ)と言いたくなる素晴らしい曲。完全にやられました。ジャケのアートワークに関しては、RIKAさんの意向があったのでしょうか?

ジャケについては文句が多い音楽屋でした。実はファーストシングルのデザインがニューミュージック風でイマイチ気に入らなかったので、ダダをこねて『雨の中で~』以降はデザイナーさんを変えてもらったのです。おかげでそれ以後のものは自分でも気に入った仕上がりになっています。『ようこそ~』のジャケもミーティングに参加させていただきました。わたしも含めて当時のスタッフもみんなロシア構成主義っぽいデザインがすきだったのでああいう感じに。曲に合わせて色使いはポップな雰囲気になってますけど。

――また、このコンセプトは、RIKAさん自身が企画したPCゲーム『ようこそシネマハウスへ』として商品化されたとのことですが、「映画館」に対する深い思い入れがあるのでしょうか?

映画館そのものというより、プラネタリウム、水族館、秘宝館…箱庭的な世界ならなんでもすきなんですけどね。まあ、こういうのって80年代ニューウェイヴ風のベタな嗜好かもしれませんが(笑)。でも特に映画館は「閉ざされた空間の中で、人々が外の世界とはまるで関係のないひとつの架空の物語を見つめている」という状況が浮き彫りにされているわけで。そういう部分がなんかグッとくるのです。非論理的な説明でスミマセン。

――メトロファルスのライオン・メリーさんと作られた幻のFM TOWNS用CD-ROM『ドラゴン・ショック』(1989年)が、RIKA名義の最後の音源となるんですよね。メリーさんとライヴでの共演もされていたと、ライヴを見た友達が言っていました。しかしながら、作詞・作曲にも長けたシンガーとして活動休止をされた理由は?

活動休止には特に理由はないです。平たく言えば「疲れたから」ということでしょうか。メリーさんをはじめとして、当時の関係者の皆様には連絡もせず音信不通になってしまい失礼しました。ごめんなさい。

――最後に、月並みですが、RIKAさんが現在気に入っている活動中のアーティストまたは曲(日本、海外を問わず)ありましたら、教えてください。

月並みですが、たくさんありすぎてとても書ききれません。演歌から洋楽まで何でも聴いています。もちろんいまだにピコピコしたのも聴いています。ま、三つ子の魂百までということで。

【ご協力ありがとうございました】

インタヴュー終わりです。最後まで読んでいただきありがとうございます。もっとRIKAさんのことを知りたい貴方に、きじまさんによるモノノフォンというサイトにある「RIKAのレコード」を読む事をお勧めします。「ミンカパノピカと北摂テクノポップ」も併読してください。
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