掲載日: 2004年 06月 20日
「わしは男狂いじゃ」徳川家光はネコだった? 歴史の授業で習えなかった同性愛
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前回の「歴史の授業で習えなかった同性愛」では、近世ニッポンの男色関連のコラムをお送りいたしました。そしたらば、現在のところGoogle検索では「男色+歴史」「同性愛+歴史」などのキィワードで検索すると、このサイトがけっこう上の方にきてしまうようになったのでヤンス。 その結果、日本史好きのゲイ&ノンケから「論客メール」や「質問メール」がドバときてしまい、真っ青状態の歌川。
確かに上記のことは、一般的に定説となっているコトではあります。しかし、歌川はあえて「ちがわーい」と言ってしまいます(日本史の専門家じゃありませんが)。
例を挙げると、1671年に酒井家の江戸屋敷で、狼藉者を小姓(稚児)が一閃で斬り殺した記録が残っています。相当腕っぷしの強い少年だったのではないでしょうか。同様の記録はアチコチにあるのです。稚児って、オトコらしかったんですよ☆(注:「男色は単なる女性の代用ではない」ってことを言いたいのであって、女性的な男性を蔑視するキモチはゼンゼンありません)
「宗教的な戒律を背景とした当時の美学」や「女性の代用」として男色行為をしていたと捉えるのが正解にあたるような人だけではなく、ホンキで恋しちゃうヤツ・たくましい成人男性に恋したりするヤツもけっこういたと考える方が自然なんじゃないかと、歌川には思えるのでありました。しかも、前者と後者はハッキリ分けられるカンジじゃなくて、グラデーションしていたんじゃないでしょうかねェ。
それにしても、論客となってメールを下さった方々の「現代のホモと一緒にすんなッ」とムキになって言ってしまう姿勢に、ちらちらゲイフォビア感情が見え隠れしていて、すんげーイヤなカンジ! その人が生きていた社会がどんな社会でも、相手が少年でも成人でも異性であっても、その相手が好きならば、それは「恋」でいいんじゃないでしょうか。「こういう社会背景だから、オレはオマエが好きなんだ」と思う人なんて、いないわけです。
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