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ニッカン「PRIDE消滅」記事の波紋(6)(3ページ目)

ついに一般スポーツ新聞までが「PRIDE消滅」を語りだした。ニッカン紙上に掲載された問題の記事を軸に、10月改編でも復活が無かったPRIDEの現状と周辺事情を検証。

執筆者:井田 英登


PRIDEの十年間が生んだ“功と罪”“光と影”

ここまでの原稿は、10月4日のPRIDEの事務所閉鎖という突発的な事件が発生する以前の、9月末に書いたものである。

そして、ここからは、X-DAY=2007年10月4日当日深夜に書いた僕の極々個人的な感想である。蛇足の感もあるので、隠しページ的にそっと全編のあとに差し込ませていただく事にした。特にここを読まなければ、意味が通じなくなる事も無いし、新しい情報は何一つ無い。

ただここまで読んでいただいた読者の中で、さらにPRIDEが無くなった後の格闘技の世界に、まだ少しでも興味を持ってくださるファンの方々にむけて、同じ志を持つ仲間へのメッセージとして書いた。

僕自身、PRIDEと並走した十年の一区切りとして書かずにはいられなかった一文でもある。もし良ければもう少しだけおつきあいください。




“いずれは”という予感こそあったものの、あまりのアップテンポ事態の展開に、僕自身驚き未だに戸惑いが隠せない。そのことは、ファンの皆さんも同じだろうと思う。

ただ、僕自身は、PRIDEの運営が順風満帆そのものだった時代からその在り方に疑問符を感じて、何度も異議申し立ての記事を執筆してきた。したがって、“消滅”という事態自体には、あまり驚きは無い。このタイミングで、この手際で事が進んだ事だけが驚きであった。ーーこの状態は絶対どこかでパンクするし、いつかは終わる。そういう認識は、実のところ昨年の週刊現代の事件が勃発する遥か以前から持っていたし、Boutreviewのスタッフたちに“その後の冬の時代のために、シェルターを作るつもりで居てくれ”という方針を伝えていたほどである。(そういえばこんな挑発的な文章を書いた事もあったっけ…)

そもそもPRIDEの成立は、「他団体の育てたトップ選手を引き抜いてぶつけ合う」という“焼き畑農業的”手法で始まったものである。彼らが売り物にした“夢の越境対決”というのは、逆に言えば、UFCや修斗、リングス、パンクラスなどの団体が“垣根を作って”その中で大事に育んで来たそれぞれの選手、秩序、哲学といった価値観をも根こそぎ押し倒す行為でもある。

“オールスター戦”といえば聞こえは良いが、結局、中小のイベントが無名時代に発掘し、チャンスを与え、育ててきた“団体の宝”を横から収奪し、金で選手の思想や哲学自体も丸ごと買い上げる、乱暴な手法によってしか成立しないからだ。正当な招集方法とシステムで運営されている、サッカーの日本代表ですら、Jリーグの人気を横取りしてしまい、個々のチームの収益構造をがたがたにしてしまっているのである。まして、一方的な収奪でしかない格闘技界でのそれは、PRIDEの開始以前に多くの団体が作り上げてきた、“住み分け”や“共存”の生態系をボロボロにするだけのことである。事実、RINGSのように選手を吸い上げられて潰れる団体もあったし、そこまで行かないにしても、収益を悪化させ経営が傾く団体も多く、業界には悪影響が沢山生じている。

そのギャング的手法の無茶苦茶さに僕らはもっと神経質になるべきであったのではないかと、今PRIDEの十年間を思い返すにつけ、苦い思いが胸を満たす。

確かにファンにとって、それぞれの団体のエース級選手がぶつかり合う「天下一武道会」形式のオールスター戦は、夢以外のなにものでもなかった。しかし、異種混交は“禁断の果実”である。純化方向で研ぎすまされて行ったはずの価値観、それぞれの団体が守ってきたもの、作り上げようとした歴史は、エース選手一人の敗北で、ことごとく否定されてしまう。

『不自由な団体の垣根など押し倒してしまえ』

それは確かに時代の声でもあった。総合格闘技というスポーツ自体、これまで立ち技と寝技に分かれて成立してきた“純競技”のルールの壁を取り払った所に生じた、新しい風景だったのだから。

だが、多くの文化混交は、熱狂の果てに焼け野原を現出させる。戦争も、そして文明の流入も、“古き良き時代”を押しつぶし、かき混ぜ、破壊し尽くしてしまう。

PRIDEというのは結局、固定化した格闘技ジャンルの壁をぶっこわし、既成概念をひっくり返す“混沌の使徒”だったのではないか、と思う。そして
その終焉が、まるで嵐が去った後のようにあっけなかったのも、PRIDE自身実体を持たない、ある種の“状態”でしかなかったからかなと、今にして気がついた。

確かに、“夢の舞台”は多くの奇跡のような名勝負を産み、熱狂を残して行ってくれた。ただ、僕らは24時間365日カーニバルの中に暮らす事はできないのだ。
祭りは終わった。
破壊と収奪の時期もまた終わりを告げたと考えるべきではないか。


格闘技を愛するファンたち、そして関係者の皆様に、今こそ言いたい事がある。

もう一度あの狂乱に戻る事は止めませんかと。

確かにプロ格闘技のイベントは祝祭である。血を燃やし、あり得ない光景の現出に興奮する行為だ。熱狂し陶酔すればいいじゃないか、なぜ踊らずに先の事ばかり考えて憂鬱な顔をしているのだ? ーーこの十年僕はPRIDEと向かい合うたびに、そう問いかけられ続けてきた気がする。

だが、その蕩尽行為は長い長い生産の末にあってこそ、エネルギーとなるものでもあるのだ。秋の収穫祭が、四季の中地道に続けられた農作業の後のご褒美であるように。

確かに、僕らは熱狂の日々を過ごした。
その司祭を勤めたPRIDEという場自体には、素直に感謝の言葉を捧げよう。

しかし、これから来るのは冬の時代である。
厳冬と戦い、新たな播種の季節を迎えるために、僕らはこれから足元を見つめ、生産のサイクルに戻って行くべきなのではないかと思うのである。

先月、All Aboutでは格闘技通信の新編集長朝岡氏のインタビューをお届けした。彼の打ち出したリニューアル方針は、華やかなニュース主義を捨てて、技術を理解し、地道に格闘技を好きになってくれる読者を育てて行きたいというものだった。彼の打ち出した「地味な原点への揺り返し」こそ、“After PRIDE”の正しい着地点の一つではないかと思うのだ。

そんなことを言っていても、多くのプロモーターは、PRIDE消滅を受けて、“夢よ、もう一度”と空白になった市場制圧を目論むだろう。

だが、そんなに世の中もファンも甘くはないと僕は思っている。
PRIDEは不自然な資金力で、強引に作り上げたイリュージョンに過ぎない。あのゴージャスすぎるラインナップは、興奮も生んだが、また同時に満腹の膨満感をファンに植え付けたのも事実だ。もうあれ以下のラインナップで、観客がリングサイド席十万円という狂った価格のチケットを買う事は無いだろう。

地上波放送の門戸も極端に狭くなった。
格闘技的には全盛期のPRIDEに匹敵する程の面白さ、いや下手すれば凌駕してもおかしくないと思えた先日10月3日のK-1 MAX決勝戦ですら、11%前後の視聴率しか稼げなかったと聞く。

もう確実に時代は冷えてきているのだ。

それでも格闘技を愛し、このスポーツを愛する事が出来る人だけがこのフィールドに残れば良い。もうバブルは当分結構。

みなそれぞれのフィールドに戻って、冬の準備をしよう。
足下を見つめ、もう一度自分たちの原点にもどって、作り出す行為に戻ろう。

団体の垣根を立て直し、その内側で着実に育つ若い芽を育むべき時が来たのだ。それでいいと思う。そうでなければならないとも思う。

さらばPRIDE、さらば格闘技バブル。
そして、ようこそ冬の時代。
それでも僕はこのフィールド、このスポーツをまだ愛している。
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