後藤 純一

ゲイライター/ドラァグクイーン。パレードやHIVなどのコミュニティ活動も。

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掲載日: 2005年 06月 14日

歴史の授業で習えなかった同性愛 ストーンウォール・インの客

文章:歌川 泰司(All About「同性愛」旧ガイド)

 

ども!

いつもならば歴史を彩る有名人たちを「このヒトもゲイ(ビアン)で〜す」ぐらいにあげつらう本コーナーでありますが、今回は趣を変えて、まったく無名の人々がゲイ&レズビアンの歴史を大きく変えたエピソードをご紹介します(ご紹介っても、有名なんだけど)

1969年のニューヨーク。
度重なるゲイバー(当時は恋人や友達を作る場所はバーぐらいしかなかった)への嫌がらせのような取り締まりに、ゲイ&レズビアンの怒りが爆発。それまでクロゼットな生活を送っていた彼らが集まり、敢然と圧力に立ち向かったのでありました。

この事件は、事件が起きた店の名前に因んで「ストーンウォール・イン事件」と呼ばれ、ゲイ・リベレーション的にはビッグバン級の大事件。「知ってら〜い、バーロー」とお思いの御仁もいらっしゃいましょうが、今年はパレードも復活することですし、

ぐらいのノリで書きますんで、あったかい目で見ておくんなまし☆

 

 

NYのゲイたちのほとんどがクロゼットだった時代

さて、ストーンウォール・イン事件が起きた1969年NYのゲイ&レズビアンの状況はというと。。。

1965年、ニューヨークでは「ソドミー法」と呼ばれる同性愛行為に対する刑事犯罪法が制定されました。その中には「異常な性交は軽犯罪である」「異常な性交とは結婚していない者同士がペニスとアヌス、口とペニス、あるいは口と外陰部とを接触させる性行為を意味する」という条文が(イギリスでは2年前の1967年、ドイツでは前年の1968年に、やっと違法ではなくなった)
1969年は、ジョンとヨーコが結婚した年でアリマス〜。

 

周囲の人々にゲイだということがバレたら、まさに致命的。仕事をクビにされるのもアタリマエ、アパートを追い出されるのもアタリマエ、法律はな〜んにも守っちゃくれません。そもそも、同性愛が「精神異常(当時の呼び名)リスト」からはずされたのは70年代に入ってからのこと。ゲイやレズビアンは病気扱いだったんです。

こんな状況では、出会い・愛し合い・一緒に生きていく・・・なんてこと自体が、まさに綱渡りの連続であります。自由の国アメリカといえども、ゲイ&レズビアンに対する弾圧は、けっこう強かった。さまざまな人がゲイだということがバレただけで、社会的地位を失い、 人生を棒に振る時代だったのでアリマス(州によってはいまだに同性愛は違法)

「ウェストサイド物語」を考えついたJ・ロビンズ&S・ソンドハイムもゲイ、50年代の「抱かれたい男No.1」ロック・ハドソンもゲイ、「ティファニーで朝食を」を書いたカポーティもゲイ、いろいろな分野でゲイたちは才能を開花させていましたが、生前はゲイであることはひた隠し(バレバレ君もいたらしいが)

 

時代はちょっくら前になりますが、「マイフェアレディ」の監督として知られるジョージ・キューカー監督(ゲイだったそうです)

有名な大作「風と共に去りぬ」のメガホンをとっていたのは彼だったのだけれど、主演・クラーク・ゲーブルとのゲイフォビックなモメごと(クラークが喰われノンケだった時代を知っているジョージが疎まれた)が原因でゲイであることを告発(!)され、監督を降ろされちゃったんだって。ゲイ疑惑を払拭して監督に復帰するのが、そりゃもう大変だったみたいッス。20世紀前半のアメリカ・ゲイたちは、苦労してたんだねぇ。。

 

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