多くの文人が逗留し創作に励んだ温泉地
万葉集に「足柄の刀比の河内に出づる湯の…」と詠まれたほどの古湯、湯河原温泉。行基が発見したとか弘法大師が発見したとか、その他開湯については諸説あり、定かではありません。江戸時代には湯治場として賑わい、当時作られた温泉番付では上位に名を連ねたといいます。古くから評判の高さを物語っていたことがうかがえます。相模湾を見下ろす高台に広がる湯河原温泉 |
温泉街は湯河原駅からやや離れた千歳川沿いに広がっています。昔ながらの日本旅館が軒を連ねており、情緒ある風景を醸し出していることから、別名「東京の奥座敷」、「さがみの小京都」などと称されています。落合橋で千歳川に合流する藤木川の上流は、奥湯河原温泉と呼ばれ、湯河原温泉街とはやや趣が異なり、静かな山あいに数軒の宿が点在しています。
海と山に囲まれ、温暖な気候に恵まれていることから、明治の中頃から多くの文人たちが湯河原の宿を訪れ、逗留しながら創作に励んだといいます。夏目漱石は「明暗」の重要な舞台にここを選び、芥川龍之介も湯河原を舞台にした小説を3つ残しています。島崎藤村の代表作「夜明け前」は、老舗の「伊藤屋旅館」で執筆されたもの。小林秀雄が「ゴッホの手紙」を構想し、水上勉が「飢餓海峡」を完成させたのは、奥湯河原の「加満田旅館」といわれています。
まるで絨毯のように山肌を覆う湯河原梅林 |
【関連サイト】
「湯河原町 花の名所」
ここ湯河原には、大規模な観光施設といったものはありませんが、この地で創作活動に励んだ画家や小説家ゆかりの美術館や記念館などがあります。
■町立湯河原美術館
この地にアトリエを構えた日本画家・竹内栖鳳や洋画家の安井曾太郎をはじめ、湯河原にゆかりのある作品を所蔵し、常設展にて展示している。
■西村京太郎記念館
終の住居として湯河原に在住する、トラベルミステリーの第一人者・西村京太郎氏の全作品の展示や生原稿、ジオラマ、秘蔵コレクションが展示されていて、ファン必見の施設です。