ニューロマ(ニュー・ロマンティックスの略称)はロンドンのクラブ・シーンから始まりエレクトロでポップなダンスビートとグラムロックに由来する派手なファッションが結び付き、MTVの視覚的なメディアを通じてブレイクしました。第2次ブリティッシュ・インヴェージョンの原動力となりました。別名フューチャリスト(どちらかと言えば、プレイク前のアンダーグラウンド的意味合いが強い)とも呼ばれイギリスでは、フューチャリスト・チャートというのも存在しました。

ニューロマの代表的なバンドとしては、Japan(グラムとニューロマの橋渡し的存在)、Duran Duran、Kajagoogoo(Duran Duranの弟分的存在)、Visage、Ultravox、初期Talk Talk、Spaudau Ballet(ニューロマ界のAOR)、A Flock Of Seagulls(ニューロマ界のあだ花)、Culture Club、Adam And The Ants等。お化粧、中世ヨーロッパ風フリルのついたシャツ、等グラマラスなファッションがポイント。一部の例外(具体例:A Flock Of SeagullsやClassix Neauvoux)はありますが、美形(具体例:Zaine Griff、David Sylvian、John Taylor)であることも重要です。

日本では、YMOはもとより、教授も清志郎と一緒に『いけないルージュマジック』でお化粧していたのは、有名ですね。高橋幸宏も、アルバム『Neuromantic(ロマン神経症)』をリリース。後忘れてはいけないのが、土屋昌巳の一風堂。歌謡界では、沢田研二もニューロマ化していました。『晴れのちBLUE BOY』は、Adam & The Ants的ニューロマ歌謡。

さて、話をロンドンに戻します。Blizというクラブはニューロマのメッカと崇められた場所です。パントマイマーがメンバーにいるニューロマ系バンドである、Shock(<左写真>サウンドの要としてLandscapeのRichard Burgessが在籍)とTik&Tok(Survivalレーベル)に在籍したTim Dry氏にニューロマについて以前に聞いた話を要約します。
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Blitzシーンはロンドンで79~80年に初期のDavid Bowie、Roxy Music、Kraftwerk等をプレイしたクラブをやっていたRusty Eganによって始められた。一般のクラブでやっていたものとは異色の音楽をプレイしていた事から、少しづつだがこのクラブは人気を獲ていった。Rustyは自称Steve Strange(テレタビーズを万引きして御用…トホホ~筆者コメント)を見いだし、普通でないグラマラスな格好をしていた人だけをクラブに入れるドアマン(今で言う黒服ですね)にした。

約1年後、クラブにとても人気が出てきた(人々はたとえ一日であっても、平凡で退屈な毎日の生活から抜け出す必要があった!)ために大きなクラブを見つけなくてはいけなくなった。新しいクラブはBlitzと呼ばれるCovent Gardenのワイン・バーであった。クローク・ルームで働いていた(クラブに入る際お客のコートの面倒を見るお仕事)美しい女の子のような若者、彼こそはBoy Georgeであった。

僕たちの衣装を全て作っていたニューロマ系ファッション・デザイナーのJane Kahnは、Duran DuranのSimon Le Bonの恋人でした。とても小さなシーンで、かつロンドンだけであったため、そのころは皆が皆を知っていた。ShockはUltravox、後にSpaudau Balletとなる少年たちと共にBlitzでこんな人たちの前で演奏をしていた。

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その後、ニューロマはフューチャリストというより美形アイドル的側面が強くなっていきます。本国の人はほとんど知らないG.I. Orangeは、日本向けニューロマ的アイドルでしょう。こうして、ニューロマは80年代に栄枯盛衰の歴史を作りました。90年中盤に英国の業界でRomoというニューロマのリバイバルが企てられるが、見事に外れました。

日本でもテイ・トウワが96年にKOJI 1200の名のもとに今田耕司に『ナウ・ロマンティック』を歌わせていました。フリルのシャツ着ていましたね。ニューロマは外見的には日本のヴィジュアル系のルーツ的存在と言えるかもしれませんが、音楽的にニューロマを正しく継承しているバンドはあまり無いのでは(反論されそう)?
イギリスのバーミンガム出身のDuran Duranは、その黄金期においてSimon Le Bon, Nick Rhodes, John Taylor, Andy Taylor, Roger Taylorの5人組。 ギターポップ・ファンにも人気のあるLilac TimeのStephen Duffy(『Kiss Me』はエレポップな名曲)もブレイク前のDuran Duranに在籍していました。Duran Duranファンの事を海外ではDuranniesと言います。

洋楽雑誌『MUSIC LIFE』でも、Duran Duranのメンバーは、Japanの6回を超える計8回(Duran Duran:4回、John:2回、The Power Station:1回、Nick、Roger&Simon:1回)表紙を飾っています。Johnは一番人気ですね。

『Girls On Film(グラビアの美少女)』がイギリスでトップ10入りし、人気が上昇していきます。ニューロマ全体に言えますが、MTVの浸透に伴うプロモ・ビデオ戦略が、その人気に拍車をかけていきます。元10ccのGodley & Cremeがプロデュースした『Girls On Film』のプロモ・ビデオは、“大人”のためのビデオ・クリップとして必見です。

1985年にはサイド・プロジェクトとして、JohnとAndyはスーツの似合うソウルフル伊達男Robert Palmer、ChicのTony Thompson(ちょっとドラムがうるさい)とThe Power Station(発電所、ということは、Kraftwerk?)ととして活動。同年、残りの3人はArcadiaとして活動。その後、AndyとRogerの脱退し、1989年には元Missing PersonsのWarren CuccurulloとSterling Campbell(1991年に脱退)が正式メンバーとして加入しました。

Andyのソロも酷評され、ピークを過ぎたと思われたDuran Duranですが、1993年の『Duran Duran~The Wedding Album』では、シングル『Ordinary World』の大ヒット共に見事カムバックを果たします。しかし、1996年には一番人気のJohnが脱退し、Simon、Nick、Warrenの3人となってしまいました。

今回の来日は、この3人なのですが、duranduran.comによりますと、来日後オリジナルの5人でのリユニオンしレコーディングに入る事が発表されています。それなら、五人で来てくれと言いたいですが、楽しみに残しておきましょう。NickとJohnは、仲直りしたのでしょうか?

POP TRASH JAPAN TOUR 2001

6月17日(日) 東京~国際フォーラム
6月19日(火) 東京~渋谷AX
6月22日(金) 神戸~神戸国際会館

しかし、Warrenはどうなるんだ?LA発Zappa系エレポップ・バンド、Missing Personsも再結成のために出戻るそうです。元プレイボーイ・バーニーちゃんだったDale Bozzio姉御は、大丈夫なんだろうか?ちょっと心配。Deborah Harryも頑張ってたし、ファイト!
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