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至近距離から見た、幻のUFC王者流転の一年 「ジョシュ君のこと(3)」

史上最年少のUFC王者の栄光をドーピング疑惑で奪われ、未経験のプロレス界に身を投じたジョシュ・バーネット。はからずも僕の至近距離で繰り広げられた、知られざる一年間の苦闘の記録。いよいよ終局へ。

執筆者:井田 英登




「リアルファイト・ファースト」
それが僕らの当時の合言葉だった。

職探しに夏の東京に現れたジョシュに、僕は最初にこう言い聞かせた。

「君がプロレスのことを良く知っていて、凄く愛しているのも知ってる。でも今日本のマットでは、プロレスラーの商品価値は決して高くない。確かに人気だけなら、プロレスラーの方があるように見える。彼らの試合はTVでもしょっちゅう放映されていて知名度も高いからだ。でも、ギャランティーは逆だ。ワンマッチで強さを争うリアルファイターのほうが高いギャランティーと尊敬を手にしている。高山はプロレスラーだけど、その評価を高くしたのは、PRIDEでのドン・フライ戦だっただろ。わかるね? 彼の商法も結局“リアルファイト・ファースト”なんだよ。そして、その結果を持ってプロレスに帰ったことで、自分の商品価値を高くしたんだ。リアルファイトでまず名をあげる、それが日本で君を一番高く売る方法だと思う。もしプロレスをやりたいなら、その後ほうがいい」

そうたどたどしい英語でまくしたてる僕に、ジョシュはニヤリとわらって親指を立ててみせた。
「OK。リアルファイト・ファースト。プロレスリング・イズ・セカンド。イダサン」

の当時の最大の標的が、DEEPだったことは前回に書いた。

そう仕向けたのは、他ならぬ僕自身だった。6月に入ってジョシュが王座剥奪されたというニュースを聞いた直後、僕は矢も盾もたまらなくなって、彼にこんなのメールを書いたのである。

「半年アメリカで闘えないなら、いっそ日本へ来たらどうだろう? 研究熱心な君なら知っていると思うけど、日本にはPRIDEの他にも、DEEPと言う団体がある。そこのプレジデント(代表)に聞いてあげようか? きっと君を歓迎してくれるはずだと思うんだが」と

決して筆まめとは言えないジョシュだが、このときの返事は早かった。
「8月にボブのセコンドとしてまた日本に行くんだ。その時にPRIDEやその他の団体と話をしてみようと思う。DEEPにももちろん興味がある、そう代表に伝えてくれないか」。

確かにPRIDEというのはジョシュにとって日本デビューの最高の舞台となるはずだった。しかし、それを実現するには、一つ大きな障害が存在する。それはジョシュが、ネバダ・アスレチックコミッションからサスペンド(試合出場停止処分)を宣告された身であるということだった。ネバダのコミッションから興行ライセンスを受けているPRIDEは、当然その決定に逆らうことはできない。たとえ日本での興行であっても、7月からの半年間彼をリングに上げることは出来ないのである。彼はその事情を十分理解していないのか、PRIDEとの交渉に希望を持っているようだった。

だが、活動が日本ローカルにとどまっているDEEPならば、ネバダ州の決定に一切支配されずにジョシュをリングに上げることが出来る。

当時、まだ財源が潤沢で、9月には有明コロシアムという一万人単位の大バコでの興行を構えようとしていたDEEPは、ジョシュにとって最高の受け入れ場所になってくれるはずだった。田村、高阪、美濃輪、三島といった綺羅星のようなスターを並べることのできる今のDEEPのリングなら、ジョシュが上がる舞台としてはなんら遜色はない。それまでの6回の大会でいずれも興行的に苦戦を強いられたDEEPだが、元UFC王者のジョシュがレギュラーで登場し、牽引車となれば、一気にPRIDEのライバル団体の地位まで浮上する可能性もあると、僕は考えたのである。

[新日本プロレス]「WRESTLING WORLD 2003」

 2003年1月4日(土)
 東京ドーム



 
 第11試合 IWGP選手権試合
 ○永田裕志
 ×ジョシュ・バーネット
 10分40秒 片エビ固め



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