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「その道のプロ」のルーツを探る ガイドの原点−origin-

vol.004

だれもの命の原点は子宮であり、触れること、触れあうことの大切さを伝えたい

医師になったのは80年代後半。当時はベビーブームも終わり、少子化に移っていた時代。なぜ、産科医になることを選んだのか。選んだ道で彼は何を学び、どう行動しているのか? 行動派産科医といわれるに至る竹内正人の「原点」

「妊娠・出産」ガイド 竹内 正人

文/山本初美 写真/金田邦男

産科医への道は、消去法だった

竹内さんが医師になったのは80年代後半。当時はベビーブームも終わり、少子化に移っていた時代。医師としての花形は外科医であり、産婦人科は斜陽と言われていた。けれど、竹内さんは産婦人科医の道を選んだ。

「僕も外科医に憧れていました。でも、昔から“人とは違うことをしたい”という性分がそれをゆるさなかった。小児科も考えたのですが、医師になるからにはメスを持ちたいという思いがあり、結局残った選択肢の中から、臨床実習で手ごたえを感じていた産婦人科に決めました」

消去法で決めた産婦人科。将来性は不透明で、収入などの条件も他の医局と比べると大きく見劣りした。でも、なんとか食べてはいけるだろう、そんな思いだった。

最新刊の「マタニティダイアリー」(海竜社)とグリーフケアについて書かれた「赤ちゃんの死へのまなざし」(中央法規)

医師とは、救うことのできる命を救う職業…?

大学病院で研修医を終えると、地方の病院へ派遣され研究生活を送った。その後、東京の周産期センターで産科部長を勤めた。安全なお産をすることで社会や人のために貢献している、そう信じて寝る間も惜しんで働いた。この頃は、産科に新しいテクノロジーが導入され、このまま医療が発展すれば、すべての母子を救えるという錯覚さえあった。

しかし、それでも、すべての命が幸福な結末を迎えるわけではなかった。「当時は、僕にとって医師とは、何が起きても医療の鎧をまとって病気に挑み、冷静に患者と接する職であり、救うことができない命は医療の対象外でした。だから、赤ちゃんに対する意識は、救う対象は“人”、救えない対象は“モノ”になっていたのでしょう」

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