ファイナンシャル・プランナー、FP、AFP…
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FPの原点~私がファイナンシャル・プランナーになった理由~学校では家計管理は教えてくれない。教えられるとすればFPです

ファイナンシャル・プランナー(FP)として活躍中の人たちは、どんなきっかけで、なぜFPをめざしたのでしょうか。また、FPの仕事のどこにやりがいを感じているのでしょうか。家計相談の老舗として知られる「家計の見直し相談センター」代表で、メディアなどでもひっぱりだこの藤川太さんにインタビューしました。
取材・文:大山弘子 撮影:湯浅立志

経済や家計の知識がないために損をしていることも

FPになる前は自動車会社で燃料電池車の研究開発をしていました。子どもの頃から研究職につくことが夢でしたし、“環境自動車”を作る仕事にやりがいを感じていました。その一方で、会社内で研究職のポジションが不明瞭なことに疑問や不満を感じるようにもなっていました。もともと、いずれは独立したいと考えていたこともあり、1997年1月に退職して、独立することを決めました。

もちろん、その後の生活への不安もありました。妻も独立することには反対はしませんでしたが、やはり不安を感じていたのでしょう。ある時、家に帰るとテーブルの上に「家計の見直し」を特集した雑誌が乗っていました。読んでみると、まさに自分が不安に感じているとおりのことが書かれている。何も知らないことでどれだけ損をしているか…。家計を見直す必要性を強く感じました。それと同時に「ファイナンシャル・プランナー」という言葉に興味を持ったんです。

その頃は日本でインターネットが普及する前でしたから調べるには手間がかかりましたが、「日本ファイナンシャル・プランナーズ協会(日本FP協会)」という団体があることがわかり、さっそく協会に連絡して、FP資格にはAFP資格やCFP®資格があることや、FP講座があることを教えてもらいました。とはいえ、あれこれやるには20数万円の受講料がかかる。妻に相談すると、家計をやりくりして貯めていた預金通帳を取り出して「これで学校に通って」と言ってくれました。

当時はまだ、FPを職業にすることは考えていませんでした。経済や家計について体系的に学びたい、その知識を独立後の生活に活かしたいと思っていた程度です。ところが講座に参加してみると、自分の知らない、でも、自分自身の役に立つことばかり。それどころか、「この知識を知らないでいることが、どんなに恐ろしいことなのか」を思い知り、目から鱗が何枚もはがれ落ちる思いをしたのです。

藤川太さん 「家計の見直し相談センター」代表、CFP®認定者、宅地建物取引士慶應義塾大学大学院理工学研究科修了後、自動車会社で燃料電池自動車の研究開発に従事。1997年、AFP資格取得。1998年、CFP®資格取得し、ファイナンシャル・プランナーとして独立。海外に比べて金融取引環境が遅れていることに驚き、日本に個人相談を普及させることを目指して、2001年に「家計の見直し相談センター」を設立。同センターでは設立依頼今日までに2万世帯を超える家計の問題を解決している。

FPを仕事にして世の中の役に立ちたい

我が家の家計を見直せたことも大きかったと思います。講座で学んだことをもとに見直しプランを作成したところ、生命保険料を中心に多くのお金が浮いて、一生涯で1,500万円もの支出を削減できることがわかりました。そのときは、うれしかったし、感動しましたね。同時に、「世の中には家計の見直しを必要としている人がたくさんいるに違いない。これを自分の仕事にして、世の中の役に立ちたい」と思うようになりました。

そこで、FP講座の講師の方々のなかでも、特に生き生きと楽しそうにお話をされていた小野瑛子さん(元「家計の見直し相談センター」代表)に「弟子にしてください」とお願いしました。小野さんからは「徒弟制度」を始めることを知らされました。 徒弟制度の募集要項には「給与ゼロ、交通費は支給」と書かれていました。勉強をさせてもらうのですから、はなから給料をもらおうとは思っていません(実際にはきちんとお給料はいただきました)。早速応募したところ、2名の募集に対して12名の応募がありました。幸い合格し、1998年にFPとしての人生を歩み始めました。その4月にはCFP®資格にも合格できました。
FP実務の修行は初めて体験する出来事や仕事ばかりで、戸惑うことも多々ありましたが、10月に徒弟期間が終了し、独立することになったんです。

独立するにあたり、当時所属していた会社をマネジメント・バイアウトし、社長に就任しました。でも、仕事は何もありません。ただ「チャンスを活かす」ことの大切さは知っていました。それは、師匠である小野瑛子さんの教えもありますが、仕事がない時期に有名な作曲家の先生の運転手をさせてもらうことを通して、一流の演奏家が演奏の録音をする機会に何度か立ち会ったという経験からくるものでした。

プロのスタジオミュージシャンは、初見の楽譜を1~2回さらっただけで、すぐに演奏することができる。ところが、なかにはそれができない人もいる。私にはわからないレベルなのですが、「あの人はダメだな」という評価になってしまった人には、二度とスタジオで会うことはありませんでした。非常に厳しいプロの世界を目の当たりにして、チャンスをつかむことの大切さと大変さを身をもって知ることができたのです。

誰も相談業務をやっていないなら、チャンスじゃないか

独立当時は、厚生老齢年金の支給年齢を65歳まで引き上げる法案が国会に提出され話題になっていた時期です。支給開始年齢が引き上げられた場合、家計にどんな影響が出るのかが心配されていました。私は理系出身ですから計算は得意です。新聞に、制度変更による年金額と家計への影響を試算し取材協力したところ、大きな反響がありました。専門誌に寄稿した「付加保険料(保険会社が事業を営むために必要な経費として、生命保険加入者が支払う保険料)」を試算した記事も多くの評価をいただきました。その結果、「計算ができるFP」として注目され、執筆や講演の依頼が次々と舞い込むようになったんです。

仕事が増え、食べていけるようになったものの、悩みもありました。そもそも私がFPになったのは、相談業務をやりたかったからです。私自身が家計を見直すことで苦境を脱出できた経験から、私のように困っている人の力になりたい。ところが、FPの先輩方に相談したところ、多くの方が「相談業務は儲からない。やめたほうがいい」と言うのです。

あきらめかけたこともありましたが、ふと気づきました。研究職は誰もやっていないことを研究するのが仕事だ。誰も相談業務をやっていないならチャンスじゃないか。でも、選考事例がなければどう仕事を進めればいいのかもわからない。そこで、すでにFPがビジネスとして成り立っていたアメリカやオーストラリアのFPビジネスの情報収集を始めました。

消費者のために保険の比較を実施

検討した結果、オーストラリアのモデルを参考にすることを決め、現地のFPの方にも協力いただき3年かけて利用規約からコンプライアンス資料、質問票、相談票などを手探りで作りあげていきました。当時の日本には、基準となるものが何もなかったからです。

2001年1月には「家計の見直し相談センター」の看板を掲げ、相談業務を始めることができました。ただ、ファイナンシャル・プランナーという名称は、あえて前面に出しませんでした。FPという職業が世間一般には知られていなかったからです。そこで「家計の見直し」が、当社の仕事であることを伝えようと考えました。「相談員」という言葉を使い、相談員がFPであることをわかるようにしたのです。

相談を始めるにあたって困ったのが、生命保険の比較でした。オーストラリアでは、生命保険に加入したり見直したりする際には、ブローカーが各社の保障内容や手数料に関する情報を比較することが当たり前どころか、比較しなければ違反となります。また、違反した場合の罰則規定すらありました。日本では逆に比較をしたら罰せられるという時代でした。我々は「消費者のためには比較は当然だ」と考えていました。雑誌等で保障内容の比較をするだけでも、各所からバッシングを受けました。それでも、状況は少しずつ改善していきました。2003年に雑誌や書籍で展開した「家計見直し計画」という企画では、保険会社すべてが情報を提供してくれました。そのときは本当に感動しましたね。

「相談したことで光が見えた」と感謝される

会社設立から今日まで2万件以上の相談をしてきました。印象に残っているのは、離婚寸前の状態でお見えになったご夫婦です。 ご主人は多重債務状態、自己破産寸前でした。お金で苦しくなると夫婦仲も悪くなる傾向があります。しかもご主人には当事者意識がありません。奥様が「離婚」を口にしたときに、初めてご主人はご自分の置かれている状況を理解したようでした。私はキャッシュフローを作成し、相当生活を切り詰める覚悟があるなら5年で家計が立ち直るであろう、というプランを提示しました。立ち直って欲しいとは思うものの、8割がたは難しいのではないか…と思いながら、です。それを見た奥様は「あなたにこれをやる覚悟があるなら、やり直してもいい」と言い、お二人は帰って行かれました。


3年後、そのご夫婦がニコニコしながらお見えになったのです。5年かかる立て直しのプランを3年で実行し、借金を全額返済したどころか、マンションまで購入されていました。ご夫婦は「当時はまるで希望が見えなかったけれど、相談したことで光が見えた。なんとかなる方法があることがわかった。おかげで頑張ることができた」と言うのです。これを聞いたときには涙が出ました。FPになって良かったと、心の底から思いましたね。

FPにはお客様の人生を背負う気概と責任感が必要

私がFPを知り、勉強しようと思った当時は、とにかく情報が不足していました。情報をどう得ればいいのかもわからなかった。だから「徒弟制度」を知ったときには、藁にもすがる思いでした。その点、いまは日本FP協会がさまざまなフォローをしてくれています。日本FP協会が認定するAFP資格やCFP®資格を取得すると、各地で立ち上げられている勉強会であるSG(スタディ・グループ)に参加できたり、「FPフォーラム(生活者向け「くらしとお金」のセミナー&勉強会)」のような一般の方にFPを知ってもらう機会も提供されています。非常に恵まれた環境にある。それを、ただ話を聞くだけ、周囲の人を観察するだけの機会にしてしまったら、あまりにもったいない。せっかくの機会をどう活かすかは、利用する人自身にかかっています。

ときどき「FPとして独立したい」という相談を受けることがあります。ですが、失礼を承知でいえば、サラリーマン根性が抜けていない人が多い。会社にいる間は言われた仕事をこなせばいいでしょうが、独立したらそうはいきません。 また、FPである以上、独立系であろうとどこかの会社に所属していようと、一対一でお客様と対峙し、お客様の生活を背負うことになります。にも関わらず「会社の指示」を待って会社のいいなりでしか動かないようでは、FPとしてどうなのでしょうか。FPとして働くからには、自分で責任を取れる、お客様の人生を背負うくらいの気概が必要です。責任重大ですが、そのぶん、やりがいはあります。

仕事にすることまでは考えていなくても、FPとしての知識を学ぶことは、家計を管理するうえで大いに役立ちます。経済や家計についてこれほど体系的に学べる資格は他にはありません。私自身、FPの勉強をしていなかったら、今ごろ我が家の家計はどうなっていたことか(笑)。FPという資格に出会えて、本当に良かったと思っています。

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提供: 特定非営利活動法人日本ファイナンシャル・プランナーズ協会
掲載期間:2016年6月24日~2017年3月31日【PR】
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